肝試し
第 5 話 肝試し事前調査依頼
懐中電灯の明かりはもう点かない。鈍器としてしか価値がなくなった。
暗闇の中、窓から射し込む月影だけが頼りだ。時折、転びそうになりながら、私は廊下を走り続けている。左側には教室が並んでいる。
靴下のせいで、つるつると床が滑って困る。更に言うなら、這い寄る暗闇と後ろから来る圧のせいで視認性も悪い。
背後に迫っているのは、髪と首が長い女性だ。
彼女は走っておらず、動き方はゆっくりとしているのだが、必死に走っている私との距離は離れず、寧ろ近付いているようだった。
私はここ最近では一番大きな声で叫んだ。
「
────────────────────
ことの始まりは、昼休みのこと。
「おおーす、
と言いながら、
茶色いセミロングの髪を軽く巻き、清潔感のある白いブラウスと花柄のスカート。足元はピンクがかった色のパンプスだ。涙袋はキラキラで、コーラルピンクの唇はぷっくりとしている。典型的な女子大生と言った見た目で、大変分かりやすかった。私は大学のオープンキャンパスに行く際に道に迷い、仕方なく不審に見られないようにこういった見た目の人の後をついて行って、無事に辿り着けた思い出がある。だから、分かりやすいアイコンの人は大切だと思っている。
花のような笑顔を向ける彼女に対し、如月は「体質だ」と短く返した。
つれない態度に、女性は唇を尖らせた。そこで漸く、如月の正面に座る私に気付いた。
「あ、一年の幽霊さんじゃん」
「こんにちは」
「何だ、そのあだ名。失礼じゃないか」
「だってえ、マジで存在感なさ過ぎて、先生が点呼した時に返事したのに存在を認知されなかったって聞いたよ。しかも、一回じゃないって。もう幽霊じゃん」
「別に気にしてないし、ちょっと面白いから気に入っているよ」
「本人がそう言うなら、いいんだが。どうかと思うぞ」
如月が微妙な顔をする。
私は醤油ラーメンの麺を啜りながら、問題ないよといった顔をした。彼女の顔がより渋面になる。
「てか、自己紹介してないね。あたし
「構いませんよ」
「あたしもご飯、ここで食べていい?」
「好きにしたら良い」
「ありがとう。てか、気付かなかったとは言え、急に突撃しちゃってごめんねー」
そう言って、美香さんは手に持っていたコンビニの袋から幾つか出す。おにぎりが二個と、袋に入った千切りキャベツにドレッシングだ。
彼女は千切りキャベツの入った袋を開けると、そこにドレッシングを流し、箸で適当に混ぜてから、口へ運んだ。ゴミを出さないエコな食事方法だ。
「ちょっと相談があってさ、真弥そういうのに強そうだから頼もっかなって」
「何かな」
如月は焼肉丼を掬っている。相も変わらず山盛りである。最早、焼肉山と名乗っても文句を言う人はいないのではないかと思わされる程の盛りである。濃いめの甘辛ダレに絡んだ肉とピーマンが如何に白飯が進むメニューであるか、ということは多くを語らなくてもご賛同頂けると思うが、それを踏まえた上でも、このご飯の量はおかしいと思う。
「東小の森田さんって知ってる?」
「小学生の知り合いはいないな」
「小学生じゃなくて、お化けの名前らしいんだけどさ」
「花子さんのようなものか? 苗字で呼ばれるのはあまり聞かないな」
「そういうのがいるらしいのよ。なんか……あー、聞いた話そのまま話すわ」
そう言うと、彼女は一転しておどろおどろしい口調で話し始めた。
東小には七不思議があった。
一つは四時四十四分に四階の廊下を走ると、異空間に連れて行かれ、戻って来られなくなる。
一つは一階西の男子トイレに夜中に入ると、どこからか声が聞こえて来て、「赤が良いか、青が良いか」と尋ねて来る。赤と答えると血塗れになって死に、青と答えると全身の血を抜かれて死ぬ。
一つは午前二時二十二分に二階の踊り場の鏡に前に立つと、未来の自分の姿が映る。
