第 8 話 調査隊はやむ得ず離散した

 四階西側の廊下である。


 時間は午前四時四十二分。薄らと窓から入る光の量が増えている気がする。来たばかりの時は、暗く先が見通せなかった廊下も、微かに東階段が見えている。


 如月きさらぎは屈伸運動をしている。その顔は少し緊張しているように見える。


 廊下を走るなんていつ以来だろうと、懐かしむ気持ちもあるが、それよりも、この廊下を走った後に何かが起こる可能性を思うと、手放しに浸っていられない。森田もりたさんとやらが何者で、何をして来るのか分からない。そもそも、七不思議なのに何故八つ目があるんだろう。


 午前四時四十三分。


「そろそろだな」

「ちょっとドキドキしてきた」

「私もだ」


 と言って、如月はにいっと笑った。


「二人とも一斉スタートで良いんだろう?」

「勿論」


 午前四時四十四分。

 二人とも同時に走り出す。しかし、開始五秒程で如月が盛大に転んだ。


「足首がぐねった!」

「大丈夫か?」


 私はスタートの勢いのまま、二、三メートル程走った辺りでスピードを緩め、後ろを振り返った。そこに如月の姿はない。


 私は慌てて周りを見渡す。急に辺りが暗くなった。窓の外には暗晦が広がり、当然、東階段までの道も暗闇に閉ざされている。

 時間が戻ったのか。異空間に飛ばされたのか。如月の推測では、廊下を走っても異空間に飛ばされないか、飛ばされても戻って来れる筈だ。それなら、もし此処が異空間でも、時間経過か簡単な条件で脱出出来るだろう。


 しかし、最悪な予測が一つある。それは、廊下を走っても特に何も起こっていなかった場合だ。七不思議全てを通過したことになり、森田さんの出現条件をクリアしてしまう。もしそれなら、この異空間は森田さんが作り出したことになる。そうであったら、楽な脱出は望めない。


 携帯電話の画面を見る。電波は圏外だ。窓を開けようとするが、鍵が異様に固くなっており開かない。これは、出入口も封鎖されている可能性があるなと思ったが、一応確認してみようと、一番近い中央階段を降りようとした時、音が聞こえた。


 カツ、カツという靴音だ。ヒールだろうか。勿論、如月ではないだろう。今日の彼女はスニーカーだ。

 音は西階段を登って来ているようだった。私は直ぐに逃げ出す心構えだけを作って、暗い階段の奥に目を凝らした。


 まず、頭が見えた。闇に溶け込む黒髪は長い。それに囲まれた顔が異様に白く見える。俯いているのか、目元は暗く見えない。そして、首が見え、肩が見えて来る筈だったのだが、一向に肩が現れない。その首は三十センチはあるだろうか。異様に引き伸ばされた人体にあるまじきバランスに、私は恐怖を覚える。


 服装は灰色のスーツ。足元には真っ赤なヒール。一定のスピードを保ちながら、それは私へ向かって歩いている。


 一歩も動けなかった。足が鉛のように重く動かない。目が離せなくて、瞬きも出来なくて、眼球が乾いていく。

 近付くにつれ、異様な女性の顔が見えた。それは笑っていた。私を見て、笑っていた。

 距離は十メートル程だろうか。

 これが森田さんか?


「逃げて。早く。殺されちゃう」


 囁き声のような子供の声が聞こえると、私の体は金縛りから解けたように動くようになった。


「こっち。こっち」


 誰かが私に呼び掛ける。藁にも縋るような思いで、声のする方へと駆け出す。声は東階段の方から聞こえた。女性はゆっくりと歩いているが、何かしらの力が働いているのか、私が走ってもあまり距離が離れない。


 東階段を降りると、声が直ぐ傍のトイレへと誘った。私は声のする女子トイレへと駆け込む。

 すると、三つ目の扉が半開きになっており、小さな女の子が「こっち。早く。あいつが来る前に」と、手をおいでおいでとさせていた。


 私は一瞬、躊躇ったが、此処に入った以上、出たら鉢合わせになるかもしれないと考え、三番目の個室へと入った。

 そこにいたのはおかっぱ頭で、白いシャツに赤いスカートを履いた少女だった。狭い個室の中に小さな子供とは言え二人は窮屈だった。いきなり全速で走らされた反動で、息が荒れさせながら、問い掛ける。


