第 9 話 不明瞭な調査の終了

 今度は足が直ぐに動いた。立って目の前にあった鍵入れから、校長室の鍵を強奪するように取ると、西に向かって走り出した。


 その時、壁に思いっきり懐中電灯をぶつけてしまい、嫌な音がしたと思うと明かりがふっと消えてしまった。結構な痛手ではあるが、今は構っていられる暇はない。


 職員室から出る際に、ちらりと後ろを振り返ったが、確実に照準が私に合っている。首長女性は私の行く方向へと、体を向けていた。


 鍵を握り締めながら、全速力で廊下を駆け抜ける。走っている最中、頭に過ったのは楽號らくごうの言葉だった。「肝試し? 別に平気だと思うけどね」「大体の心霊スポットなんて大勢が行ってるのに、特に問題起きてないだろ。そこは学校だし、情報も沢山あるから、そんなに危険性はない筈だよ。本当に危ない所は帰って来れないから、詳細な情報が出て来ない。まあ、何かは見えてしまうかもしれないけどね」何てことないように言ってのけた。料理を作る片手間で言っていたのだ。勿論、未来なんて誰にも分からないのだから、未曾有の出来事は発生する。

 それでも、私は現状の不満と恐怖をぶつけるように、不条理に大声で叫んだ。


「楽號の嘘吐きー!」


 そして、西側一階の男子トイレの個室に駆け込む。此処にも怪異があったから、彼女は中に入れない筈だ。カツカツという足音が迫る。それは同じ場所を行ったり来たりしていたが、諦めたのか遠ざかって行った。方角的には東側に向かった形だ。


 胸を撫で下ろす。

 東側に行って、東階段を登ってくれたら有難いが、もし突き当たって来た道を戻って来たなら、今、出ても鉢合ってしまう。

 いっそ、西階段を登って、回り道をした方がいいだろう。


 使える安全地帯は、今いる西側一階の男子トイレ、東側三階の女子トイレと音楽室、それと体育館。踊り場や四階廊下などの時間指定の怪異は使えないと考えた方がいいだろう。


 まず、西側三階まで上り、その後、東側を目指す。その最中、首長女性が東階段から現れるようなら中央階段を降りる。中央階段から現れるなら、西階段へ戻り、そこから一階に降りてから校長室を目指す。

 これなら、幾らでも対応出来る。私は急いでトイレから出ると、西階段を登る。


 音は聞こえない。一気に三階まで駆け上がると、多少息が上がった。整えつつ、廊下を歩いて行く。中央階段の前を歩いたが、音は聞こえなかった。

 東階段か、私がまだいると思って一階の西にいるのか。兎に角、校長室に行かなくてはならない。


 西階段を降りて行く。足音は聞こえない。駆け足で降りて行く。踊り場を抜け、二階へ、更に踊り場から一階へ降りた先に、黒い人影がある。首長女性だ。


 靴音はしなかった。立ち止まって、私を待ち伏せしていたんだ。

 私は勢いを殺せず、前のめりになりながら、手摺りに縋り付く。そこに首長女性が一歩踏み出す。私の目の前に顔が突き出される。


 基本的なパーツは普通の人間と同じだ。だが、滲み出る異様さに私は目が離せない。血走った白目、光のない濁った黒目、裂けているのではと思うほどに上がった口角、それら全てが私を嘲笑っている。私を矮小な、無力な命であると物語っている。


 実際、私は今、彼女から逃れる術を持たなかった。

 彼女から目を逸らすことさえも出来なかった。

 変に長く細い腕が私の首を目掛けて伸ばされる。その手の爪は伸びっぱなしだ。血の気がなく青白い肌は、ゴムのように見える。


 首を捕まれ掛けたその時、私のズボンの右ポケットから光が放たれた。


 そして、それを受けた首長女性は見えない力に弾かれたように、後退りをした。光は私を守るように球体に輝く。

 私は右ポケットから取り出す。手作りのお守り。光の源はそこだ。


 私はお守りをぐっと握り締めて、足を進める。光を嫌がるように身を捩らせる首長女性の横を通り、校長室に入る。中は暗く、埃臭い。閉めた扉の向こう側から、カリカリと爪で引っ掛く音が聞こえた。


 校長室の奥には高くて重そうな机と椅子、脇には学校の歴史についての書物が並ぶ棚、そして、壁には歴代の校長と思われる肖像画が茶色のシンプルな額縁に入れられて飾られていた。そして、扉近くのスペースによくある来客用のふかふかのソファと低い椅子は置かれておらず、その代わりに二つの胸像が置かれており、その後ろには校長室のものと同じ作りの扉が立っていた。


