第11話 特別講座
「危ない!」
先程、私がいた位置に腕が振り下ろされている。恐らく、あの肉塊は私を狙っている。
ならば。
「如月、多分あいつの狙いは私だ。だから、貴方は私から離れて、逃げてくれ」
「そんなこと出来る訳ないだろう! 一人であんなデカブツどうするつもりなんだ。早く逃げるぞ」
問答無用で私の手を引いて、必死に走ってくれている。こんな切羽詰まった状況なのに、その言葉に私は安心を覚えた。確信もだ。
どうやら図体が大きく、足が小さい構造のせいで、あれはあまりスピードが出せないようだ。なら、このまま逃げ続けることは出来る。
しかし、いつまでもは無理だ。あれが諦めるのが早いか、私達の体力が尽きるのが早いか、それ以外で決着をつける方法があればいいのだが。例えば、あれを倒すとか。
普段、走らないから、息が上がって来た。如月はまだ体力に余裕がありそうだが、ヒールの足元が辛そうだ。
「仲直りは出来たの?」
頭上から言葉が降りて来る。見上げると、電柱の上に
「楽號! あれ、何?」
「悪霊になりかけている奴。悪霊はなりかけが一番キツいらしいから、君の中へ逃げ込もうとしてるんじゃないか」
「じゃあ、私が取り込めば」
「駄目だ。あれ程に大きなものを取り込もうとすると、君の腹が物理的に裂ける。だから、あれは僕が刈り取ってあげよう」
そう言って、楽號はふわりと重量を感じさせずに降り立つと、私達と悪霊の間に立ち、短刀を構えた。明らかに武器と敵のサイズ感があっていない。
楽號はゆったりと歩きながら、肉塊に近付く。肉塊が腕のような触手のようなもので楽號を捕らえようとする。それを楽號は最小限の動きで、斬り落としていく。伸ばして、斬って、伸ばして、斬って。それを繰り返していると、遂に本体に辿り着く。
楽號は、どこか彼に対して怯え始めた霊の体を真横に斬り、その後、縦にも斬った。
風船から空気が漏れたみたいに、それは萎み始める。酷い悪臭に私達は思わず、鼻を押さえる。
ある程度まで小さくなると、楽號はもう一度、短刀を振るう。すると、霊はふわりと浮かび上がり、更にどんどんと縮んでいく。掌サイズになると、楽號はそれを腰の籠の中に仕舞った。
もう、嫌な気配も匂いもしない。
楽號は短刀を強めに払ってから鞘に戻した。
「仲直りしたんだろ?」
「まだ、微妙な感じです」
「早くしろ」
楽號に急かされて、私は如月の前に立つ。元々は楽號の発言のせいだったとは思うのだが、あれは彼なりの私へのフォローのつもりだったのだろうか。些か語気が強過ぎる。
如月はこちらと目を合わせようとしない。そっぽを向いたまま、口を開ける。
「仲直り、出来ると思うか? そもそもこれは仲違いなのか」
「何でもいいよ、そこら辺は。……単刀直入に言うけど、やっぱり私は如月と友達でいたい」
「あなたを都合良く利用している私と?」
「だって、如月は私のことを助けてくれたから。あんなの見たら、誰もが一目散に逃げる筈なのに、如月は私の手を取ったし、離さなかった。それが、私にとっては友情の証明なんだ」
「……」
何かを考えているようで、右下に視線を向けていた。
楽號は少し離れた場所で一部始終を見ている。
「咄嗟だったんだ。その後のことも、深く考えていなかった」
「それだよ。ただ利用するだけの相手にそんなことはしない。だから、やっぱり私と貴方との間にあったのは、友情なんだ。触れて欲しくないことに触れない関係から、触れてしまった関係になったけど、私と君が友達のままでいられる可能性は充分に残っていると思う。だから」
如月が顔を上げる。黒く澄んだ瞳が私を捉える。
「私が友達でも、あなたを友達と呼んでもいいのか?」
「勿論だ。それを私は望んでいるんだから。君さえ良ければ、もう一度」
手を差し出す。如月もそれに応えて手を差し出す。
握手をすると安心した。彼女の小さい手の熱が伝わって来る。走ったから、体温が上がっているのだろう。
夜に冷やされた風が私達を撫でる。熱い頬を冷ましていく。それがとても心地良い。
手を離すと、途端に不器用になった。何を話せば良いのやら。ほんの少し前まで、楽しく話していたのに、今は冗談の一つも思い付かない。
「終わったか?」
楽號が口を挟む。
「貴方は一回、如月に謝れ」
「全部本当のことだったろ」
「本当のことだとしても無遠慮に暴いて良い訳ないでしょう」
「いいんだ、楽號さんの言う通りだった。寧ろ、気付かせてくれてありがとう。無意識が一番怖いから」