「あなたは?」

「私、トイレの花子はなこさん。あいつに追い掛けられてるんでしょ。此処で隠れてるといいよ。あいつね、私達がいる所には来ないから」

「私達?」

「私達は私達。七不思議の怪異達。本当は表の学校にいたんだけど、あいつが来てから引っ張られて、ずっと裏側の学校にいるの」

「表? 裏?」

「あなた達が来たのが表側。今いるのが裏側。裏側はね、あいつのテリトリーなの。ずっと夜で、誰も来ないの。でもね、偶に迷い込んで来る子達がいる。あなたは大人みたいだけどね」


 私が更に問い掛けようとすると、彼女は「しっ」と言って、人差し指を唇につけた。


 耳を澄ませると、カツカツという靴音が聞こえた。直ぐ近くだ。それは何か迷うようにトイレの前を何周かすると、諦めたのか西側に向かって歩き出したようだった。

 ある程度、距離が離れてから、止めていた息を吐き出した。


「ありがとう。貴方は私を助けてくれたんですね」

「まだ、お礼には早いの。だって、此処から出られてないもの」

「あれは森田さんと言うんですか?」

「そう、名前がないと不便だから。森田さんは突然この学校に現れて、裏側を作ったの。そして、七不思議を通過した子がいると、裏側に呼び寄せて、食べてしまうの」

「食べられた子はどうなるんですか?」

「分からない。けど、死んじゃうと思う」

「どうして私を助けてくれたんですか?」

「私達は子供達を驚かすことは好きだけど、殺される所を見るのは嫌だから、迷い込んで来た子がいたら、こうして隠すの。でも、ずっとは隠れていられない。痺れを切らした森田さんがトイレの中まで入って来ちゃうから」

「そうか、じゃあやっぱり脱出方法を考えなきゃだな」

「……あなた、さっき、私の返事が聞こえたでしょう」


 七不思議巡りしていた最中のことだろう、私はこの後引き摺り込まれるのではないかと、少し怯えながら頷いた。すると、彼女は嬉しそうに笑った。


「やっぱり! 一瞬、凄く驚いていたから。直ぐに隠していたけど、久しぶりに私で驚いてくれる人がいたって嬉しかったの」

「この後、引き摺り込まれたりしませんか?」

「そんなことしないよ。子供達は私達にとって、元気の源なの。あの子達が私達を噂して、恐れてくれていることで、私達という存在は成り立っている。だから、怖がってくれる人は有難いから殺したりなんかしないし、こちらに引き摺り込んで子供達との接点をなくした森田さんは大嫌い」


 話を聞いてみると、どうやら、学校の怪異とは子供達の噂やそれを恐れる心で成り立っているようだ。だから、怪異達は子供達に恐れられるよう、驚かしたり、怖がらせたりしていると。


 しかし、森田さんが現れた結果、学校が子供達が過ごす表側と、森田さんのテリトリーとなった裏側の二つに分かれ、七不思議の怪異達は裏側に引き寄せられた結果、子供達との接点を断たれ、存在理由が朧になってしまっているのだそうだ。


 森田さんが何故、突然現れたのかは定かでないが、七不思議全てを通過するという条件をクリアした者を裏側に引き込み、捕らえて食べるのだそうだ。恐らく、あの条件は何か儀式的な意味があるのだろう。


 七不思議の怪異達としては、森田さんをどうにか追い出して、元の生活に戻りたいのだが、森田さんの力が強いため、それぞれの縄張り……トイレの花子さんで言うと三階東女子トイレを守るので精一杯なのだそうだ。


