第 6 話 調査隊は滞りなく集合した

「肝試し? 別に平気だと思うけどね」


 大学から帰ると、やっぱり部屋にいた楽號らくごうが軽い調子で言う。


 如月きさらぎと小学校へ調査に行くことを伝えたのだが、あまり深刻そうには受け取って貰えなかった。少し悲しい気持ちになり掛けて、すんでの所で押し留める。他人が肝試しに行くかどうかなんて、どうでもいいことだろうし、適当にあしらっても問題ないものの筈だ。


 西日が差し込む橙色の部屋の中、キッチンに立つ楽號は半分閉まった間仕切りの影に隠れている。今は逢魔が時、あの世とこの世の境目が曖昧になる時間。彼岸と此岸を行き来する死神には相応しい時間だが、彼に似合うのは夜だろう。冷ややかで、静かで、一人安らぐ夜に立っているのがそれらしい。


 斜め切りにしたソーセージとピーマン、玉ねぎをじゃっじゃっと炒めながら、楽號は言葉を続けた。


「大体の心霊スポットなんて大勢が行ってるのに、特に問題起きてないだろ。そこは学校だし、情報も沢山あるから、そんなに危険性はない筈だよ。本当に危ない所は帰って来れないから、詳細な情報が出て来ない。まあ、何かは見えてしまうかもしれないけどね」

「見えたら嫌なんですよ」

「若い子はそういうの好きだよね、スリルを味わいたがりというか。短い大学生活の思い出になるんじゃないか? 青春は楽しめよ」

「もっと安全で健やかな思い出が良いです」

「嗚呼、そっか。君の場合、引き寄せるからね。中に入れないように気を付けなさい」

「どうしたらいいですか?」

「気付いてないふり。後はそうだね、お守りを渡そう」


 火を止めた楽號はポケットをゴソゴソと漁って何かを取り出し、それをベッドに座っていた私に差し出した。


 それは薄い桃色の古いお守りだった。薄汚れていて、所々ほつれている部分もある。厄除けと赤い糸で縫い付けてあるが、字が歪んでいる。それらは全て手縫いであった。これは手作りのお守りなのだ。


 受け取ると、生地がくたくたとしていて、よく手に馴染む。そのせいか、不思議なことに懐かしさを感じたり、見覚えもあるような気がしたりさえする。中に入っている物も、折れているのか、壊れているのか、端を持つと決まった位置で折れてしまう。裏には花の紋が白い糸で縫われている。


「ありがとうございます。随分、年季の入ったお守りですね」

「嗚呼、古い物だが、その力はとても強い。君のことをきっと守ってくれるよ」


 私にそれを手渡した楽號の顔が、酷く優しげに見えた。暖かくて、懐かしくて、切なくて、今にも涙を溢してしまいそうな顔。


 それを見た私は、どうしていいか分からなかった。初めて見る筈の彼のその眼差しに覚えがあったからだ。何時だったかは分からない。何処だったかも分からない。それが彼だったのかも分からない。暗く沈んだ記憶に、ほんの一瞬だけ光が差した。お守りの既視感も、それに起因するものだろうか。


 何処かで会ったことがあるのか。もしくは、似た人を知っているのか。それすらも定かではなく、ただその表情に何かを思い出し掛けた。しかし、それは直ぐにまた暗い水底に沈んでしまい、私は手に取ることが出来ない。


 見覚えがあっただけなのに、動揺している。私は自分の記憶に無頓着で、思い出す気にさえならなかった。だから、少し思い出し掛けただけでも一大事と受け取ってしまったのだろう。

 振り切るように言葉を吐く。


「これはどういった物なんですか? 手作り何ですか?」

「ある母親が、子どもの身に何も起こらないようにと願いを込めて作ったものさ。まあ、母親は死んで、子供も行方不明になったから、その分、お守り自体の誰かを守りたい気持ちは増し増しだろう」