 これが、花子さんの言っていた、本来の七不思議の七つ目。真実を語る像と嘘を語る像、そして正解した時に開く異界への扉だろう。


 此処まで来て言うものではないが、例え正解の扉を選んだとしても、元の場所に戻れる確証はない。

 いや、分からないのなら、問えば良いのだ

 私は像達に問うた。


「あなたの後ろの扉が表側の学校への道かと問われたら「はい」と答えますか」


 何処かで見た答えだ。


 二つの扉の前にいる嘘吐きと正直者の番人。どちらかは天国に、もう一つは地獄に繋がっている。

 問い掛ける内容は「あなたの後ろの扉が天国への道かと問われたら「はい」と答えますか」で、もし正直者の後ろの扉が天国ならば「はい」と答える。地獄であれば、「いいえ」と答える。

 反対に嘘吐きの後ろに天国の扉があったなら、答えを否定して「いいえ」と答える所であるが、質問は「はい」と答えるかというものであるため、嘘吐きは「いいえ」の逆である「はい」と答える。もし、地獄であれば、その逆の「いいえ」と返すのだ。


 つまり、どちらが何であっても、「はい」と答えた方の扉が天国へ繋がっているのだ。


 右の石像は答えた。

「いいえ」


 左の石像は答えた。

「いいえ」


 私は頭を抱えた。何の情報も得られなかった。これは正解の問いではなかった。質問の回数は一回だけ。もし失敗した時は何が起こるのか花子さんから訊き忘れていた。


 後ろからはガリガリと言う音と、力づくで殴っているような音がしている。この勢いでは、此処もそう保たない。お守りだって、いつまで効くのか分からない。


 どうする。どうすれば良い。

 逃げ場はない。

 どうしよう。どうしよう。

 失敗した。


 音が鳴り止まない。手足が冷えていく。心臓が耳の横に移動したみたいだ。何かを考えねばと思うのに、頭は霞がかって白く、何の言葉も思い浮かばぬし、手を伸ばしても何にも触れられない。

 木で出来た扉の軋む音が聞こえる。


「よし、間に合ったな」


 場違いな声がした。

 馴れ馴れしく、でも、人を突き放すような揺らいでいる声。今は、極楽から届く御仏のお声にも聞こえる。


 声のする方を見ると、右側の扉から楽號が出て来た。その手には短刀がある。私の頬は自然と笑みを浮かべていた。


「楽號!」

「後ろ凄い音してるな! 早くこっち来い。無理矢理切り開いて来たから、直ぐに閉じてしまう」


 楽號が短刀を持った手で扉を押さえながら、反対の手を伸ばしてくる。私はその手を取る。


 細いのに力強い腕が、私を扉の内側へ引き込む。閉まる扉の向こう側からは、ばきばきと木が折れる音と悔しそうな嘆いているような呻き声が響き渡った。



 ─────────────────────



 扉の先は雑木林だった。

 私は出た勢いで地面にあった枝に蹴躓き、楽號を下敷きにすっ転んだ。すっかり二人して土に塗れる。


「転ぶなよ!」

「すいません! 足がもつれて」

「あーもー泥だらけだ」


 私を跳ね除けて、楽號が立ち上がり不機嫌そうに土を払う。退けられた私はゴロンと一回転する。周りを見ると、出て来た扉は何処にもなくなっていた。


「此処は……」

「小学校の近くの自然公園だ。元々は此処に小学校があったんだ。新しくするにあたって、踏切の向こう側に移ったんだってさ。もう何十年も前の話だけどね」


 それはおかしい。

 小学校は新校舎と旧校舎が並んで建っている。来た時に見た。解体もまだ終わっていない。


 此処は何処を見ても、人の手で管理はされているが、建物などない林だ。あるとしても、お手洗いくらいだ。

 驚愕し、戸惑っている私を持ち上げて、楽號は立たせてくれる。


「君が迷い込んだのは、過去の学校。幻影のようなものだ。というか、よく入れたなそんな所」

「楽號はどうして来たんですか?」

「なかなか帰って来ないから様子見に来たんだ。死神は色んな所に魂を回収しに行くからな。死神の鎌はこの手の空間にも有効なんだ。開けられても僕一人分くらいの隙間だけどね」

「そっか。ありがとうございます。……如月きさらぎは?」

「君と逸れた後、突然雑木林に放り出されて惚けていたぞ。回収して、大丈夫だからと言い聞かせて家に帰した。もう始発動いてたしな」


 見上げると、如月と四階の廊下を走った頃はまだ薄暗かった空が、すっかり白けている。

 ひんやりとした朝の匂いと、土の匂いが混ざっている空気だ。それを胸いっぱいに吸って吐くと、私は漸く帰って来たと実感が湧いた。


 不意に何か気配がした。視線を感じる。


「何処行くんだ?」

「ちょっと待ってください」


 少し林を奥に進むと、あれがいた。夜が明けた中でも、光を飲み込むかのように闇を纏っている。地縛霊だ。


 それは不自然に伸びた首を持っていて、何かに縋るように手を彷徨わせていた。不思議と恐怖はなく、何故だか憐れに思えた。それは私に気が付くと、たどたどしい足取りで私に近付いて来た。