「あなた達は不思議ね。表側の子が何してるか普段は分からないのに、今回はあなた達の声が裏側まで届いた。返事も届いた。なんでなのかな」

「条件をクリアしつつあるから、境目が薄まって来たのでしょうか。そうだ、過去にこちらに迷い込んだ子で、脱出出来た子はいますか?」

「いるよ。でも、ずっと傍にいた訳じゃないから、具体的な方法は知らない。あ、そうだ。あの子、確か、本当の七つ目の怪談を教えてって言ってたから、教えてあげたの」

「本当の七つ目の怪談……」


 森田さんが後付けの八つ目の怪異であるなら、七つ目のものは内容が変わっている筈だ。もしかしたら、それがヒントになるかもしれない。頭の良い子もいたものだ。


「内容を教えてくれませんか」

「うんとね、校長室には扉が左右に二つあって、その前にはそれぞれ真実だけを語る像と、嘘だけを語る像があってね、正しい問い掛けをした時、異界の道が開かれるってやつなの」


 異界の道は、この場合、表側に戻る道ということだろうか。響き的には変な所に繋がっていそうだが、異常な場所から見れば、我々にとっての通常が異界に見えてるかもわからない。

 しかし、開くかも分からない出入口を目指すよりかは、勝率がありそうだ。


 記憶を掘り起こすと、校長室は東側の一階にあった。あそこの並びに職員室などがまとまっていた。

 二つの像の話は、昔聞いたことのある論理クイズに似ている。確かその時は、天国の門と地獄の門の前にいる二人の番人という設定だったと思う。そこまでは覚えているのだが、解答を失念してしまった。


「難しい顔してる」

「解き方を思い出そうとしてるんです」

「何かが引っかかって出そうで出ない時は、実物を見たらするりと出て来ることがあるよ」

「そうですね。まずはやってみましょう。案ずるよりも産むが易しと言いますしね」

「難しい言葉」

「あれこれ心配するより、やってみたら簡単だったという感じの意味です」

「でも、質問は一回だけなんだって」

「それは聞きたくなかったですね」


 私は耳を澄ませる。靴音は聞こえない。扉を開けて外に出る。


「ありがとうございます。とても助かりました」

「また、追い掛けられたら来ても良いよ。他の部屋でも。でも、何回も来ちゃうと、不審がって中にも入って来るから気を付けてね」


 花子さんが柔かに笑いながら、手を振って見送ってくれる。私も手を振り返して、トイレの前の廊下に出た。


 気付かれないように、忍び足で階段を降りて行く。三階に差し掛かった時に、カツカツと近付いてくる音がした。私は慎重に後ろに戻る。靴音は真っ直ぐ東階段を登っている。


 私は階段を四階まで上がり、廊下を小走りで駆け抜ける。狙いの校長室は東側一階で、首長女性は東階段を登っている。なので、西側に行き、西階段から一階に降りて、東側へ向かう。それなら、首長女性と遭遇することはないだろう。もし、遭遇しそうになるとしたら、首長女性が中央階段を降りて来るパターンだ。そうなった場合は、東側三階のトイレと、西側一階のトイレと、安全地帯が二つあるから逃げられるだろう。


 私は西の階段を降りて行く。二階で一瞬靴音が聞こえた。物陰に隠れ、音を聞く。靴音はどんどんと西に近付いている。

 あくまでも、慎重に再び足を動かす。一階に降り立つと、真っ直ぐ東に向かって走る。怪異達の居場所が安全地帯になるのなら、校長室もそうなっている筈だ。


 中央階段の前を過ぎた時、上からカツカツという音が聞こえた。

 職員室を通り過ぎ、校長室前に差し掛かる。ドアノブを捻るが、鍵が掛かっている。これは、鍵を探す必要がある。戻って、職員室に入る。その時、中央階段から降りて来たそれを見掛けた。私はするりと職員室内の机の下に隠れて、口を塞いだ。


 カツ、カツ。カツ、カツ。

 職員室の前を、首長女性が歩いていた。しかし、私が隠れている傍に差し掛かった時に、その歩みが突然止まった。再び歩み出す気配もない。空気は静まり返っている。


 バレたかと思い、少し顔を出して出入口を見るが、影はない。職員室に怪異はないから、首長女性も入って来られる筈だ。もしかして、気付かれていないのだろうか。


 ふと、上に顔を向けると、それと目があった。

 首長女性はずっと私を見ていたのだ。

 高窓から私を見下ろして、ケタケタと笑っていた。

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