第6話 私と生きませんか?
冬は日が短い。まだ6時なのに辺りが暗くなってきた。もう何時間居るんだろう…暗くなってきても店にお客さんは誰も来なかった。
--今夜一緒に見に行って見ませんか?
店主が突然そう言い出して、そういう流れになった。
どうしてまだ会ったばかりの人と自殺しようとした現場に行かないといけないのか…なんて疑問はなかった。
行かないといけないと思った。でも、一人だったら怖かった。誰かが付き合ってくれるっていうだけで気持ちが軽くなった。
誘われないと行く気になれない--なんとも情けない話だけど……
「……なんで一緒に行ってくれるんですか?」
カウンターの向こうでぼんやり座ってた店主に尋ねた。
「行きたいから。」
返ってきた返答は実に単純で拍子抜けした。
「行ったことないんです…一度行ってみたくて…」
「行ってみたい……」
「結構名所なんですよ?桜の時期になったら結構観光客が見に行くんです。」
「……へぇ。」
イメージと違った。自殺場所に選ぶくらいだから人気のない寂しい情景をイメージしてた。
それにしてもなんで俺となんだろう…?
そんな疑問も口に出すことなく俺はコーヒーを啜ってた。おかわりはキリマンジャロを頼んだ。
店主の言った通り、甘い香りと強い酸味が心身ともに疲れてた体によく染みた。
店を閉めると店主は言って片付けを始めた。表の看板をひっくり返して扉に鍵をかけた。
「……あの。お金……」
店じまいをする店主に俺は1万円札を差し出した。店主はキョトンとしてお金を見つめてた。
「前回の分も合わせて……足りませんでした?」
「サービスですよ?」
「いや…お金入ったので。」
半ば強引にお金を押し付けた。店主はちょっと驚いたような顔をした。飲食店で飲み食いしてお金を払ったら変な顔されるなんて、変な話だ。
「いただいておきますね。」
彼女はニッコリ笑って1万円札を受け取った。触れた指先はひんやり冷たかった。あんまり冷たいからハッとした。
手の冷たい人は心が温かいって聞いたことある。もしかしたら彼女の提案も、俺のことを案じての心遣いなのかもしれない。
見ず知らずの人にサンドウィッチ渡したり、ただで飲み食いさせたりなんて、そんな人そう居ないだろうから……
お釣りのお札を受け取りながら、この人は優しい人なんだって勝手に思った。
********************
裏口から店の外に出た。太陽はすっかり落ちて熱を失った外の空気はさらに冷え込んでた。
車で行くということで、俺は彼女のあとについて店を離れる。店から少し歩いた先の月極駐車場に彼女の車はあった。
がらんとした駐車場の端っこに、黒いセダンが停まってる。トヨタのクラウンだった。今よく見る形じゃないから古いモデルだと思う。
クラウンって高級車のイメージがあるけど、お金持ちなんだろうか……
「どうぞ。」
「はい……」
促されて助手席に乗る。
エンジンがかかり車体がブルブル震えてライトがついた。店主の細い指がハンドルを握りゆっくり砂利の上をタイヤが転がり始める。
「二月川ってどこにあるんですか?」
「桜区ですよ。ここからだと30分くらいかかりますかね。」
「桜区……」
確か俺の母校も桜区だった。
「二月川は晴れた夜には空の月を水面が反射してふたつに見えるからそう呼ばれるらしいです。桜の木がいっぱいあって春に桜の花びらが川をゆっくり流れていく様は綺麗なんだとか。」
「へぇ……」
月がふたつに見えるから二月川…だから夜に行こうと言ったのか。確かに今日はよく晴れてる。
「桜区は桜の名所ですから。花見シーズンは夜桜を見に来た花見客で賑わってたんです。でも最近は花見後のゴミの問題で河川敷での花見ができなくなっちゃいましたけど。」
「そうなんだ…入れるんですか?敷地…」
「さぁ?」
ハンドルを切りながらシガーライターを押し込んでポケットから煙草を取り出した。ぷっくりした口が白い煙草を咥え込む。
「どうぞ。」
店主は隣の俺に煙草の箱を差し出した。一本飛び出した煙草を俺は見つめる。条件反射的に俺はその一本を咥えてた。
火をつけてもらって煙を吸い込む。
……俺煙草吸うんだ。
