第 7 話 調査隊は慎重に通過した

 西のトイレは直ぐに辿り着けた。


 真っ暗闇のトイレは、つんとする嫌な臭いを放っている。使われていないからか、芳香剤や消臭剤などの気の利いたものはない。


 私はそこら中にある死角や影から何かが這い出て来ないかと、なるべく目を逸らそうとしていた。懐中電灯で中を照らすと、洗面器に鏡、小便器に個室が二つがあるのが見えた。ライトを照らすのを止めると、途端に暗闇が支配する。


 如月きさらぎが中に入り、明かりをつけようと壁のスイッチを操作してみたが、点かなかった。


「多分、個室に入るんだろう」

「二個あるね、それぞれ入ってみようか」


 如月が手前側、私が奥側の個室に入る。中は狭くて暗く、うっかり足を滑らせないようにしなければならなかった。

 閉塞感のある個室に逃げ場はない。ドキドキと早くなる脈を鎮めながら、私達は待っていた。

 だが、五分経過しても問い掛ける声はなかった。


「来ないな」


 隣の個室から如月が声を発した。


「後、五分待ってみようか」

「それで来なかったら次に行くとしよう」


 携帯の時計を確認しながら、更に五分待ってみたものの、しんと無機質な静寂があるだけだった。

 がちゃりと鍵を開けて、如月が個室を出る。それを追うように私も外へ出た。

 お互い納得のいかない顔をしながら、廊下まで戻った。


「……次、行くか」

「えーと、二時二十二分に二階の鏡に映ると、未来の姿が見えるってやつだ。踊り場って何処の階段なんだろう」

「二十二分までまだ時間あるし、探すか」


『一つは午前二時二十二分に二階の踊り場の鏡に前に立つと、未来の自分の姿が映る。』


 校舎の階段の位置は、出入口と同じく東、西、中央だ。現在いるのが西側一階のトイレの前なので、直ぐ近くの西階段を登る。踊り場には水道が設けられ、蛇口が並ぶ様を見ると小学生の頃に並びながら絵の具の筆を洗っていた記憶が蘇る。しかし、鏡はなかった。


 次に、二階の廊下を中央に向かって歩く。中央階段に着くと、階段を下に降りて行く。此処にも鏡はない。そのまま下に降りて、東階段を目指す。東側の一階は職員室や校長室などが固まっていた。

 東階段を登ると、二階へ伸びる階段の途中に鏡が壁に設置されていた。少し薄汚れているが、映っているものは視認出来る。


「今は十四分か。暫く此処で待っていよう」

「私が映ろうか、貴方が映ろうか」

「二人で映ろう。あなたの未来の姿はどんな風になっているのだろうか。あまり想像出来ないな」

「貴方はもっと素敵な人になってそうだな」

「ふふ、嬉しいことを言うじゃないか」


 如月は微笑む。暗がりの彼女の表情は、闇に紛れてあまり見えない。しかし、微かに見える口元と、窓から差し込む月明かりを反射する瞳が蠱惑的で、不意にどきりとさせられた。

 私達は特に何をするでもなく、踊り場で屯っていた。


「小学生の頃、叔父に引き取られた私は、二歳下の従姉妹とよく遊んでいたんだ。ある日、道端に巣から落ちた雛がいて、私達は可哀想に思って、拾って家まで連れ帰ったんだ。水を飲ませたり、潰した米を食べさせようとしたり。夕方になって叔父が帰って来てその雛を見た時、とても叱って来たんだ」

「何でだい」

「可哀想と思って持って帰って来たのかもしれないが、お前達がしていることこそ、もっと可哀想で残酷なことなんだよと。人間の匂いが付いた雛を、親鳥は決して助けない。知識がない私達ではその子に飛び方も教えてやれない。もしかしたら、親がその子を連れ帰ることが出来たかもしれないのに、その可能性をお前達は潰してしまったんだよと」

「それでどうしたんだ」

「雛は元の場所に戻したよ。万が一に賭けて。次の日にはいなくなっていた。巣に戻れたのか、猫や鴉に襲われたのか分からない。叔父は泣きじゃくる私達の頭を撫でながら、例え可哀想に思えても、手を出さないことこそが救いのこともあると言った。一番印象に残ってる小学生の時の出来事はこれかな」