「おい、それ」

「大丈夫です」


 私は両手でそれを抱きとめた。ずぶずぶと私の中に埋まっていくのと同時に、私の中に記憶が溢れ出す。


 期待と不安を胸にやって来た母校の小学校。熱意と希望をもって生徒達に接していた。しかし、その思いは届かず、遠巻きにされる日々。冷たい目、ひそひそと話される悪口。追い詰められる中で、誰かが耳元で囁いた。

「見せつけておやりなさい。貴女の想いを。さあ、この縄を結ぶのです。然すれば、子供達にも伝わりましょう」

 だから、私は言う通りに括ったのに。だから、私は縊ったのに。だから、私は、私は。そうして、それでもを望んで、ここまでしたのだからと盲信して。嗚呼、それで伝わったって何にもならない。そんなやり方で伝えるなんて間違っている。でも、私はそれを見て見ぬ振りして、甘い言葉に身を任せて。

 彼の作り出した舞台で、時折訪れる子供達と戯れて、世迷いごとを否定して、けれど、明るい未来に向かって共に歩こうと決意する度に、子供達は目の前から消えてしまった。どうして? どうして皆いなくなってしまうの? 私は正しいでしょう? 正しい道を皆歩きたいでしょう? なのに、どうして。どうして私、子供達を食べているのかしら。助けて。助けて。


 飲み込む。全て飲み込もうとして、涙が溢れた。吐き出したくても、吐き出せなくて、ずっと胸につかえている。息が出来ない。


「落ち着いて。ゆっくり呼吸するんだ」


 温かい手が背中に添えられる。その温もりが芯まで染みて、つかえていたものがするりと落ちていった。


「辛いんだろ。なんだって、自分から」

「何だか、助けを求めているようで。私の中のあの世は裁きも何もないんでしょう。だから……いや、すいません。何も考えてなかったです」

「無茶するな。何を見た?」

「新米教師だったらしくて、けど、上手くいかなくて、すると誰かが自殺を唆してきて、そのまま亡くなったんですけど、その唆した人が作った学校で迷い込んだ子供達を襲っていたみたいです」

「作った学校……」


 楽號が頬を掻く。


「どうにも不自然だった。迷い込むにしても、学校がなくなってから年数が経ち過ぎてるし、校長室の向こうにいたのがその新米教師だったんだろうけど、幽霊のような怪異のような、酷くちくはぐな匂いがした。誰かが作り出したものならあり得る」

「幽霊と怪異の違いって?」

「幽霊は人の思いから分かれたもの、つまり情念だ。怪異は現象そのものとなったもの。時に自我を持つこともあるが、幽霊とは異なるものだよ」

「ねえ」


 幼い女の子の声がする。お手洗いの方だ。

 視線を向けると、裏の学校で出会った花子さんがいた。その姿は薄く、向こうの景色が透けて見えている。


「花子さん」

「あなたが森田さんの霊を取り込んでくれたから、裏の学校がなくなって、私達も解放されたの。もう私達は消えてしまうけれど、最後にあなたを驚かせることが出来て良かったの。ありがとう」

「あっ」


 そう言うと、花子さんはすうと消えてしまった。


「あの子達は怪異だ。巻き込まれただけなんだろう。恐らく、旧校舎自体が怪異となっていて、建物が倒れた後も、それを存続させ続けていた人物がいたんだ。現象だからね、仕組みさえ残せば消えないんだ。台風が熱帯低気圧になっても、台風を作り出す仕組みがなくならなければ、台風もなくならないように。まあ、これ突き詰めると、熱帯低気圧になって、雲が千切れて霧散しても、台風は世界の一部としてあり続け、新たな台風の一部になるみたいな話になるんだが」

「スケールが」

「ええっと、兎も角、ちゃんと調べないと分からないが、例えば出入りする人間がいるとか、七不思議を確かめようとする人がいるとかね、仕組みさえあれば同じ状況は生み出せるんだ。そして、多分だけど、そうして作った空間に亡くなった教師の幽霊を閉じ込め、訪れる子供達を襲う装置とし、その結果、幽霊は半ば怪異と化した。或いはわざと怪異とくっつけた。と言った所かなぁ」

「それでどうなるんですか?」

「さあ? 何のためにしてるのか、さっぱり分からないね。ただ、校舎を怪異とした所で、本体がない以上、普通の人間では中に入れない。また別の条件が必要になる筈だ。君と彼女に当て嵌まるような条件が」

「あの子は……あの子達はもう戻って来ないんですか?」

「あの子達がいた旧校舎の怪異は消えたからね。でも、いつだって怪談は噂されるものだ。新校舎でも、新しい怪異が生まれていくと思うよ」


 徐々に周囲は陽は高くなっていく。

 早朝の散歩だろうか、人も出て来た。

 私はやるせない気持ちのまま、帰路につくのだった。

 歩き出して五分経った頃、楽號が不意に振り返って問いかけた。


「なあ、誰に言われて此処に来たんだ?」






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