今年20歳のはずだから学生の頃吸ってたのかもしれない。なんの疑いもなく煙草を咥えて煙を吸い込んでた。暗い車内にふたつの煙草の火が灯ってた。
「…俺、不良だったのかも。」
「え?似合わないなぁ。」
鼻先で赤く燃える小さな点を眺めながら呟いた。隣の店主は可笑しそうに笑ってた。
「……お名前、聞いてもいいですか?」
俺は彼女の横顔に尋ねてた。過ぎ去っていく町の明かりに薄ら照らされた彼女の顔がこちらを向いた。
「…すみません。」
「白鳥です。
「…しゅうな。どういう字ですか?」
「柊に奈良の奈です。」
「……綺麗なお名前ですね。」
我ながらキザな台詞が出た。お世辞じゃなくてぽんと口をついてでた言葉だった。だから多分本心だ。
煙草を咥えたまま口端を持ち上げる彼女はまた楽しそに笑った。
「ありがとう。憐さん。」
名前を呼ばれながら流れていく寂しい街並みを目で追う。夜の町はまた違った顔を見せていて、でもやっぱり寂しげだった。
笑顔が似合う人だな……
俺はそう思った。
--桜区に入ったら途端に町が明るくなった。
港中央区に近いからか人も増えて、仕事終わりの会社員やらが道に溢れていた。カラオケやら飲み屋やらが乱立し、鍛冶山区に比べて栄えてる印象を受けた。
そこからさらに走る。町の賑わいを置き去りに国道を走っていくと、喧騒も落ち着いて民家の立ち並ぶ住宅地が近づいてきた。
「ここら辺に車停めときましょうか。」
近くのコンビニの駐車場に車を停めて俺たちは降りた。
「うわぁ、寒いですねぇ。なにか飲みます?」
「じゃあ奢ります。」
「無理しないでいいですよ?」
白鳥はそのまま俺を残してコンビニに入っていった。仕事着のままの彼女の服装は確かに2月の夜には寒いだろう。
しばらくして戻ってきた彼女から温かい緑茶を受け取る。クラウンに体を預けて二人で並んで飲んだ。
「この先を登っていくと二月川の中流ら辺に出るはずです。」
駐車場から奥の坂道を指さす白鳥の人差し指の向かう先、ぽつぽつと点在する街頭に照らされた坂道が伸びていた。
坂道の両側には細い枝を風に揺らす木々が立ち並んでいる。あれも桜だろうか…
「……ねぇ憐さん。本当に行きます?」
「え?」
「いえ、実は乗り気じゃなかったら悪いなって…無理矢理連れてきたような気がして……」
「ここまで来て今更……?」
「ですね。あはははっ。」
ポケットにお茶をねじ込んで白鳥はぴょんと跳ねるように俺の前に立つ。見つめる俺の前で小さな手を伸ばしてくる。細い五指には淡い海色のネイルが施されてた。
「行きましょ。」
坂道を下ってくる風を受けながら俺たちは暗い坂道を登っていく。こんな時間にこんな寂しい坂を男と女が登っていってたら、傍から見たら心配になるかもしれない。
俺たちを見下ろす枯れ木たちが枝を打ち合わせカラカラ音を鳴らす。ヒリヒリする冷たさが頬を刺激して、たった今お茶で温まった体がもう震えだす。
花見スポットにしては暗くて寂しい雰囲気。俺たちの行先に小さく灯る街頭が暗闇に誘うように待ち構えてる。
躊躇うように足が重くなっていくのは、寒いからだろう……
随分歩いた。
上に行くにつれて桜の木も多くなっていく。同時に、サラサラと小さな水の流れる音が耳に入ってきた。
川が近いらしい…そう思ったとほぼ同時に、大きく道が開けた。
整備された歩道に出た。ガードレールが設置された向こう、上から桜区の町並みを望める景色が広がっていた。
結構上まで登ったから、ちょっとした夜景だった。色とりどりの明かりが夜の町の静けさをかき消してる。すぐ後ろは明かりもなくて真っ暗な分人々の灯す町の光が際立ってた。
「こっちですよ。」
夜景を眺めてた俺の手を白鳥が引いた。ガードレールから離れて奥に歩く。
反対側に歩いた先で、強い川の流れる音が鼓膜を叩いた。
整備された河川敷の先に下に向かって流れていく強い水の流れがあった。勢いよく流れる川は夜の静寂を呑み込んで駆け抜けるようにキラキラ光る水を運んでいる。
「ここが二月川……」
やっぱりイメージと違った。月が映り込むって言うからもっと静かな流れの川なのかと思った。
でも、最初にイメージしてた二月川とは重なった。