「深いな。次は私の番か。あ、時間になってる。映るぞ!」


 慌てて私は携帯電話を確認する。二十二分だ。如月の隣に立ち、一緒に映る。ライトを直接当てると、反射して眩しいので、足元だけ照らしていたが、それでも鏡の中の自分達に何の変化も起きていなかった。


「これも外れか」

「次は音楽室だ」


『一つは夜中に三階の音楽室のピアノが勝手に鳴り、最後まで聞いているとピアノに食べられる。』


 特別教室なら端っこか、上層階にあるだろうと当たりをつけ、東階段を上に向かう。すると、三階に音楽室と書かれた教室があった。


 中に入ると、がらんとしている教室の中央に黒いグランドピアノが鎮座していた。机や椅子、他の楽器も置かれていない中で、それだけ残っていたのが異様だった。


「普通、グランドピアノなんて高い物、解体する校舎に置いておくかな?」

「大きいから、運びだせないとか?」

「扉外せばいけそうだけど」

「まあ、ともあれ、ピアノがあって丁度良かった」


 教室を見渡す。壁にも著名な音楽家の肖像画が飾ってある。目が動きそうな気がして、つい目を逸らしてしまう。

 その時、ピアノの音が響いた。

 はっとして振り返ると、如月が椅子に座ってねこふんじゃったを弾いていた。


「驚かすなよ」

「ははは。凄い驚いていたな。いや、どうせ何も起こらないだろうと思って、ちょいと演出してみたのさ。ここでかっこよく弾ければ良かったんだが、生憎とねこふんじゃったしか覚えてなくて、どうも締まらなかったな」

「そういうのはマジでやめてくれ」

「すまなかった。……ところで、訊くんだが、今の所、あなたは幽霊とか見えているのか? それらしい現象は何も起きてないが」


 思い返すと、何処にも見ていないし、そういった気配も感じていなかった。


「いや、何もいなかったよ」

「やっぱり、怪談なんて眉唾物なんだな。眠くなってきたし、さっさと残りも片付けて帰ろう」


 大きな欠伸を手で隠しながら、如月が伸びをする。すっかり緊張感は失せてしまって、中弛みしている。正直な所、事前に聞いた話からしても七不思議はただの迷信で、もし何かあるとしたら、一つ目の四時四十四分の階段だけだと思うし、幽霊のゆの字もない現状、暗闇以外態々恐れる必要もなかった。


「次は東三階の女子トイレか。直ぐそこだね」

「トイレの花子さんか。懐かしいな」


『一つは三階東の女子トイレで、入って三つ目のドアを夜中にノックし、「花子さん、遊びましょ」と呼び掛けると、返事が返って来る。その返事に答えると、トイレの中に引き摺り込まれる。』


 音楽室から十歩歩いた所にトイレはあった。

 中は先程の男子トイレと個室の数が違うだけで、さほど違いはなかった。強いて言えば、特別教室の傍であまり使う人も多くなかったのか、匂いがきつくなかった。

 私達は入って三つ目の個室を三度ノックして言った。


「はーなこさん、遊びましょ」

「はあい」


 返事があった。


「やっぱり、何も返ってこないな」


 如月がぼやく。彼女には聞こえていない。私だけに聞こえるなら、それは幽霊の声だ。


 どくどくと耳元で鼓動が鳴る。私はパンツのポケットに入れたお守りを握った。そして、楽號の言葉を思い出し、「気付いてないふり」をしようと決めた。


 私は自分の言葉が上擦ったりしないよう努めながら、如月に賛同した。


「そうだね、じゃあ、次の体育館に行こう」

「体育館は西側の一階と繋がってたな。真反対だ」


 二人でトイレの外に出る。


 七不思議によれば、花子さんから返事が返って来た後に、またこちらから返答をしない限り、引き摺り込まれることはない。

 しかし、トイレから離れつつあるものの、中から個室のドアがゆっくり開けられる音が聞こえている。決して振り向いて確認してはならない。かと言って、不自然に足早に立ち去ることもしてはならない。あくまで自然に、全く気付いていないという体で立ち去らなければならない。


