第8話

「素直じゃ生きられない」

第2章 2


 芳子さんは82歳で小説家である。怖いくらいに白くてしわくしゃである。そしていつもベロワのドレスを着ている。この十年ペンを持てなくなっていて字が書けないと言っていた。

 俺は週一で芳子さんの屋敷へ通い始めた。佐智子も一緒である。俺達の作品を芳子さんは面白がってくれた。小さな事を二十倍に膨らませて書いてごらんとアドバイスを受けているのだが俺には理解できなで、佐智子がアドバイスをメモってくれている。

 芳子さんと会うのはいつも地下のダンスフラワーで前面の壁紙鏡になっている。その真ん中に小さなテーブルと椅子を三脚用意してお喋りするのである。ドライフラワーの香りが漂っていて何処かの国のミックスジュースを三人で飲むのである。俺よりも佐智子と芳子さんは気が合うようでダンスレッスンまでしている。


 ある日ー。

 俺は佐智子と芳子さんのアドバイスを受けて書いた作品(幽霊と青年の恋物語)を書き終えて芳子さんへ読ませた。


「迷惑で無かったらね」

「はい!遠慮無く言ってください」

「この作品で勝負してみますか?」

「私は牧田川賞の審査員なのね」

「マジですか!?」

芳子さんはイタズラに微笑んだ。

「でもね。書けない人間が他人様の物語を審査するなんてと思い、辞退しようと考えていたのですよ。そこへ貴方とさっちゃんが現れたの私も貴方のパワーを頂いてね。今はあのエアコンのお部屋で新作を書き始めたのよ」

「書けるようになったんですか!良かった!!」

「まだ途中だけどね…読んでみる?」

「え?!いいんですか?」

「良いわよ」

二人でエアコンの部屋へ行って真新しい原稿用紙の束を渡してくれた。

 俺はプロの作家の書いたまだインクの匂いのする原稿を覗き込んだー。


 アレ?

 え~と……。

 き、汚ぇ字だな!おい!

 よしこ!!汚くて読めないよ!!!


 と、心で叫んだ。


「ちょっと汚い字でごめんなさいね」


 ちょっと…だと?

 コレは日本語とはいえん!!

 日本語には筆記体など無いんだよ!


「芳子さん!だめだ!芳子さんがペンを持ってる姿を想像するだけで目がうるうるしちゃってまともに読めないっす!」

「まぁ!そんなこと言ってもらえるなんて!」

「本になったときのお楽しみにしておきます!」

「嬉しいわぁ!」

「この作品が発売されてから俺の作品を紹介して頂きたいです!先輩の作品を見届けてから!」


 俺は嘘をついたのか……。

 解らない……。

 ただ、汚くて読めないんだもん!

 隣でニコニコして嬉しそうな芳子さんに字が汚くて読めないなんて言えなかったんだよ。


 俺は佐智子の作ってくれたカレーをジッと見つめている。

「なんかあったの?」

「う~ん。初めて嘘を付いてしまったかも」

「何があったの?」

「俺達の作品に影響されたって言ってね。芳子さんも新作を書き始めたのよ。途中だけど読ましてくれたんだよね…その原稿の字が汚くて読めなかったの……」

「うんうん」

「その時にね。隣でニコニコして嬉しそうな芳子さんを見て、この作品が発売されたら読みますって風に言っちゃったんだよね」

「うんうん」

「素直に字が汚くて読めないって言ったら良かったのか?って悩んでる」

佐智子は俺の隣に来て俺を抱き締めてくれた。

「大好きだよ」

俺も佐智子を抱き締めてキスをした。


つづく

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