第143話:「進軍:1」

 その時、ひゅん、と風を切る音がエドゥアルドの耳元をかすめていった。


 それがシャルロッテの投げた投げナイフであるとエドゥアルドが理解できた時、フェヒターは自身の首を突き刺そうとしていた短剣を取りこぼし、呆然としたような表情でシャルロッテの方を見つめていた。

 その手には投げナイフが突き刺さっており、フェヒターの手袋を流血がぬらしている。


「フェヒター。死ぬことは、許さん」


 エドゥアルドは、もう少しでせっかく得た逆転のチャンスを潰してしまうところだったと、油断すまいと思っていたのに最後の最後でやはり気を緩めてしまった自分をいましめながら、フェヒターにそう命じていた。


「貴様には、証人となってもらう。


 このノルトハーフェン公国でくり広げられた簒奪さんだつの陰謀の、その証拠に」

「誰が、お前のためになど……! 」


 呆然としていたフェヒターだったが、ようやく状況がのみ込めたようで、エドゥアルドのことを憎々しそうに睨み、口からつばを吐き捨てた。


「貴様の意志など、関係ない。

 フェヒター、貴様も帝国貴族の、我がノルトハーフェン公爵家に連なる者と自認するなら、敗者らしく、いさぎよく勝者に従え」


 重ねて命令するエドゥアルドに、フェヒターはみにくく顔をゆがめながら、エドゥアルド、次いで、自身の自決を阻止したシャルロッテを睨みつける。


「公爵殿下! ご無事でございますか!? 」


 その時、フェヒターの私兵たちと自ら白兵戦を行っていたらしいペーターが、アーベルとミヒャエルの2名を引き連れて駆けこんできた。

 生き残っていた私兵たちはみな、逃亡するか、降伏するかして、ようやく状況を把握でき、慌ててエドゥアルドの下に駆けつけて来たらしい。


「ああ、ペーター大尉。僕は、この通り、大丈夫だ。

 混乱している中、よく戦ってくれた。

 あれだけの乱戦だ。誰一人も通さないというのは、難しかっただろう。


 アーベル中尉も、ミヒャエル少尉も、来援、ご苦労だった」


 屋敷の中が発砲の硝煙で覆われ、白兵戦で混乱し、エドゥアルドのいる場所にまでフェヒターを到達させてしまったことに恐縮きょうしゅくしているペーターに向かってエドゥアルドはなるべく明るい表情で[気にしていない]という態度を示すと、それから、ペーターたちにフェヒターを拘束するように指示を出す。


 フェヒターには、縄がかけられた。

 自決を試みたということで、手だけではなく、舌を噛み切らないように口にもさるぐつわをかまされる。


 フェヒターはもう、抵抗しなかった。

 敗者は勝者に従えというエドゥアルドの命令を、受け入れた様子だった。


「シャーリー。……ありがとう」


 フェヒターを生きたまま確保することができ、ほっと安心したエドゥアルドは、そこでようやく自身のサーベルをさやに納め、ピンチを救ってくれたシャルロッテの方を振り返って感謝する。


 すると、シャルロッテはいつもの冷静な調子で、少しすまして、公爵家のメイドにふさわしい優雅な所作でエドゥアルドに一礼して見せた。


「当然のことをいたしましたまででございます。……わたくしは、公爵殿下のメイドでございますから」


────────────────────────────────────────


 シュペルリング・ヴィラでの戦いは終わった。

 フェヒターは捕らえられ、その私兵たちは逃げるか投降するかした。


 生き残ったエドゥアルドの兵士たちは、今も忙しく働いている。

 シュペルリング・ヴィラのあちこちに転がっている死傷者を収容し、負傷者にはできるだけの治療を施すためだった。


 フェヒターの私兵たちは、その半数以上が死傷し、数名が逃亡し、残りは降伏して武装解除された。

 これに対して、エドゥアルドの兵士たちもまた、40名近くの死傷者を生じさせていた。


 エドゥアルドは、負傷者の治療のために奔走ほんそうするマーリア、シャルロッテ、ルーシェたちメイド、そして傷ついた兵士たちの姿を眺めながら、この状況をどうやって今後につなげるかを思案していた。


 自分のために戦って、傷つき、命を失った人々。

 その存在はエドゥアルドの心に痛みを感じさせていたが、その犠牲を生かすためにエドゥアルドにできることは、彼らの命がけの戦いによってつかんだ勝利をどうやって成果につなげていくかということなのだ。


「公爵殿下。よろしいでしょうか? 」


 そんなエドゥアルドの耳元にそっと顔をよせ、こんな時でも柔和な笑みを崩さないヴィルヘルムが、エドゥアルドにささやくように言う。

 どやら彼には、この勝利をどう生かすのか、すでに考えがあるようだった。


「聞かせてくれ。……僕は、皆の献身を生かしたい」


 エドゥアルドがヴィルヘルムへと視線を向けると、彼は小さく、だがしっかりとうなずいてみせ、そして、エドゥアルドに進言する。


「公爵殿下。ただちに、生き残ったすべての戦力で、ポリティークシュタットへ、エーアリヒ準伯爵のいるヴァイスシュネーへと、進軍いたしましょう」

「なに? 今、すぐに、なのか? 」


 そのヴィルヘルムの言葉に、エドゥアルドは驚かされる。


 ようやく、戦闘を終えたばかりなのだ。

 兵士たちはみな疲れ切っているはずだったし、今はなにより、負傷者を1人でも救うべく尽力しなければならないはずだった。


「はい。今、すぐにです」


 しかし、ヴィルヘルムはそのことを理解したうえで、エドゥアルドに進軍するように言っているようだった。


「今回の襲撃、参加していたのはフェヒター準男爵の私兵[のみ]でございました。

 これで、エーアリヒ準伯爵が、この襲撃に賛同していなかったことがはっきりといたしました。


 エーアリヒ準伯爵と、フェヒター準男爵との間には、なんらかの齟齬そごが、あるいは、対立すらあったのかもしれません。

 だとすれば、今、この瞬間、エーアリヒ準伯爵は、ここで生まれた新しい状況をまだ知らないか、ようやく戦闘が起きたことを知ったという状況でありましょう。


 幸い殿下は、フェヒター準男爵という生き証人を得ました。

 また、多くの者が同時に、公爵殿下が[襲撃された]という事実を目にしてもいます。


 この点を突けば、殿下の手によって、エーアリヒ準伯爵の責任を問い、殿下のご意志を通し、公国の実権を掌握しょうあくなさることができます。


 しかし、時間をかければ、エーアリヒ準伯爵は、なんらかの対処をしてしまうでしょう。

 それこそ、自らの私兵を集め、公爵殿下と一戦しようとするかもしれませぬ。


 ですが、今すぐに殿下がポリティークシュタットへと進軍すれば、エーアリヒ準伯爵には対処の時間がございません。

 また、殿下がお進みになる途中、公国の民衆にこのような事態が起こったことを喧伝けんでんなされれば、エーアリヒ準伯爵の[逃げ場]を封じることもできます。


 兵士たちに酷なことは承知しておりますが、今を置いて、彼らの犠牲を最大限の結果に結びつける機会はございません」


 エドゥアルドは、ヴィルヘルムの言葉を聞きながら、考えた。


 考えて、彼の言葉が終わるころには、決断を下していた。


「わかった。……貴殿の言うとおり、ただちにヴァイスシュネーへ進軍しよう。


 ノルトハーフェン公爵の、本来のあるべき場所へと」

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