 三階の廊下を西方向に向かって進みながら、私は耳だけ後ろに向けている。子供の足音が聞こえるような気がするのだ。

 西階段を降りて、一階に着いた頃、その足音は聞こえなくなった。


 私はふうと息を吐き出した。それを見逃さなかった如月が、首を傾げた。


「何かあったか?」

「まだ、ちょっと。後で話す」

「大丈夫か? 体育館は私だけで確認して来ようか」

「いや、問題ないよ。行こう」


『一つは夜中に体育館に行くと、死んだバレー部の子が死後も練習をしており、邪魔されると死ぬまで追い掛けられる。』


 体育館は少しこじんまりとした造りをしていた。天井近くの窓から街灯だろうか明かりが入って来て、視認性は良かった。


 ネットもボールもなく、静かなものだった。

 私達は暫く体育館の中を彷徨いていたが、特に何もないので、校舎へと戻った。


「結局何もなかったな」

「そうだね」

「体育館に入る前に何かあったのか?」

「……いや、私の気のせいかもしれない」

「気になる」

「学校から出てから話すよ」


 西玄関口から中央へ向かう。靴を脱いだのが、中央だからだ。

 そこで如月は何か思い付いたように、ぽんと手を打った。


「折角此処まで来たのだから、廊下のやつをやろう」

「しかし、あれは午後四時四十四分だろう。その時間帯に忍び込むのは、流石に」

「いやいや、美香から貰った七不思議リストを見ろ。何処にも午前午後の指定はない。なら、午前四時四十四分に走っても、問題ない筈だ」


 如月に言われ、リストを確認する。

『一つは四時四十四分に四階の廊下を走ると、異空間に連れて行かれ、戻って来られなくなる。』

 確かに、書かれていない。ともすれば、午前四時四十四分でも怪異は起こるのかもしれない。


「後、一時間半以上あるが、どうする? 試すかね?」

「どうせならコンプしようか」

「よしきた」


 私達は四階へと移動した。

 携帯電話のアラームを四時四十二分に設定し、空き教室の中で待機した。待ち時間中は、如月の持って来たトランプや、お互いの小学生の頃の話をしたりと、相も変わらず周りは夜の帳の中に沈んではいたが、ここだけ明るく楽しい空間となった。


「一つ気になっていることがある」

「何かな」

「七不思議の最後の部分だ」

「全部制覇すると八つ目の怪異が現れるってやつ?」


『一つ、全ての七不思議を通過すると、八つ目の怪異に襲われる。』


「それがどうしたんだ?」

「普通、通過するなんて書き方するかなと」


 確かに、全て経験したことで八つ目が出現するのなら、制覇とか、目にするととか、実際に体験するような語句を選ぶかもしれない。通過という言葉では、何が起きても深入りせず、最悪怪異に遭遇しなくても、条件に当て嵌まることになる。


「この手のは条件を絞るからこそ、特別感や恐怖が増すものだ。態々判定を緩めるのには、何か意味があるのだろうか」

「確かに。美香さんが話してくれた小学生達も、廊下以外は、特に何も遭遇していなかったね。嗚呼、最後は八つ目の怪異に出会ったのか」

「その廊下の怪異というのも、廊下走ったら異空間に行ってしまうだったか。だが、通過が条件なら、走っても異空間に行かない、或いは行ってもこちらに戻って来なくてはならないだろう。異空間に居続けたら、通過じゃなくて停滞になるからな。だから、リーダー格の子は廊下の怪異に恐らく遭ってないか、遭っても元の場所に戻っている」

「行方不明になるのは廊下のせいではなく、森田さんとやらのせいだと言っていたね」

「それが八つ目の怪異だとするなら、嫌な言い方になるが死体も出て来ない以上、異空間に連れて行く系か、一片も残らないほどに丸呑みされる系か。更に言うなら、森田さんは七つの怪談を通過した直後に現れるのだろう」

「突然、噂が出たのは何故だろう」

「出逢っても戻って来れた奴がいたのか、それとも恐怖から小学生達が作り出した想像の怪物か。まあ、走った後に分かるだろう」


 携帯電話のアラームがなる。午前四時四十二分になった。私達は廊下へと出た。





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