第 2 話 感動のない再会
「夢だったんじゃないか?」
開口一番に彼女はそう言い放った。
「そうかなぁ」
私は食堂で買ったガパオライスをスプーンで突きながら、釈然としない気持ちでいた。
お昼時、私達はいつものように大学の食堂で落ち合い、ランチを共にしていた。そして、私は昨日の夜の出来事のことを、食事の添え物として提供していた。
彼女は、
曰く、「第六感はあるかも知れないが、幽霊はいない。あなたの過敏な感覚が、私や一般の人々の捉え切れない何かを捉えているのかもしれない。それはそれでよいものだ。世界の在り様は観測する人の数だけあるものだからだ。だが、やっぱり幽霊はいないだろう」とのことだ。
彼女は、本日の日替わり定食である生姜焼きを食べながら、少し微笑んだ。
「まあ、夢ではないとしてもだ。普通に考えて、警察案件じゃないか。付き纏うとも言っていたんだろう?」
「やっぱり、そうした方がいいよね。でも、何て説明したらいいのか」
「変な人がベランダから入ろうとしていたから、見回り増やしてくださいとかでいいんじゃないか? 詳細まで語る必要はないだろう」
肉を食んだ如月が、大盛りのご飯を口に放り込む。線が細い彼女の体のどこにこれ程の量が収まっているのか不思議なものだ。
うちの大学はスポーツが強く、ラグビーの強豪校でもあるということが影響しているのか、食堂のご飯の量が全体的に多く、下手に大盛りでも頼もうものなら、食べ盛りの男子大学生でも腹がはち切れそうな程の量が盛られるのだ。だからこそ、女性が大盛りを食べているのは人目を引く。横を通り過ぎる人が小声で「すげえ」だとか、「細いのに」などと言っているのが聞こえる。慣れているのか、彼女は特に反応しない。
だが、彼女が人目を引くのはそればかりが理由ではない。
知的な涼やかな眼差し、黒く綺麗に切り揃えられたショートボブ、つんとした鼻は小さくもなく大きくもなく、小さな口にはテラコッタと言うのだろうか、オレンジやベージュみのある赤の口紅が塗られている。友人であると言う贔屓目で見ても美しい人だ。オーラのある人なので、モデルだと紹介しても疑われないだろう。
そんな美形が大食いチャレンジのようなことをしていたら、誰だって二度見くらいはするかもしれない。本人としては日常だから、迷惑だろうとは思うが。
私は彼女とは同じ学科専攻で、お互い孤独に過ごしていたが、ひょんなことで少し話してから、徐々に会話が増え、今は昼飯を共にする仲となった。
「夢だと思いたくなってきた」
「あ、面倒臭くなっただろう」
「警察に相談って、ハードル高くないか? 余りに現実味がなさ過ぎて、自分の勘違いのような気がしてきた」
「……あなたの、人の話を肯定的に受け取ろうとする姿勢は素晴らしいと思うが、それで自分の記憶や意見が歪められてしまうことには注意が必要だと思う」
「ううーん」
「ただでさえあなたは記憶があやふやなのだ。気をつけ過ぎて困るということもないだろう。私が言うものではないが」
そう言って、彼女は箸を置き、手を合わせて「ご馳走様」と呟いた。完食である。見事。
私も追い付こうと、ガパオライスを口に放り込んだ。思っていたよりも辛く、少しお腹に違和感を感じ始めている。
「記憶と人格は密接に絡むもの。一方が曖昧であれば、片方も曖昧であり、その逆もまた然り、とも考えられる。あなたの場合、記憶が定まらないから、人格と言うか意思がその、ふにゃっとしているのではないか?」
「それは違う。確かに私の記憶には穴があり、意思も薄弱だが、もし記憶が蘇ったとしても、私は私でしかない。意思薄弱な私だ。違う他人にはなれない。それは、記憶が蘇っただけの私で、記憶を失う前の私がもし屈強な意思の持ち主だったとしても、そういう風には戻らないんだ」
「君がそうであるのは君だからで、記憶に影響された訳ではない。また、記憶が戻ったとしてもその君は今の君と地続きで別人になる訳ではない。だから、記憶と人格の関係性はないと?」
「完全にない訳ではない。やっぱり人格は記憶の積み重ねで出来ている面がある。人は学習する生き物だからね。ただ、私の場合、どうにか築いたのがこれで、他の人と同様に今更大幅な変更はきかないというだけの話だよ。積み上げて来た城の大規模改築とか、凄い大変だろう。敢えて格好良く言うなら、人格形成は不可逆なのだ」
如月は微笑みながら、ふむと頷く。私は続けて言った。
「つまるところ、私の場合は記憶があやふやだから意思薄弱なのではなく、元々そういうタイプだったということだよ」
「なるほど」
今回は私の負けだと如月は顔に出した。クールな美女と思われているが、存外表情豊かでこのような表現も出来るのだ。
「それは兎も角として、話は戻るが、死神なんている筈がないと私は思う。その人は生きた人間で不審者だ。次に見たら、逃げて通報なさい」
「善処します」
「因みに特徴は?」
「前髪と睫毛が長くて、ローブを着ていた。後、短刀持ってた」
「凶器も持ってるのか。危険極まりない奴だな。私の護身用スタンガンを貸してあげるから、暫く持っていなさい」
足元に置いていた黒く大きなリュックサックから、無骨なスタンガンを取り出す。
「いつも持ち歩いているのか?」
「備えはあった方がよいでしょう。まあ、リュックだし、中は荷物でぐちゃぐちゃだから、必要な時に直ぐには取り出せないんだが」
「意味ないじゃん」
