第 3 話 証明と揺れる背中

 公園は時間帯もあってか、人影もまばらだった。

 私は滑り台の側に立たされ、楽號らくごうは辺りの人を物色していた。そして、狙いがついたのか、ベンチに座った男性を指差した。


「いいか、よく見てろよ。僕が何をしても、あの男性は反応しない。何故なら僕が死神で、普通の人間には見えない存在だからだ」

「はい」


 大股で男性に近付いていく。ベンチに座っているスーツの男性は気付いていないようで、缶コーヒーを一口飲んでは長い息を吐き出している。お疲れのようだ。

 楽號はその人の真ん前に立った。男性は無反応だ。次に楽號はしゃがんで、項垂れた様子の男性の顔を覗き込む。それでも反応はない。


「こんにちは。いいお天気ですね」


 声を掛けても、返答するどころか声自体聞こえていないらしく、携帯電話を取り出して何か操作をし始めた。

 立ち上がった楽號がちょんと右肩を触ると、流石に目を向けたが、少し不思議そうな顔をすると、肩を払って、また携帯電話に顔を向けた。

 したり顔で彼が帰ってくる。


「見たか」

「見ました」

「明らかだろ」

「でも、これって、貴方が普通の人に見えないということが実証されただけで、死神であるという証左にはなってないというか」

「まだ、注文をつけるのか! 肉じゃがも作ってやったのに」

「肉じゃがも作れるし、物には触れるんですね。あっ」


 私は嫌な閃きをした。


「何だよ」

「今の私、はたから見ると、めちゃくちゃ独り言喋ってる人に見えてるってことか。ちょっと、筆談にしても良いですか」

「小声なら大丈夫だろ」


 私は取り出し掛けた携帯電話をもう一度ポケットにしまった。周りをちらりと観察する。不審がっている人はいなさそうだ。通報するかどうか迷ってる私が通報されるなんて、コメディになってしまう。

 楽號はまたうーんと唸りながら、頬を掻いた。考える時の癖のようだ。


「死神っぽいことって何だ?」

「命を刈り取るとか……」

「今、そういう仕事来てないしなぁ。そうだ!」


 楽號が手を叩く。


「地縛霊を狩りに行こう。これならついでに、君の謎能力も見れる」

「げえ」

「潰れた蛙のような声を出すのはやめなさい。嗚呼でも、今から探すとご飯炊けちゃうな」

「じゃあ、もう、明日にしましょ」

「食べてから行こう。よし、一旦帰宅だ」


 私の暗い気持ちを微塵も気にせず、楽號は再び先頭を切って歩く。私は逆方向に進む彼の首根っこを掴んで、家路についた。



 ────────────────────



 夕飯は美味だった。

 レシピ通りの味付け、調理時間、盛り付け、どれも丁寧な仕事だった。久々に人の手料理にありつけた私は、もりもりと育ち盛りの子供の如く食べたのだった。


 肉じゃがやおひたしに特別思い出がある訳ではないが、そういう品目というだけで懐かしいような気がする。夏の田園に白いワンピースの少女のいる風景に郷愁を覚えるような感じだ。


 油揚げの入った味噌汁を啜りながら、ちらりと前を見る。

 来客用の可愛らしいピンクの桜の茶碗片手に、楽號が馬鈴薯を噛んでいる。私の視線に気付いたのか、こちらに目を向ける。


「何?」

「死神もご飯食べるんですね」

「食べるだろ。生きてるんだから」

「それもそうですね」


 死者の魂を扱ってたり、あの世を行き来してたりするイメージから、飲み食いする様子が想像できなかった。しかし、普通に生き物なら食事を必要とするものなのだから、こうして食事をするのが当たり前であった。


 そもそも、彼が死神かは未だ決定していない。

 これから、それを確認しに行くのだ。

 ふと気付くと、楽號が私の顔をまじまじと見ていた。


「何ですか?」

「美味しい?」

「美味しいです」

「そう。なら良かった」


 実際とても美味だったので、私はあっという間に平らげたのだった。


「ご馳走様でした」

「お粗末様でした」

「ご馳走して貰ったし、片付けは私がしますよ。座っててください」

「悪いね。助かる」


 かちゃかちゃと食器を重ねて、シンクへと運ぶ。楽號はまるで自宅のように寛いでいる。私は不意に何をしているんだろうと疑問を覚えた。昼間の如月の言葉が頭の中を反復横跳びする。しかし、自分が彼に何かを期待しているから、こうして平然とコミュニケーションを取っているのだと気付いた。その期待がどういった物かは、まだ明確な形になっていない。