一つは夜中に三階の音楽室のピアノが勝手に鳴り、最後まで聞いているとピアノに食べられる。
一つは三階東の女子トイレで、入って三つ目のドアを夜中にノックし、「花子さん、遊びましょ」と呼び掛けると、返事が返って来る。その返事に答えると、トイレの中に引き摺り込まれる。
一つは夜中に体育館に行くと、死んだバレー部の子が死後も練習をしており、邪魔されると死ぬまで追い掛けられる。
一つ、全ての七不思議を通過すると、八つ目の怪異に襲われる。
ある年の東小の生徒が、その八つ目を確かめたくなり、仲の良い二人と共に夜中の小学校を訪れた。
昼間とは一変して、暗く静かで不気味な雰囲気に三人は内心震えていたが、リーダー格であった子が、「ただの言い伝えだよ。ここまで来て帰るなんて格好悪い!」と二人を鼓舞し、中に進むことを決めた。
一つ目の廊下の怪は時間が合わなかったので、後日にし、二つ目の男子トイレに向かった。
彼らはこの怪談の答えを知っていた。赤と答えても、青と答えても殺されるが、紫と答えれば生きて帰れるのだ。リーダーが扉をノックする。しかし、問い掛けは来なかった。
次に、三つ目の踊り場の鏡に向かった。これもリーダーが自ら進んで鏡に映った。だが、暗い背景に浮かぶリーダーの姿しか映らず、何の変化も起きなかった。
ここで一行は疑念に駆られる。二連続の肩透かしから、七不思議とは所詮唯の言い伝えで、真実ではないのではないかと。そう思うと、多少の余裕も生まれ、冗談を言い合う空気が戻って来た。
四つ目の音楽室のピアノも、五つ目のトイレの花子さんも何も起きない。最後に体育館に向かうものの、ボールも走り回る音もない。
結局、何も起こらなかったねと笑いながら、その日は別れた。
次の日、リーダーが午後四時四十四分に四階の廊下を走るから、五分前に集合だと話した。一人は習い事があり、参加出来なかった。もう一人は見届け人として、リーダーが走る姿を後ろから見ることになった。
約束の時間になった時、見届ける役割の子が先生に捕まり、五分程遅れた。とっくにリーダーは来ているだろう、これは明日に延期になるかと、謝罪の言葉を考えながら、その子が四階に着くと、リーダーの姿はない。四階中の教室を探し回っても、生徒は皆もう帰ってしまって、人っ子一人いなかった。
痺れを切らして、先に帰ってしまったのかもしれないと考え、その子も家へと帰って行った。
翌日、学校に来ると、リーダーがお休みだと分かった。風邪でもひいたのかもしれないと、二人はリーダーの家へとお見舞いに向かった。だが、リーダーの両親は焦った様子で二人を門前払いした。
次の日も、その次の日も、あの日以来、リーダーが学校に来ることはなかった。
二人はリーダーがあの日、一人で四階の廊下を走り、異空間に連れて行かれたのだと考えた。
リーダーがどこに連れて行かれたのか、そして八つ目の怪異に襲われたのか、二人は恐ろしくて確認する気が起きなかった。
その後、学校でまことしやかに囁かれる噂があった。リーダーは森田さんに連れてかれたのだと。森田さんなる人物が一体何者か、どこから湧いた噂なのかも不明で、だが子供達はそれが八つ目の七不思議だと直感した。そして、それ以来、誰も七不思議についての話をしなくなったのだそうだ。
そして、今も、リーダー格だった子は行方不明のままになっているという。
美香さんはそこまで話すと、顔の下から照らしていた携帯のライトを消した。
「って言う話。聞いたことある?」
如月が箸を皿に置く。気が付いたら全て食べ切っていた。
「初耳だな。正直に話すと、七不思議に箔をつけるための作り話だろうなと思う。その割には一つ目の不思議以外切り捨てている感じが潔いというか、八つ目が唐突過ぎるというか、疑問点は幾つかあるが」
