疑惑
5
夜が燃えていた。いまだ青を保とうとする空を、静かに夜が飲みこんでいく。
音もなく周り続ける観覧車を見上げていると、昼の名残りは忘れ去られ、視界から熱が消えていった。
安っぽい音楽が人ひとりいない遊園地に響く。どこかから聞こえているのではなく、内側から音が生まれている。本当に音楽が鳴っているのは私のなかなのか、それともこの景色それじたいが音楽を奏でているような気もする。
世界から熱が奪われていくあいだ、私はずっと観覧車の前に立っていた。
誰もいない遊園地だった。子供も大人もいなければ風船をくばる着ぐるみもいない。道のレンガの隙間には汚れがたまり、施設を囲う事故防止用の手すりはほとんど錆びていた。
打ち捨てられたような寂しい風景なのに懐かしかった。ここに来たことがある、と思った。そう思ったのは闇夜が地のおもてを覆った頃で、そうしてようやく、景色が移動を開始する。
景色が動いているというのに、まるで映画を見ているように、私はそれを傍観している。景色は左右に揺れながら、なにかを探し求めるように、一つひとつ遊具をめぐっていく。大きく揺れる船を横目に花壇を通りぬけながら、なにかの影を探すように地面に目を落としていると、きしむような音がする。
顔を上げるとそこに無人の白馬がいた。誘うように微笑みながら、その胴体を見せ、尻を向ける。よく見ると、耳が欠けていた。
透明人間を乗せたメリーゴーランドは、夜に咲いたけばけばしい花のように光を放つ。
そこに懐かしい影を見た気がして立ちすくむ。けれど馬車を見ても、王子が乗る馬のおしりを見ても、そこには誰も乗っていない。視界はまた放浪を始める。
スタートラインで乗り手を待ち続けていたゴーカートは、ハンドルやタイヤのゴムが朽ちている。
お化け屋敷のなかを通っていくと、人を待ちくたびれたのか、おばけたちはみな死んでいた。頭が取れたり、首が傾いだり。
出口を抜けると、月明かりのしたで、鋼鉄を捻じ曲げたなにかのモニュメントが、何万年も静止し続けてきたように白く淡い光をまとっている。すれ違うとき、渇ききったざらざらの肌を見て、私もまたなにかを求めて渇いていることに気がついた。
どこかで手に入れたはずの、あるいはあと少しで手に入れることができたはずの甘美を、唇が、喉が、追い求めていた。
景色はついに外周へ達した。取り囲む柵を通して外をうかがうと、線路越しに、置いていかれた自転車や誰かが忘れていった靴が、街灯に照らされているのが見えた。
遠くに見えるグラウンドはきっとどこかの小学校だ。ぎらぎらかがやく照明が、倒れたゴールポストを照らしていた。
景色は動き、ついに入場口へたどりつく。私を迎え入れた門が今度は私を追い出そうとしている。なぜか、いってはいけない、と思った。
渇きを癒やしたら戻れなくなるから。
門の向こうに大きな影が見えた。なにかを思い出しそうになる。足が勝手に動き出す。
甘美なものがあそこにあったのに、それがなにか思い出せない。
求めて、求めて、求めながら、ゆっくりと景色が崩れ始める。窓ガラスを流れる雨粒に溶けたように視界が丸く歪み、そして、落ちて、糸を切られたようにひどい落下感にたたきつけられて瞼がひらいた。
暗かった。鳥の声がしていた。カーテンを開けると雲の向こうに光が見えた。朝がおとずれていた。
また、現実そっくりの夢だった。
目元をこすると、乾いた瞼から涙が出た。
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