11

 久しぶりに訪れた目覚めの感覚に、むしろなにが起きたかわからなかった。

 左手首を触るとやわらかい感触がした。顔を触ると私のものらしき鼻があった。雀の声がしていた。乱暴に引かれたカーテンの合間から射しこんだ光が私の腰までを覆う毛布にかかっていた。

 部屋はいままでと同じように雑然と散らかっていた。カレンダーは四月のまま。参考書や漫画本は手を付けなくなったせいで学習机のうえでホコリを被っている。何一つ変わらない。

 けれど何かが起きてしまった。

 そのことは知っていた。

 甘酸っぱい残り香がツンと鼻を刺す。口のなかがベタついている。なにを、食べた?

 枕元のスマホを取って時刻を確認すると遅刻しそうな時間で、日付は昨日から見た次の日を指している。これは夢じゃないはずだと思いながら、けれどいつから夢じゃないのかハッキリしないせいで断言できない。

 左手首のミサンガを撫でる。柔らかい感触は確かにそこにある。アリス。アリスに話さなきゃ。とにかくそうしたかった。自分ひとりで抱えきれなかった。だから着替えて走った。母の声が背中に聞こえた。道には生徒の姿は見えない。アリスとも出会わない。走っているのに身体がどんどん寒くなった。

 遅刻しそうなくらい寝坊したのだから当然だ。学校へ行けばアリスがいるはずだ。学校にいなければ家にいるはずだ。二人で分かちあえばきっと大丈夫だ。

 でももし学校へ行ってもアリスがいなかったら? 家にいってもアリスがいなくて、そもそもアリスなんて女の子を誰も知らなかったら?

 今までのすべてが夢でここからが現実なんだとしたら、私はとっくに発狂していることになる。そうじゃないはずだ。本当に?

 走っているせいで頭が回らない。私は私が正気である証拠を探ろうとする。なのに母さんの顔すら思い出せないことに気づいて愕然とする。アリスの顔は目に浮かぶのに。

 橋を渡り交差点を抜け通学路を走り抜ける。予鈴が聞こえる。このままだと遅刻だ。疑われたら問い詰められて面倒事になって無意味な説明を繰り返すことになりかねない。みんなにおかしなやつと見られるかもしれない。嫌だ。

 走る。

 走って、校門が見えたとき、白黒の自動車が目に入った。

 足が急に重たくなって、つんのめる。姿勢を崩さないようにしながら、近寄る。声が聞こえる。ふわふわの髪が太陽のせいで砂漠のおもてのように輝いていた。アリスがいる。でもアリスは怒っていた。

「だから、あの日の夜、チサはずっとわたしの家にいたんです。監視カメラの映像をご提供しますから、それで疑いは晴れるはずです。チサに事情聴取なんてしなくていいってそれでわかるはずです」

「落ち着いてください」白々しく婦警は言った。遠くなのに声はなぜか聞こえてきた。「私たちも命令に従っているのです。こういう場合の形式というのがあってそれを履行することが求められています。なにも逮捕するわけじゃありません」

「昨日の件だって睡眠外来に問い合わせたらわかるのに、なんでそっちに行かないんですか! 疑うまえにやることがあるでしょう」

「あ」

 婦警の隣で手持ち無沙汰にしていた警官が私に気がついた。

「ちょっと!」

「落ち着いてください」

 引き留めようとするアリスを婦警が押し留め、男は私の前に立った。

「地平チサさんですね。ちょっとお話を聞かせてもらえないでしょうか」

「話って、なんですか」

 男は緊張した様子で言った。

「昨日、進学塾の路地裏で起きた殺人事件について、知っていることを話していただけないでしょうか」

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