 ざざっと洗い終わる頃に楽號が横に立った。

 私より少し背が高いので、少し見上げる姿勢になる。長い前髪で目元が見えづらいが、睫毛が長い。そして、その奥に隠された目は人間とは違う。瞳孔が僅かに縦長で、瞳は青みがかった灰色をしていた。

 にこりと笑い掛けて来る。


「終わった?」

「一生掛かっても終わりません」

「終わったね。じゃあ、行こうか」


 水道を止めて、私の腕を引っ張った。


「本当に行くんですか?」

「死神だって証明して欲しいんだろ」


 それはそうなのだが、やり方にやる気が出ない。楽號は自分が死神であることを証明するついでに、私の謎能力も見ようとしている。つまり、あの不快感をもう一度わざと味わうのだ。


 しかし、楽號の引っ張る力が強いので、私は部屋の外へ出された。無用心だから鍵を閉めさせてくれと頼むと、了承してくれたので、せめてもの抵抗として一連の動作をゆっくり行ったが、楽號は律儀に部屋の外で待っていてくれた。


「じゃあ、行こう。もうすっかり暗くなってるな」


 外は陽が沈んでいる。最近めっきり陽が短くなった。浮かぶ三日月が雲の合間から顔を覗かせている。夏のこもった空気ではなく、冷ややかで澄んだ匂いがした。


 楽號は特に行く宛がある様子ではなかった。歩いていればいつか遭遇すると考えているようだった。

 歩き始めて三十分経った。廃墟ビルの前を通った時だった。


 不意にあの感覚が襲った。

 ぞわりと背筋を撫でる。思わず、ビルを見上げる。灰色の無機質な四角い箱。住宅街にぽつんとあるそのビルは、一見何の変哲もない。しかし、私の目はビルの二階から離れなかった。


 私の足が止まったことに気が付いた楽號が、戻って来る。そして、同じく私の視線の先を見た。


「どうした?」

「いえ、何でも……」

「二階に何かいるな」


 楽號も異変があることに気が付いたようだ。


「よく気が付いたね。中に入ろう」

「ええっと、待ってくださいよ」


 躊躇わず入る背中を追い掛ける。

 中は当然、電気はなく暗い。一階は郵便受けと一室があるだけで、入って直ぐに階段がある。明かりは踊り場の窓から差し込む街灯だけで、殆ど見えないが、楽號の足取りに迷いはない。

 二階に着くと、左右にドアがある。気配があるのは、右手側の部屋からだ。


「こっちだ」


 楽號が右側の部屋の扉を開ける。途端に、嫌な気配が全身を覆った。

 背中越しに部屋を覗くと、あれが部屋の隅に蹲っているのが見えた。サイズが小さい。子供だろうか。


「今から僕が死神の鎌で、土地と地縛霊との繋がりを断つ。これは死神の証明になるだろ。その後、君の能力を見よう」

「そのまま、成仏させる所まで見せてくれないと」

「……仕方ない。今回は全部僕がやる。次は君な」


 楽號の手には、いつの間にか初めて会った時に持っていた短刀があった。窓から差し込む明かりを反射させながら、刃は子供に向けられる。


「ちょっと、待ってください」


 刃が下げられる。楽號がじとりとこちらを見た。


「その子は……先に私が能力を見せます」

「まあ、どっちが先かなんてどうでもいいからいいけど。見せてよ」


 楽號が後ろに下がる。私は前に進み出る。

 嫌な気配を全身で浴びる。

 は私に気が付くと、暫くじっと見つめていたが、音もなく立ち上がって、私に向かって駆け出した。そして、いつもと同じく、私の腹の中へと吸い込まれていく。サイズが小さいからか、不快感はあれど、吐き気までには至らない。