 それは効力としてはどうなのだろう。

 しかし、死神から賜ったお守りというのは安心感がある。


「あの、もし何か思い出の品であれば、結構ですよ。壊したりしたら大変です」

「いいのいいの。僕が持ってても仕方ないしね、君にあげるよ。壊しても構わない。お守りって盾だから、壊れても守れたらお守りも本望でしょ」


 手をひらひらとさせて、楽號はまたキッチンへと戻る。火をつけ、更に炒める。そこにチューブのにんにくとトマトケチャップを追加して軽く炒めると、茹でて水を切っておいたパスタを加えた。具材と和え、ケチャップの水分が飛んだら、皿に盛り付ける。

 今日の夕飯はナポリタンのようだ。良い匂いがする。


「お味見はいりますか?」

「いらない。けど、食べるんだろ」


 文句を言いながらも、楽號は小皿に一口分盛り付けてくれる。私はお礼を言いつつ、箸で食べた。食欲を刺激する、濃いめの味付けだ。とても美味しい。

 ふと、気付くと、楽號がじっと私の顔を見ていた。


「美味しい?」

「美味しい」

「ふーん、そう」


 それだけ言うと、フライパンを洗い出した。



 ────────────────────



 如月とは午前二時に旧校舎の前で待ち合わせだった。


 すっかり夜は更け、狭く明かりのない校庭は真っ暗で、物心ついた頃から都会で暮らしていた私は、慣れない恐怖を覚える。酷く原始的で、人の手が届かない異界に足を踏み入れてしまったような気がして心許ない。外の街灯が僅かに校舎のシルエットを露わにしているが、それも見てはいけないものが見えてしまいそうな予感がして、具体的に言うなら窓辺に誰か立っていたり、影が過ったりするのを想像してしまって、ひたすら嫌だった。


 狭い植木の影で涼しげに鳴く虫の音を聞きながら、念のために時間の十分前に着くよう向かっていると、既に如月が待っていた。昼間はスカートだったが、動き易いように白のTシャツに細身のデニムのパンツを履いていて、足元はスニーカーだった。


「来ないかと思った」


 如月はにやにやと笑いながら、到着したばかりの私に懐中電灯の明かりを向ける。

 手に持った携帯のライトと、如月の持つ懐中電灯だけが、この場における人の領域であった。


「そんな訳ないだろう。ここでドタキャンしたら、私、凄いヘタレと思われるじゃないか」

「別にヘタレでもいいじゃないか。あなたの場合、私が考えるよりも状況は深刻だろう」

「いやでも、友達一人で行かせるのは、また別の意味で嫌な奴じゃないか。……そういえば、何でこの話を受けたんだ? そういうのに乗らないタイプだと思っていた」


 校舎入口に向かいながら、問い掛ける。

 誰かに見られてやしないかという不安もあるが、旧校舎の近くは雑木が多く、敷地外から覗き込まれたりしない限り、見付かることはないだろう。


「普段の私なら断るんだが……、美香みかは割と嫌なことでも他人に頼まれると引き受けてしまうタイプで、今回の肝試しというのも恐らく嫌々参加しているんだろうなと思ったんだ。彼女の交友関係に口出すつもりはないが、せめて同級生として手を貸してやろうと思ったまでだよ。深い意味はないのに付き合わせて悪いな」

「割と深いと思うけどね。友達のためにってことでしょう」

「後、彼女はきっちりしているから、貸しを作っておけば、テスト前とかに色々助かるだろうなという心算もある」

「急に浅くなったな」

「君も来たんだから借りられるだろう。二年先輩だからな。過去のテストの内容とか喉から手が出る程じゃないか?」

「途端、やる気が湧いてきた。悲しい。人は現金なものだな」

「中身はどうであれ、外から見れば友人先輩のために苦難に立ち向かっているように見えるのだから、胸を張って借りればいいのさ。お、扉は開いているな。無用心な」


 自分達の不法侵入を棚に上げ、如月は校舎入口から建物内に入る。


 旧校舎は新校舎と隣り合っている。校庭を潰して新校舎を建て、旧校舎を解体したらそこを新しい校庭と新校舎の一部にする予定らしく、そのせいで現在の校庭がとても狭くなっているのだそうだ。校舎を二つ建てられるのだがら、本来の校庭はとても広々としていたのだろう。