如月が答える。
「それに助けて貰った。本当にあなたは死神なのだね」
「礼は要らないよ。仕事だ」
「でも、ありがとうございます。助かった」
二人で頭を下げる。
個人的に楽號のやり方に思う所はあるが、本人が良しとしているなら、あまり口を出さない方がいいだろう。そうすることが良いことかは分からないが、分からないと言葉にすることも出来ない。
「本当にありがとうございます。肝試しの時も、助けに来てくれたんでしょう。まだ、ちゃんとお礼を申し上げていなかった。ありがとうございました」
如月が美しい姿勢で頭を下げる。流石に楽號も何か思う所があったのか、少し居心地が悪そうにしていた。
「……君の在り方に不誠実さを覚えて、指摘したことを後悔はしてないよ。でも、言い過ぎたとは思う。きつい言い方だった。それについては謝るよ。すまない」
「気にしないでくれ。確かにちょっとショックではあったが、自分と向き合う機会をくれたことは感謝している。これからも考えていくよ」
笑う如月を見て、楽號は頬を掻いた。
「そういえば、あの悪霊のなりかけって何ですか?初めて見たんですけど」
空気に耐え切れず、違う話題を持ち出す。
「見たことがないのはそう珍しくないよ。蝉の羽化を目撃するようなものだからね。一言で言うと……悪霊のなりかけだ」
「楽號さん、もう二言くらい欲しい」
「そうだなぁ」
頬を掻く。
楽號の言う所によると、生きている人間はポジティブとネガティブの要素をどちらも持っているのだと言う。それらは、どちらが善いとか悪いとかではなく、どちらも持っているのが通常で、重要なのはそのバランスなのだそうだ。そのバランスの感覚は人それぞれで、極端なことを言えば、ポジティブが一割、ネガティブが九割でも、バランスさえ取れていればそれで問題ないのだ。
地縛霊や浮遊霊と言った所謂、幽霊は発生起源からして人の未練や無念を核としていることが多く、往々にしてネガティブな方に傾き易いのだそうだ。そして、霊達は生前の感覚を頼りに均等に戻そうと働き、それ故に、ポジティブな要素を有する生者に取り憑くのだそうだ。
悪霊というのは、そのバランスが大きく傾き、ネガティブがより強く全面に出た状態で、どうにかバランスを戻そうと生者を取り込もうとしたり、自分の願いを無理矢理叶えようとしたり、その果てに死なせてしまったりといった結果を齎しがちなのだそうだ。
そのため、死者の管理、悪霊による被害防止の観点から、死神は地縛霊や浮遊霊を回収していると。
また、幽霊とは人の未練或いはそれに類するもの、強い感情を元に生まれた概念であり、生前の記憶を有していても、その人本人という訳ではないらしい。また、魂は生き物の核で、これらは別のものなのだそうだ。
要は、ネガティブな情念を元にしているから、幽霊はネガティブ要素を多く含み、それをどうにか生前の記憶を頼りに同じバランスに戻そうとしている。その中で、ネガティブへ大きく傾いてしまったものが悪霊になるということらしい。
「ポジティブに大きく傾いたものはどうなるんですか?」
「ハイになるって感じかな。周りを振り回すというか。エネルギー消費が多い上に散漫で、あまり長続きしないから、そこまで問題にならない。ネガティブもエネルギー使うけど、ずっと燻った状態でここぞという場面で放出するから死人が出やすい」
「へえ」
「見た目がグロテスクだったのは何か理由があるのか?」
肉塊をくっつけてどうにかした感じだった悪霊の姿を思い出す。胴体が大きく、足は短く、体の中心部に寄せ集めの顔のパーツがくっついていた。鮮明に思い出してしまい、気分が悪くなる。
今が夜で、昼間程はっきりしていなかったのが救いだ。
「あれは、もう既に何人か食べたんだろうな。幽霊は実体がないけど、ある程度成長すると人を食べることが出来る。実体も概念も関係なく、存在という枠ごと丸呑みするのさ。そうすると、実体がないのに肉体を持つというおかしな状態になる。そうなると、他の幽霊と同じく一般の人には見えないけれど、見える人には肉体を持った生きた者に見える。あいつは下手くそだったけど、上手な奴がやると本当に生きてる人間にしか見えないんだ」
「丸呑み」
イメージがつかず、無意識に鸚鵡返しをしてしまう。
