第3話 どうして自殺なんか……
「……まじかァ。」
『杜の隠れ家』から歩いて一時間以上たった。腕時計なんて気の利いたものは無かったから今が何時かは分からなかったけど、もう外は真っ暗だ。
それに加えて雨は本降りになって、風に煽られる横殴りの雨が足元をびしょびしょにしてた。
体を冷やしながら駅まで戻ってきたと思ったら、港中央区行きの電車は強風の為遅延してた。
「もしかしたら運休かもね〜。」
「タクシーかなぁ、お金ある?」
駅の電光掲示板の前で学生がそんなことを呑気に言い合ってる。
…ここからタクシーで帰ったらいくらだよ。
途方に暮れながらもとりあえず駅のベンチに座って様子を見ることにした。運休とは出てないから待ってたら来るだろう。
ホームに降りたら雨に濡れそうだったから改札の前で待つ。
目の前の自販機で温かそうなコーヒーを買ってるスーツ姿のおっさんが横切っていく。自販機のジュースをなにも考えずに買えるようになったら経済的に大人だって、誰かが言ってた。そんなことないだろう学生でも120円くらいポンと出す。
……誰だったかなぁ。
こんなくだらないことは覚えてるのになぁ…なんて嫌になる。聞いたのは目を覚ます前だったか後だったか…
しばらく待ってたら遅延してた他の路線の電車が到着したとアナウンスがかかる。もうすぐ港中央区行きも来るかもしれない。
同じようにベンチで電車を待っている人達はみな示し合わせた見たいに手元のスマートフォンに視線を落としてた。携帯があれば待ち時間も気にならないんだな。
「……そういえば俺の携帯、どうしたんだろう。」
目が覚めてから一ヶ月、それどころじゃなかったのもあったが、俺の当時の所持品は残ってるんだろうか?藤城に訊けば分かるんだろうか。
あとどれくらいで電車が来るのか訊いてみよう。
暇な俺はそう思い立ち改札まで歩く。歩く度びしょ濡れになった靴の中でジャブジャブ溜まった雨水が揺れてる気がする。
改札横の窓口に駅員の姿を見つけて声をかけた。
「すみません。港町駅まで行きたいんですけど…電車あとどれくらいで来ますか?」
「少々お待ち下さい。」
対応してくれた女性の駅員は手元のファイルを持って奥に引っ込んで行った。すぐに戻ってきてまた手元のファイルを開き視線を落としたまま応対する。
「港町駅は遅れております18時22分の峠坂行きの快速がただいま40分遅延しておりまして--」
駅員を見つめる俺に彼女も頭を上げて視線を向けた。なんにも不自然では無い動き。それは俺も向こうも同じだった。
「あと10分ほどしましたら8番ホームに……」
目を合わせた駅員の瞳は真っ黒だった。
構内の蛍光灯の明かりを反射する瞳は濡れたように薄ら輝き、双眸の鎮座する顔は中性的。
後ろで結んだポニーテールと色白な肌じゃなきゃ男かなって思ってしまうくらいには…
無難に整った駅員の顔は10人が10人『普通か美人』っていうレベルだった。
そんな普通の駅員が俺の顔を見て固まった。
目を大きく見開き、真っ直ぐに俺を見つめたまま石にでもなったように微動だにせず向かい合う。
突然のことに俺は思わず後ろを振り返った。映画とかでありがちな向かい合った人が驚いて振り返ったら敵とかクリーチャーがいるあれかと思った。
でも、誰もいないし特に変なものもない。
……俺?
窓口の向こうに座った男性の駅員も、固まった女性を見て怪訝そうに様子を伺ってる。それくらい長い時間、彼女は俺を見つめてた。
このままお見合いしてても変だから俺は早々に立ち去ろうと口を開く。
「あと10分くらいですか。どうも……」
会釈して窓口を離れようとする俺をまだ見つめてる。青い制服のシャツの胸元、目に入った名札には『
「……なんで。」
「え?」
背を向けて立ち去ろうとする俺に、駅員の犬山はぽつりと呟いていた。
その顔からは心做しか血の気が引いていて、冬の寒さで白んだ肌が青白くなっている。
まるで幽霊でも見たような……
「……?」
俺が背を向けて歩き始めてもまだ、彼女は俺の方をじっと見つめていた。同僚が後ろから近寄ってくる頃には額に玉のような汗が浮かんでいた。
「……俺、顔怖いのかな?」
駅員の反応が気になって俺はトイレに入って洗面台の前で鏡を覗き込む。
雨に濡れた長めの黒髪。黒い瞳に前髪がかかっている。普通だ。多分……
若干切れ目で目付きが悪いかという程度で、特別変なことは無い……と思う。
服装も濡れてる以外多分普通……
そんな幽霊や化け物にでも会ったような反応をされるような奇特な格好では無い。
「……それともなんか変なのか?自分じゃ自分のことは分からんな…」
気にしても仕方ない。
トイレを出て構内の時計を見た。駅員の話じゃそろそろ電車も来るということだ。
その足で改札に向かい切符を通した。開いたゲートを通り抜ける時、窓口が視界に入った。
窓口の前に立つ犬山という駅員は、改札を抜けていく俺をやっぱり見つめていた。
先程のような大袈裟な驚きようはしてないが、その視線は半分落ちた瞼の影に伏せられ、不安とか恐怖みたいな感情を想起させた。
……?