「七つ制覇すると八つ目が出て来るというのも引っ掛かりますね。七不思議って単品を七つ集めたものじゃないですか。セットでご購入頂けると、もう一つついてくるみたいなやり口、怪談っぽくないなと。まあ、そんなに詳しい訳ではありませんので、ある所にはあるかもしれませんが」
「うんうん。非常に厳しい意見。それを待ってたのよ美香ちゃんは」
美香さんは嬉しそうにうんうんと頷く。私と如月は頭に疑問符が浮かぶ。
怖い話をした時に一番嬉しい反応はやはり怖がられることだろう。しかし、彼女は、怪談そのものを否定するような、聞き手としては最低の私達の反応を歓迎している。これはどういうことだろう。
七不思議の話自体は初めて聞いた話だった。と言うより、私の出身の小学校はこの近くではないので、他校の七不思議を知っていることの方が稀有だろう。
「実はですね、今度友達とその小学校に肝試ししに行くのよ。でもさぁ、やっぱり怖いじゃん? だから、前もって何も起こらないことを確信しておきたいのよ。そこで!」
美香さんが如月と私を指差す。
「君達二人を、肝試し事前調査隊に任命する!」
突然の宣言に私達はぽかんと口を開けた。
事前調査隊とは、いや、言わんとしていることは分かっている。事前に行った人に何もなかったよと言われたいのだ。そうすれば、恐怖も和らぐし、現実的な安全性も増す。しかし、肝試しに行くのに怖さのレベルを下げるのは、本末転倒な気もしないでもない。もしかしたら、彼女は唯の付き合いで行くだけで、内心嫌々の可能性も無きにしも非ずと言えよう。それなら、この行動の理由も納得出来る。
「……最近の小学校って、セキュリティちゃんとしてるから、侵入したら通報されるのでは?」
「そこら辺は大丈夫! 東小、校舎が新しくなってて、七不思議のある旧校舎は今使われてなくて、解体待ちらしいから、出入り出来る。これは確認済みだから安心して」
「肝試しって安全じゃないリスクを楽しむために行くものじゃないですか?」
「確かにそうだけど、絶対安全だからジェットコースターも手放しで楽しめるのだし、肝試しに安全性を求めるのは間違ってないと私は思います、ええ。怖がるために行くんじゃないの。楽しむために行くのよ。そのために、安全である事実が必要なの」
彼女の話も一理ある。恐らく、お化け屋敷感覚なのだ。怖がらせるし、驚かせるけど、決してお客に触らないし、怪我をさせない。お客も怖がるし、驚くけど、絶対に安全だという前提でそれを楽しむ。そう言った楽しみ方もあるのだろう。
私は幽霊が見えるばっかりに、そう言った楽しみを体験する機会が少なかったというか、現実の方が濃度が高かったためにわざわざ体験しに行く気も起きなかったが、見えない人からすると、これも楽しいイベントの一つなのだろう。
学校とは、大勢の人間が集い、様々な思いを抱えながら長期間過ごす環境だ。得てして、情念が溜まりやすく、経験上、そうした場所には色々といる。
小学生の頃も何度か目にしたことがあったが、とかく人が多いからか、昼間にしか来ないからか、こちらにちょっかいを掛けてくる様子もなかった。しかし、今回は夜だ。
「やってくれない? 頼めるの、真弥くらいしかいなくてさ」
「まあ、行って帰って来るくらいなら」
「本当!?」
「如月、待て」
「いいさ、私一人で行って来るから。あなたは来なくていい」
「えー、それはどうかと思うよ、幽霊さん」
逡巡する。凄く行きたくない。だが、友達を一人で行かせるのも嫌だ。
「……私も、行きます」
「無理しなくていいぞ」
「もしかして、幽霊さん怖いの苦手なの?」
「行きます。行きます。行かせてください」
そういった訳で、私達は今夜、思い出も何もない小学校に侵入することになった。
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