「幽霊って、生まれ方からして一部分しか持ってないのに、生前の状態をベースに考えてるから、足りない部分を埋めたくて仕方ないんだよ。丸呑みは、それを埋める感じ。最初は生きてる人からちょっとずつパワーを奪うだけだけど、力をつけた奴は存在の厚みが増しているから、物理的な干渉も出来るようになるのさ」
「力をつければつける程、生きた人間に近付き、物理的な干渉力も増すということか」
「そう。そうなった奴は探すのが大変なんだ。生きた人間と見分けがつかないから。だから、そうなる前に回収してるんだよ」
楽號がやれやれと言った風に息を吐き出す。
如月は少し考えているようだったが、考えが纏まったのか、楽號へ顔を向けた。
「回収した霊達はどうなるんだ?」
「あの世へ持って行って、本人に返すのさ。順当だろ」
「悪霊になったものを戻して問題ないのか?」
「今の所、問題は起きてない。回収する時にパワーを削ぎ落としてるし、本人とその一部分でしかない幽霊じゃあパワーバランスが違うから、本人の方に引っ張られて悪さしなくなる」
「なるほど。では、生きてる人間と見分けがつかない悪霊が現れた時にはどうしてるんだ?」
「地道な調査と追跡しかないな。霊である以上、食事も睡眠も必要としてないから、調べれば見分けはつく。大変なのは、そこに至るまで。発見するのが大変なんだ」
「回収する時に削ぎ落としているというなら、悪霊になっても普通の幽霊に戻せるのか?」
「いや、エネルギーを削っているだけだから、元には戻らない。また生きてる人間から生気を集めれば暴れ出す。基本的に悪霊が元の普通の霊に戻ることはそうそうない。針が振り切れて壊れた後なんだ。ブレーキがぶっ壊れた車のガソリンを抜いて動かなくしても、またガソリン入れれば暴走するのと同じ」
「ガソリンを入れても、運転手がいなければ大丈夫ってことですか?」
「理論的にはそうだけど、車回収した方が早いだろ。悪用される危険性も出てくるしね。と言うか、そろそろ帰らない?僕、寒くなって来た」
確かに、すっかり夜は更けて、風も強くなって来た。楽號がポケットに手を突っ込む。長袖ではあるが、私も少し肌寒かった。
「説明ばかりで喉が渇いたよ」
「はは、すまないな。でも、とても興味深い話だった」
如月がヒールを脱ぎ、裸足になる。踵には僅かに血が滲んでいた。走った時に靴擦れしたのだろう。
「足大丈夫?」
「こんなの慣れっこだ。今はそういう気分だから、脱いだだけさ」
先程と違い、大股で如月は歩く。上手く言葉に出来ないが、その様が堂々としていた。
「今度は君の話を聞かせてよ」
楽號が如月に言う。
「つまらないさ」
「僕がそう思うかはまだ分からないだろ」
「それもそうだな。家に着いたら、話すさ。嗚呼、でもその前に、まだ一つ気になっていることがあるんだが」
「何?」
如月が私を見た。私は首を傾げた。
「あれに追い掛けられている時に、楽號さんとあれを取り込むとかなんとかと言っていたが、どういうことなんだ?」
「あー、えーと。詳しいことは分からないんだが、私の体はあの世と繋がっているらしく、霊を取り込んであちらの世界に送ることが出来る、らしい」
「あの世と? それ大丈夫なのか。あ、ルーツを調べるってそれがあったからなのか」
「そうなのです」
「死神としては、どう思ってるんだ?」
腕を抱いていた楽號が掌を見せる。いつの間にか、その手に短刀はない。ズボンのポケットに入れている様子もないし、アニメのように出したり消したりが出来るのだろうか。
「未知数。凡ゆる地域であの世は想像され、その在り方が生まれて来た。地獄と浄土もそうだ。罪人は裁判して罪を裁かれると言った形。正しい行いをした者は救われると言った形。でも、こいつの中にあるのは、そう言ったものとは全く違う新しいあの世だ。何でこんなものがあるのかも分からないし、何でこいつが平気そうにしてるのかも分からない」
「それでどうするんだ? どうと言うのは、放っておいて良いのかという意味だが」
「今まで平気だったんだし、大丈夫じゃない?」
気が付くと、家の前まで来ていた。一列に並び、階段を登る。
飛び出して来たので、鍵は掛かっていない。
中に入ると、キッチンにハンバーグが出ていた。傍には茶碗とお椀が置かれている。
「貴方はあの状況でご飯を食べようとしたのか」
驚愕しながら楽號の顔を見る。当の本人は特に悪びれる様子もなく、「丁度いい時間だったし」と返した。
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