第9話

「素直じゃ生きられない」

第2章 3


 いつもの時間に来ているのに芳子さんは出てこなかった。

「あれ?留守なのかなぁ」

「珍しいね!一分もズレない人なのにね!急用かな?」

「古着屋でも行こうか!」

「良いね!下北いこ」

俺達は留守の芳子さん宅から下北デートに変更した。


 それから芳子さんとは会えなくなった。


 下北デートに変更した前日にあのダンスフロワーで亡くなっているのをお手伝いさんが発見したと後々知った。


 俺と佐智子は芳子さんのくれた本と一生懸命書いてくれたハガキを飾り付けお線香を焚いた。


「悲しいね」

「悲しいね」

二人でお線香の煙を見つめながら芳子さんとの思い出を思い出していた。

 佐智子とワルツを踊っているのを動画で撮影していて二人で見た。芳子さんの手書き文字を二人で解読してみたり。


 その日は二人で芳子さんとの出会いを喜びそして悲しんだ。


 それから少し小説との距離が出来たような気がした。何となく何か欠けてしまったような、まるでそんなかんじである。


 俺は相変わらずエアコン工事業者をしていて、佐智子はスーパーのバイトをしている。

 二人で生活していて油断するとイチャイチャしている。

 たまに母親と佐川さんに会いに行って昔の話をする。五年しか経っていないのに大昔のように感じる。


 佐智子の親はわいせつ罪と虐待罪で逮捕された。出所しても佐智子には近付けない事になっている。見て見ぬふりをしていた佐智子の母も罪に問われたがそこは寛容な措置をされた。

 しかし、佐智子は縁を切っている。


 母親と佐川さんと四人で焼き肉屋に食事に来ている。知る人ぞ知る鴬谷の焼き肉屋である。


「そういえばさぁ」

母親がビールを飲みながらニヤニヤしている。

「なに?」

俺もビール片手に言った。

 佐川さんもニヤニヤしている。そして、佐智子もニヤニヤしている。

「なんだよ!きしょきしょ!」

「あのね」

「芦田愛菜ちゃんか!」

「あのね」

佐智子は少し寄せていった。

「ぷっ!」

「赤ちゃん出来たの」

「え?!え!?」

俺はビールを離すことを忘れてジョッキを持ったまま佐智子に抱き付いた。ビールを佐智子に全部かけてしまった。

「あああ!」

「冷たい!」

「なにやってんだ!ばか!」

「だってよ!」

店員がおしぼりをたくさん持ってきた。

「ごめんなさいね!ありがとう!そして!俺に赤ちゃんできました!」

「ああ!おめでとうございます」

店員はあたふたしている。

 俺は空のジョッキを持ったままガッツポーズをした。目の前がキラキラしてミケランジェロの天使達がラッパを吹いて飛んでいる。

「名前はマキタがいい!」

「なに?まきた?」

「いつも使ってる充電ドライバーのメーカー!マキタ」

「真君!酔ってるな!」

佐川さんが大笑いしている。

 そして閃いた。

「佐川さん!今出来た!いつか言っていた映画のストーリー!今出来たよ!」

「おお!ほんとか!」

「なに?映画?」

母親はキョトンとしている。

「真!映画?」

佐智子も目を丸くしている。

「おお!俺と佐智子の映画を撮るぞ!」

「なんじゃそりゃ!」

佐智子は母親と顔を見合わせている。

「子供が産まれるまでに完成させるぞ!」

俺は手を皆の前に出した。誰も手を重ねてくれない。

「あ!あのちと手を重ねてくれないかな?」

皆は恐る恐る手を重ねてくれた。

「エイエイオー!」

俺は、俺は有頂天である。


第2章 おわり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る