白鳥の言う通り川を挟んだ反対側には桜の木が窮屈そうに並んでて、春になったら空を埋め尽くす勢いでピンクの花びらが咲くんだろうなってその光景を容易に想像できた。
「飛び込んだのはもっと上の方ですよね。」
白鳥は河川敷のすぐ脇を歩きながら振り向いた。俺もそれに続いた。
またしばらく登っていくと、いよいよ町の明かりも街頭もなくなって、桜の木も生えてなかった。伸びっぱなしの草が足首にチクチク刺さった。山の中って感じだ。
川沿いに登っていく程川の流れは強くなり、月も星も巻き込む水の流れは真っ暗だ。
だいぶ上まできた。もう上流だろう……
上流付近に少し開けた場所があった。暗闇の中で草が生い茂り、そこら辺に大きな岩が転がってる。
白鳥は川のすぐ近くの岩に腰掛けた。整備されてない川岸は暗いのもあって一歩間違えたらそのまま川に入ってしまいそうだ。
ライターの火が白鳥の顔をぼんやり照らした。俺も並んで腰掛けた。彼女の咥えた煙草の火だけが夜闇を割いて俺たちの手元を照らしてた。
「憐さん憐さん、上。」
「上?」
白鳥に言われて頭上を見上げた。黒い木々の枝葉に囲まれた狭い夜空には、精一杯に輝く星々がきらめいてる。
夜空を照らす自然のランプ……ただ、遠い遠い俺たちの足下までは届かないけど。
「星……」
「綺麗ですねぇ…上の空気は澄んでるからよく見えます。」
見とれるように白鳥の紅い双眸が星を眺めてる。彼女の指に挟まれた小さな星が煙草を離れて土に落ちる。
「あれ知ってます?シリウス、でプロキオン…ペテルギウス。」
「冬の大三角?」
「そうです。あの三角形の中を天の川が流れてるんですよ。」
「見えない。」
「見えないですねぇ。」
夜空から視線を外して後ろの川を見る。夜空を鏡のように映すはずの川は、ただの黒い濁流だ。天の川とはえらい違い。
「……なにか思い出しました?」
「……いや。」
空を見上げたまま白鳥は小さく笑った。暗くてよく表情は見えない。でも、少し寂しそうだ。
「付き合ってもらったのに…ごめんなさい。」
「……敬語、やめません?」
白鳥は立ち上がって岩の上に立った。不安定な足場に後ろには冬の川。
「危ない--」
「ねぇ憐さん。」
白鳥の弾むような声音は川の流れの中にあって自然と耳に入ってきた。意識しなくても呼吸で酸素が体に取り込まれるみたいに。
「だぁれも、あなたを知らない……」
「……え?」
「あなたの過去も、大切な人も、この川に呑み込まれてどこかに行っちゃった。この流れに入っていったら、思い出すのかな?」
白鳥の声に背筋が凍った。
背中に氷が這うような、怖気に似た寒気……
「……どういうこと?」
「死にたくなりました?」
冷たい氷の紐が心臓を締め上げる。心臓が、破裂しそうなほど脈打った。
それは、俺の心の中を覗いたような問いかけで、同様に揺れる視線は星空をバックに立つ白鳥から目を離せなかった。
「ひとりぼっちで、誰も頼れなくて、なんにも思い出せなくて未来の展望もなくて……」
「……。」
「過去ばかり見てて、なんにも前に進めない。」
冷たい毒牙がねじ込まれていく。
出会ったばかりの女に、全部知ってるような口ぶりで、俺の空っぽな所を突かれていく。
--生きてたってしょうがないじゃん?どうせ死のうとしたんでしょ?
そんなふうに言われてる気がして、目の奥が痛いくらい熱くなった。
泣くな、みっともない……馬鹿か俺は……
「……死んだ女を追いかけて、過去を追いかけて今を捨てるのと、背を向けて歩いていくの、どっちが苦しいですか?」
白鳥は背面の川を見て、俺にゆっくり手を差し伸べた。
星が一層輝きを増した気がした。荒い流れが奏でる轟音が耳に入らないくらい、白鳥の立ち姿は静謐で静かに見えていた。
「どっちでも、いいんですけどね…いいけど、もし、忘れちゃった思い出が苦しいんだったら……」
唇が紡ぐ。唄う。甘い毒を風に乗せて--
「私と生きませんか?」
真っ暗な地面と星の浮かぶ空。黒い波が音をかき消す。
俺が終わった場所で、彼女は俺にそんな甘言を投げかけた--
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