 新校舎と言っても建ってから暫く経つらしく、そこまでの真新しさはない。旧校舎は重苦しいコンクリートの塊である。夜ということを差し引いても、古く暗い空気がある。


 旧校舎の入口は東、西、中央の三つだ。一番大きい出入口が中央で、私達が入ろうとしているのも此処になる。


 廊下には窓の枠の形に月明かりが差し込んでいるが、それも仄かなもので、それ以外は真っ暗だ。影と物の境目がなくなり、暗く沈んだ校舎内は埃だけがキラキラと光っている。虫の音もなくなり、しんと静まった空間と先の見通せない廊下は巨大な生き物の腹の中のようで、私は肌の表面がピリピリとした。緊張している。


 静謐な中、バタバタと音を鳴らしてしまうと、何かを起こしてしまうのではないかと想像してしまう。

 今の所、嫌な気配はしない。だが、この場の空気に飲まれていて、アンテナが正常である自信がなかった。


「思ったより、中は綺麗だな。靴は、脱いだ方がいいか。足跡ついてたら問題になりそうだ」


 中央口には上級生用の木の下駄箱が置かれている。当然、中は空っぽだ。私と如月は下駄箱にいれずに、そのまま床に脱いだままにした。


「一つ目の廊下を走るやつは時間的に無理だし、二つ目の一階西の男子トイレに行こう」

「赤巻紙黄巻紙のやつか」

「それ早口言葉じゃないか。赤い紙がいいか、青い紙がいいかのやつだよ。よくある話に従うなら、紫って答えればいいんだよね」


『一つは一階西の男子トイレに夜中に入ると、どこからか声が聞こえて来て、「赤が良いか、青が良いか」と尋ねて来る。赤と答えると血塗れになって死に、青と答えると全身の血を抜かれて死ぬ。』


「赤でもなく青でもなく、それでいてその両方を含んでいる。都合の悪い質問をはぐらかす悪い大人の答えのようだな」

「とんちと言え。行くよ」

「待て待て」


 西へ歩き始めると、如月が小走りで駆け寄って来る。如月の持つ懐中電灯が一番光源が大きいので、傍に来ると安心感がある。


「とんちで思い出したんだが」

「何を」

「こぶとりじいさんの話があるだろう。山に入った爺さんが雨で足止めされて、雨宿りしていると直ぐそばで鬼が宴を始めたので、そこで見事な踊りを披露したという」

「その後、鬼に瘤を取られるのだっけ」

「そうだ。爺さんの踊りを気に入った鬼が、次回も参加しろと約束の証として瘤を取るんだ。その時、爺さんは、この瘤は取らないでくれって鬼に言うんだ」

「嘘吐いたんだね」

「とんちと言え。まあ、それで鬼はこの瘤はそれほど大切な物なのかと勘違いして取って行く。取られた爺さんは大喜び。近所の爺さんも瘤を取りたくて鬼の宴で踊ったが、下手くそだったので、最初に取った瘤を返され、思惑とは逆に瘤が増えたという話だ」

「それがどうしたの」

「いや、昔話は正直者が良いこととして書かれることが多いが、この話は嘘を吐いて、状況を好転させてるなと思っただけだ」

「知恵や能力を相応しい場で披露するのが良いということなのでは」

「三枚のお札でも、便所行くと嘘吐いて逃げてたな」

「私達も今、便所に向かってるな」

「じゃあ、後で気付いた山姥に追い掛けられてるのかもな」


 ははは、と笑い合いながら、西側のトイレへ向かう。何のオチもない話だったが、くだらなさからか緊張が解けた。





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