第139話:「ルーシェ、戦う」

 エドゥアルドたちは、徐々にフェヒターの私兵たちの数によって押し込められていた。

 室内戦では兵士たちが装備している銃剣よりも、私兵たちが個人的に持ち込んでいた白兵戦用の武装の方が使いやすく、射撃戦の時とはうって変わって、エドゥアルドの側に多くの損害が出ている。


エドゥアルドたちは防衛線を徐々に縮小せざるを得なかった。

 ペーターは陣頭で兵士たちを鼓舞しつつ、屋敷の中の要所に分散配置していた兵士たちを呼び集め、負傷兵をマーリアとルーシェが働いている救護所へと後送しつつ、エドゥアルドがいる一室を守るために態勢を整えた。


 だが、一部の兵士たちとは、連絡が途絶えた。

 フェヒターの私兵たちが屋内になだれ込んできた時点で分断されてしまった少数の兵士たちは、まだ、屋敷のどこかで戦っているのか、あるいは私兵たちに倒されてしまったのか、まったく状況がつかめないような状態だった。


 エドゥアルドを守る兵士たちに生じた負傷兵は、20名を超えた。

 マーリアとルーシェが懸命に手当てを行っているが、中には危険な状態にある者も出てきてしまっている。

 エドゥアルドの周囲でまだ無事で戦闘力を維持している者は、30名を超える程度にまで減っていた。


 フェヒターの側にも10名以上の負傷者が追加で生まれているはずだったが、射撃戦で受けた損耗を考慮しても、エドゥアルドの側の倍の人数が残っている計算になる。

 このままでは、押し込まれるのは時間の問題だった。


 頼みの綱は、アーベル中尉が率いている、残りの半個中隊だ。

 エドゥアルドたちはアーベル中尉らが駆けつけるまで、少しでも時間を稼ぐためにバリケードを廊下に築き、屋敷の一画を最終防衛拠点として立て籠もることにした。


 フェヒターたちは、このバリケードを突破しようと攻撃を続けた。

 マスケット銃は再装填に時間が必要で、遮蔽物を利用して接近し、射撃が途切れた瞬間を狙って突っ込めば、それで突破できると思ったようだった。


 しかし、ペーターの指揮は、彼の普段の酔っぱらった様子からは想像もできないほど、巧みなものだった。

 彼はバリケードに配置した兵士たちに、発砲のタイミングをずらし、常に誰かが撃てるように調整し、フェヒターたちの接近を拒み続けた。


 だが、最後には、突入を許すこととなってしまった。

 発砲によって生じた硝煙が視界を遮り、それを利用してフェヒターたちが接近してきたのだ。


 そうして、エドゥアルドたちが築いた最後の防衛線を巡って、白兵戦がくり広げられた。


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 ルーシェの背後で、兵士たちが激しく戦う音が聞こえている。

 その音は段々と近づいて来ていて、今はもう、すぐ近くに聞こえる。


 だが、ルーシェは振り返らなかった。

 ルーシェにとっての戦いは、傷を負った人々を救うことであって、兵士たちは必ずエドゥアルドを最後まで守り切ってくれると、そう信じているからだ。


 ルーシェの服は、血にまみれていた。

 白兵戦によって受けた切り傷からの出血を止めるために、ルーシェは必死に、兵士たちの傷口を抑えてまわったからだ。

 衛生を保つために手を洗ってはいるが、服を着替える時間などなく、負傷兵たちが増えるのにつれてルーシェのメイド服は赤く染まって行った。


 ルーシェは、汗だけではなく、涙もその双眸そうぼうに浮かべていた。

 戦いが怖い、というのもあったが、なによりも、負傷兵たちが増え、その全員は救えないかもしれないという恐れが強くなってきているからだ。


 マーリアは、専門の外科医ではなかったが、十分な医療の知識を持っていた。

 彼女は普段、メイドとして、主に調理場でその腕を振るっているが、その本来の職業は産婆さんばだった。

 聞いた話だと、エドゥアルドが生まれた時に彼を産湯うぶゆにつけたのも、マーリアであったらしい。


 彼女が手当てに慣れているのは、産婆さんばになるために、きちんと医療技術について学んだ経験があるからだった。

 そもそも、アルエット王国式の料理を会得しているのも、もともとは医療技術を学ぶためにアルエット王国にいたことがあったからだという。


 そんなマーリアの表情にも、余裕がなかった。

 ルーシェに指示を出す言葉も、段々と短く鋭いものとなって、その切迫感が伝わって来る。


「ルーシェ! 布が足りない! カーテンでもなんでもいいから、持ってきなさい! 」

「はい、マーリアさま! 」


 ルーシェはマーリアの指示で、兵士の傷口を包帯できつく縛ってから立ち上がると、窓に向かって走った。

 今はとにかく、考えることよりも、動かなければならなかった。


 窓自体は、ガラスを外され、棚やテーブルで塞がれていたが、カーテンなどはそのまま取り外されずに残ったままだった。

 ルーシェの背丈では上まで手が届かず、ルーシェはしかたなくぴょんと跳ねてカーテンに飛びつき、その勢いと自分の体重でカーテンを引きちぎって両手で抱え、マーリアに届けるために振り返る。


 だが、ルーシェはその瞬間、「ひっ!? 」と小さく息をのんだ。

 救護所の部屋の出入り口に、防衛線を突破して来たフェヒターの私兵の1人が、霧のように濃い硝煙を背景に、武器をかまえて立っていたからだ。


 血まみれだった。

 それだけでも、今、どんな戦いがくり広げられているのかがはっきりと伝わって来る。


 とうとう、敵がここまでやって来た。

 だが、この場にいるのは、マーリアとルーシェを除いたら、負傷した者ばかり。

 しかも、マーリアは治療のために、手が離せない。


 ルーシェは咄嗟とっさに、自分がなんとかするのだと決心した。


「たぁぁぁぁぁっ! 」


 ルーシェはそう叫びながら、たまたま手に持っていたカーテンを丸めて、全力で私兵に向かって投げつけた。


 それは、私兵を驚かせた程度の効果しかなかった。

 ルーシェの力ではそれほど強い勢いで物を投げつけられなかったし、丸めたカーテンは空中で広がってしまい、勢いをすぐに失ってしまったからだ。


 だが、ルーシェが投げつけたカーテンは、私兵の視界を一時的に奪うのには十分だった。

 そして、その瞬間を狙って、足元を勢いよく影が駆け抜け、鋭く「ガウ! 」と吠えながら私兵へと襲いかかった。


 それは、今まで大人しく姿を隠していた、犬のカイだった。

 普段の彼は温厚な性格だったが、大切な家族であるルーシェのピンチがわかったのだろう、獰猛どうもうな猛獣のような勢いで私兵に向かってかみついていた。


 そこへ、猫のオスカーも加勢した。

 彼は私兵が振るった得物をカイがかわすのと入れ違いに素早く跳躍し、研ぎ澄まされた爪で私兵の顔面をズバッと切り裂く。


 たまらず、私兵は悲鳴をあげて逃げ出していった。


「ありがとう! カイ、オスカー! 」


 ルーシェは私兵が退散したのを確認して戻って来たカイとオスカーを抱きしめてほめてやると、それからすぐに、投げつけたカーテンを拾いあげた。


 ルーシェはここで、自分にできる戦いを続けるつもりだった。

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