 そうした瞬間、楽號が勢い良く私の前に飛び出る。


「失礼!」


 と言って、あれの後に続くように、私の腹の中へと腕を突き出した。その腕は先程のあれと同じく、私の中へ入って行った。しかし、今回はいつもと違い、刺さったままの状態だ。


「うわぁ」

「動くな、抜ける」


 腹の中を弄り回される感覚がある。気持ちが悪い。底知れぬ恐怖を感じる。

 楽號は五分程、私の腹に手を突っ込んでいたが、何かに納得したのか静かに抜いた。

 私は足の力が抜けて蹲る。頭の中には、また誰かの人生が流れ出す。


 優しい両親。楽しい学校。やんちゃな友達。肝試しをしようと誰かが言った。ビルは工事を中断している。誰かが歩いた不安定な足場が崩れ出す。それは、目の前へと迫って。

 事故だった。工事中のビルに、肝試しとして侵入し、まだ組んでいる途中の足場を誰かが歩いたら崩れ始めて、それは一人に目掛けて倒れた。地面に赤い液体が溜まっていく。


「大丈夫か?」


 いつの間にか、横になっていた。心配そうに楽號が覗き込んでいる。


「大丈夫です。これをすると、いつもこんな感じになるんです」

「何か見えたか」

「その子の過去が見えました」

「そうか」


 体を起こそうとすると、楽號が体を支えてくれた。


「悪かった。こんなにしんどいものとは思っていなかったんだ」

「……私の能力、分かりました?」

「嗚呼。君の腹の中には、あの世がある。地獄でも冥府でもない新しいあの世、ルールも何もない新たな死者の国。だから、幽霊達は君の中へ入って行くんだ。そこなら、裁判を受ける必要も、金銭を要求されることもない。言ってしまえば、そこは死者の理想郷なんだ」

「あの世が……」

「そうだ。君、もしかしてイタコとかシャーマンとかの家系だったりする? 乗り移る系の」

「詳しい所は叔父さんに聞かないと分からないですけど、割と特殊な家ではあったみたいです」


 私の実家はもうない。父も母もいない。家にいた全ての人間が消えた。私だけが、助かった。私には何も分からない。私を引き取った叔父さんも、家のことは忘れろと言った。その通りに、私は実家に関わる多くの記憶を見つけられなくなっていた。


「暫く、休んでいこう」


 その提案は有り難かった。体が怠い。


「もう一人は僕がやる。まあ、そんな状態だから見てなくても怒らないさ」


 重い頭を支え続けるのが辛い。

 楽號の視線の先には同じようなサイズの影があった。恐らく、先程の走馬灯で不安定な足場を踏み外した子だろう。そのせいでさっきのあの子は潰れて死んだが、この子も同じく頭から落ちて死んでいたのだ。


 出来れば、あの子も一緒に取り込んであげたかった。斬られるのは、幽霊でも怖かろう。子供が斬られるのは、幽霊でもあまり見たくない。だが、今はそれを主張出来る元気がなかった。


 楽號は平然と歩きながら、短刀を構えた。そして、何の躊躇もなく影を斬りつけた。すると影はふわふわとして漂い始める。それを楽號は掴んで、腰に下げている小さな籠に入れた。


「土地との結び付きを断ち切り、浮かんだ霊を捕らえて、籠に入れる。それが、地縛霊に対する死神のする仕事だ」

「……」

「聞いてないね。まあ、いいよ。……吐きそう?」

「吐き、はしない。ただ、体が重くて」

「そっか。じゃあ、帰ろう。僕が責任持って背負うよ」


 楽號が私をおぶる。そのまま、階段の方へ向かう。私は少しうとうと、としていた。


 それ程広く見えなかった背中がやけに広く感じる。小さい頃、叔父さんにおんぶして貰った事を思い出した。違う。記憶の中には、叔父以外当て嵌まる人はいないが、別の誰かにもこうして背負われたような。


「暫くしたら、回復、しますから」

「無理に喋らなくていい。大人しくしていなさい」


 三日月が見下ろす町で、私は楽號に背負われて家を目指す。その揺れはまるで揺り籠のようで、気が付くと私は眠りの世界へと誘われていた。





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