「お守りさ。君にとってはもっと実用的なものになるからいいだろう」
如月はガタンと机の上にスタンガンを置く。私は有り難くお借りする。鞄に入れる時、怪しい取引をしているような気分になって、周りの目が気になった。しかし、こそこそとする方が逆に怪しく見えるかもしれないと、なんてことないと言った顔を取り繕った。
食器を片付けに、彼女は席を立った。
私は最後の一口を食べる。辛くて、口が全ての刺激に反応する。水だけが味方だ。だが、美味しかった。また、頼もう。
戻って来た彼女と代わって、今度は私が席を立つ。食器を下げ、また席に戻る。
「その死神男、もしまた現れたら、私に連絡してくれ」
「何故?」
「話してみたい」
「さっき危ない不審者だから逃げろって話してなかった?」
「言った」
ふふっと彼女は上品に笑う。
「私の研究対象はあの世についてだからね。死神なら沢山知っているだろうさ。だから、連絡してくれたまえ。私の卒論の進行に関わる」
「死神と認めると?」
「それを確かめるために話すのだよ」
それではね、と言って彼女は去って行った。時計を見ると、もうすぐ午後の授業が始まる時刻だった。
私も席に立ち、講義を受ける教室を目指す。
異界についての講座で、今日の授業は映像を見る授業だ。緩い教授なので、緩く受けてても大丈夫だろう。
────────────────────
家に帰ると、掛けた筈の鍵が掛かっていなかった。
中に入ると、
狭いキッチンに、レシピ本、まな板、食材と犇めき合っている。火にかけられた鍋からは、何か美味しそうな匂いが漂ってくる。
楽號の野菜を切る手つきは、慣れてるとも言い難いし、不器用で見てられないとも言い難い、微妙な腕前をしていた。手慣れてはいなくて少し時間が掛かるが、丁寧な仕事をすると言った感じだろう。
「おかえり」
「何でいるんですか?」
「調査すると言っただろ」
こちらに見向きもせず、レシピ本と睨めっこしている。
「何で料理してるんですか?」
「君が生き物かどうか確かめるため。後、同情」
「メニューは何ですか?」
「肉じゃがとほうれん草のおひたしに、白飯、味噌汁だ」
「うわ、最高じゃん」
「だろ?」
得意げに笑う。その手にはヘラがあるが、短刀はない。
鍋の中の物を一混ぜした後、火を止める。完成したのだろう。私は棚から楊枝を取り出す。
「少し冷ますから、ご飯はもうちょい待っててくれ。これは味を染み込ませるために重要な……あ、こら。摘み食いをするんじゃない」
「おいひい。熱いけど」
「出来たばかりなんだから、熱いに決まってるだろう」
その日の楽號はローブを着ていなかった。白いシャツに黒のスキニーを履いている。玄関にあった靴はスポーツサンダルだった。
腰には小さな虫籠のような物が提げられている。これは何だろう。
「大体君ね、初対面の時の警戒心はどこやったの。普通食べるか? 突然、押し掛けてきた奴の作った料理を」
「美味しそうだったから、つい」
「いつか毒盛られるぞ」
「私は貴族でも王族でもないので、大丈夫です。それはそれとして、貴方を警戒しています」
距離を取りつつ、鞄を置いて、上着をハンガーに掛ける。一応、如月の顔を立てるため、鞄は開けておいて、直ぐにスタンガンを取り出せるようにしておく。
茹だった鍋にほうれん草を入れながら、楽號は「どこが」と呟いた。
携帯電話を見ると、十八時になる所だった。ついでに炊飯器を見ると、後三十分程で炊き上がるようだった。
「友人に言われたんです。貴方は死神ではなく、生きた人間だから、次見たら逃げて通報しろと」
「賢明なご友人だね。通報した所で意味がないことを除けば」
「そして、自分に連絡して、そいつと会わせて欲しいと」
「何のために?」
「卒論のためです」
「死神について研究してるのか?」
「いいえ。彼女の卒論のテーマはあの世です。中でも、死のモチーフを調べている。死神はまさにそうでしょう」
「ふーん、あんまり興味ないけど」
楽號はほうれん草をザルに引き揚げる。ほかほかと湯気の出ているそれを冷水で冷やし、手でぎゅっと水を絞る。
「純粋な戸惑いなんですけど、どうやったら貴方が死神であると確信出来ますか?」
「それ、相手に直接訊くの悪手だと思うな」
保存容器に出汁と醤油を混ぜて、そこにほうれん草を浸した。味が染みればお浸しの完成である。
「だって、判断材料がないです。今の所、貴方は死神を名乗る不審者、幽霊が見える変質者、死神のどれかで、どれにしても通報した方が良いのではないかと悩んでいる所です」
「こうして聞くと、通報一択しかないなこの状況」
容器の蓋を閉め、冷蔵庫に仕舞った楽號は少しうーんと悩んだ。
「僕としても、僕の名誉のために変質者呼ばわりは避けたい所だ。そうだな、例えば、行き交う人々と衝突しても認知されない場面を見て貰えば納得出来るかな?」
「人様の迷惑になることはちょっと」
「じゃあ、目の前をうろちょろするだけにするよ。それならいいだろ」
「それなら」
「よし、近くに公園とかある?」
「十分程歩けば」
「そこ行くぞ」
楽號がずんずんと玄関に向かう。私は慌てて、鞄を持つ。急いで電気を消して、ドアに鍵を掛ける。そして、とっくに階段を降りて、公園と逆方向へ歩き出した楽號の背中を追い掛けた。
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