不可解な視線に見送られながら改札を抜けてホームまで続く階段を降りていく。
最後まで背中にへばりつくような視線を感じたまま……
********************
「昨日はお出かけでしたか?」
翌日の朝、施設を尋ねてきた藤城と連れ立ってコンビニに向かってた。お金がないのでたまに奢ってくれる。
「鍛冶山区まで…」
「もしかしてかつてのご自宅に?なにか思い出しましたか?」
「……いや。」
藤城は俺が記憶を取り戻すのを待ってる。なにか糸口になればと俺の過去の住所やらを教えてくれた。俺もそんな彼に応えるように足を運んだけど……
「……そうですか。」
「如月先生の話じゃ、景色とか、音楽とか…そういうものに刺激されて関連する記憶を取り戻すことがあるって話…そこから一気に記憶が戻ることもあるって……」
「……。」
「先生は気長に様子を見ようって言ってますけどね。」
「何食います?黒井さん。」
「あ…じゃあ--」
コンビニの駐車場で奢ってもらったメロンパンを頬張った。隣で藤城は買ったばかりの煙草を吹かしてる。
遠くの方で白んでいく空に紫煙がゆっくり立ち上っていく。まだ白い息が出るんじゃないかってくらい朝は寒い。冷たい空気が噛み付くように肌を撫でていく。
「……藤城さん。あの女の子の写真、貰えませんか?」
「あの女の子?」
「ほら……俺と心中したっていう……」
「ああ、那雪菜月さん。」
藤城は懐から写真を取り出して手渡してくれた。
写真の向こうの彼女と目を合わせる。絵画にでもなってそうな美貌が俺を見つめ返してる。目を見てたら吸い込まれそうだ。それが怖かった。
「……どういう関係だったんだろ。」
「一緒に死のうとするくらいだから、そういう関係だったのでは?聞き込みでは、親しくしていたとのことでしたけど……」
「親しく……」
「詳しい関係はあまり分かりませんでした。あなた、学生時代はそれほど交流が多かったわけではないようで、それに……」
藤城は一瞬躊躇ってから俺の顔色を伺うようにちらりと横目で一瞥した。
「……それに、あなたの母校はあなたが自殺未遂を起こした直後に放火にあっていて、同級生たちや当時の教員もかなり亡くなられてますから……」
「放火?」
「ええ…犯人はあなたの同級生でした。」
ショッキングな内容に開いた口が塞がらない。
「それ、いつですか?」
「二年前の12月24日、あなたが二月川に入った翌日です。」
不穏なものを感じて俺は言葉が出なかった。2月の早朝だって言うのに体の奥から汗が吹き出した。心臓が激しく唸って体が熱い。
偶然なんだろうか……いや、偶然だろう。
放火があった日には俺は昏睡状態なんだ。どう関わると言うんだ。
はっきり言いきれない。覚えてないんだから……
藤城らがこんなに熱心に捜査をして俺に会いに来るのも、この一件がただの心中事件だけではないからなのではないか……
そんな嫌な予感がゾワゾワと這い上がる。脚を虫が登ってくるみたいだ。
「……偶然、ですかね?」
「どういう意味ですか?」
失言だった。口をついて出た俺の呟きに藤城が敏感に反応した。俺は誤魔化すように愛想笑いを浮かべる。
「……いや、別に。悪いことが重なってるから……その犯人って……」
「事件で亡くなってます。
「……いや。」
だから覚えてねぇって言ってんだろうが。
「犯人、死んじゃったんスか。」
「ええ、結局動機も不明です……」
「そッスか……」
藤城の吐き出す煙が目の前を白くする。霧に巻かれたみたいだ。
がらがらの駐車場を強い風が吹き抜けて、体を冷やす。上昇してた体温を奪い去り、汗がひんやりと体をクールダウンさせてくれる。急に冷たくなって俺はダウンジャケットのポケットに手を突っ込んだ。
「寒いですね。帰りますか。」
「はい……あの。」
「はい?」
俺はさっき受け取った那雪菜月の写真を掲げて藤城に尋ねていた。その質問は、さっきの失言での怪しい印象を払拭しようという無意識が働いた質問だったのかもしれない。
「この人は、どういう人だったんですか?」
どういう人だったという発言にまた失言だと感じた。彼女は行方不明。まだ死んだって決まったわけじゃないのに……
「ああ……調べれば分かりますけど……」
「調べる?」
「画家ですよ。学生業の傍らで絵描きの活動をされてたんです。」
思いもよらない返答に俺は思わず写真を見返した。
性格とか交友とかそういうのを尋ねたつもりだったけど、藤城の口ぶりからして結構な有名人なのかもしれない。
「お父さんも著名な画家でして…
「……へぇ。」
そんな子がどうして……
写真の向こうで微笑んだ美少女と、『自殺』という単語がどうしても結びつかなくて困惑した。
いやそれより、自分と彼女の間に何らかの交流があったという方が、なんだか現実味がなかった。
「……そういえば、お仕事はなにか見つかりましたか?」
「え?いや……まだ。」
並んで歩きながら藤城はなんでもない話題のようにそう切り出した。
なにもしてない俺はバツが悪くて頭を下げていた。別に自分のことなんだけど、世話になってるのでなんだか申し訳なく感じた。
「まぁ、今は就職難ですから……」
寒空を仰ぎながらそんな夢も希望もないことを口にする。
でも、いつまでも生活保護って訳にもいかないだろう……なんでもいいから収入は必要だ。
この先は一人で生きていかないといけないんだから……
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