第8章:「公国騒乱」

第136話:「発砲」

 エドゥアルドを守る兵士たちが発砲した時、フェヒターの私兵たちは、まだ、狂乱の中にあった。

 先を争うようにペーターが投げ捨てた金貨を拾い集め、時にはお互いに取り合って殴り合いをし始めるような状態だった。


 だが、発砲の轟音とともに、数名の私兵が倒れると、彼らは正気を取り戻した。

 私兵たちは、シュペルリング・ヴィラの建物が硝煙に覆われていることに気がつくと、金貨を拾い集めるのをやめ、手近な遮蔽物に向かって走った。


 私兵たちにとっては、エドゥアルドを守る兵士たちが発砲できたマスケット銃の数がそれほど多くなかったことが、幸いだった。

 エドゥアルドたちは少ない兵力で屋敷を守れるよう、出入り口を見張ることのできる場所に重点的に銃眼を配置し、その他の部分の開口部はなるべく塞いでしまっていたから、守備についている全員で一斉射撃することはできないのだ。


 また、フェヒターたちに、別動隊がいることも考慮しなければならなかった。

 このためにエドゥアルドたちは配下の兵力をフェヒターの居る側だけに集中することができず、結果的に射撃を開始できているのは、20名程度しかいない。


 しかし、効果は十分にあった。

 内通者をアテにして余裕ぶっていたフェヒターも、数を頼みに脅せばいいだけだと考えていた私兵たちも皆、エドゥアルドたちから本気で実弾を撃ち込まれるとは考えておらず、銃撃を避けるために遮蔽物に隠れて、身体を小さくしていることしかできないのだ。


「各自、装填終わり次第、自由に撃て! 」


 ペーターは、兵士たちに向かって声を張り上げ、新たな命令を下す。


 ペーターたち、戦列歩兵は、士官の号令に従いながら整然と一斉射撃をくり返すことを通常の戦法としている。

 命中率の低いマスケット銃で最大の威力を発揮するためには、なるべく兵士たちを密集させて銃口の密度を高め、濃密な弾丸の雨を敵に浴びせることが重要だからだ。


 しかし、今のペーターたちは、銃眼からしか射撃できない以上、濃密な弾雨を形成することができない。

 しかも、再装填の速度は兵士によってまちまちであるために、少ない銃口のすべてが再射撃可能になるまで待っていては、余計に効率が悪くなる。


 兵士たちは、ペーターの指示に従い、それぞれの最善の速度で再装填を行うと、各自でもっとも狙いやすい目標に狙いを定め、自由に発砲を開始した。


 自然と、発砲の間隔がばらけ始める。


「貴様ら、なにをしている! 小僧の手下どもからの攻撃は、散発的ではないか! こちらも撃ち返せ! 」


 それを反撃のチャンスととらえたフェヒターが、腰からサーベルを引き抜きながら私兵たちに向かって叫ぶ。


 だが、私兵たちは動かない。

 元々金で雇われたごろつきたちで、彼らは傭兵ですらなく、なんとなく武器の使い方は理解できているものの、積極的に敵弾に身をさらして戦おうという者は少ないのだ。


「ええい、臆病者どもめ!

 いったい、なんのためにお前らに金を払ったと思っている!?


 ここで戦わないような役立たずは、オレ自ら斬り捨ててやるぞ! 」


 しかし、フェヒターが怒りの形相で叫び、サーベルを近場にいた私兵に向かって振り上げると、私兵たちもようやく重い腰をあげた。


 もっとも、エドゥアルドたちに堂々と身をさらすようなことはしない。

 私兵たちは遮蔽物に身を隠したまま、エドゥアルドたちからの発砲の音が止んだ瞬間を狙って銃口だけを出して、狙いもほとんどつけないままなんとなく敵がいそうな方向に向かって発砲する。


 シュペルリング・ヴィラの建物が硝煙で覆われており、銃眼をまともに視認できないという問題もあったが、こんな撃ち方で命中弾が出るはずもない。

 だが、フェヒターの私兵たちと同じように、自らの射撃による硝煙で視界が悪くなっているエドゥアルドたちにも、フェヒターたちの詳しい様子はわからない。


 ただ、[相手が撃ち返して来た]という事実だけがわかるのみだ。

 狙いが甘くとも実弾が飛んでくるのだから、飛んできた弾丸は屋敷のどこかには命中するし、私兵たちがあてずっぽうで撃っていることなどわかりはしないのだ。


「ビビるな、ビビるな! どんどん、撃て! 弾薬はたんまりあるぞ! 」


 フェヒターたちも撃ち返してきたことで緊張する兵士たちを鼓舞するために、ペーターがなるべく陽気な口調で声を張り上げる。


「たとえ敵の弾が当たったって、メイドさんが助けてくれるぞ!

 名誉の負傷だ、優しく手当てしてもらえるぞ!


 な、メイドちゃん!? 」

「はへっ!? 」


 いきなり話を振られてびっくりしたルーシェだったが、すぐに自分になにを求められているのかを理解し、両手でガッツポーズを作って、力強く宣言する。


「もちろんでございます!

皆さんがお怪我をしても、ルーシェ、一生懸命に手当ていたします! 」

「おい、聞いたか、野郎ども!

 バックアップはバッチリだ!

 安心して、撃って撃って、撃ちまくれ!


 奴らを足止めしてれば、じき、アーベルたちが援軍に来てくれるしな! 」


 ルーシェのはりきった声と、ペーターの[援軍]という言葉に、兵士たちは「おう! 」っと短く声をあげ、硝煙越しにかすんで見えるフェヒターの私兵たちに向かって発砲を継続する。


「さて、問題は、本当に[援軍]が来るのかどうか、ですね」


 発砲の轟音の中でもいつもの柔和な笑みを崩さなかったヴィルヘルムが、懐中時計を確認しながら、近くにいるエドゥアルドにだけどうにか聞こえる声で呟くように言う。

 そのヴィルヘルムの言葉に、エドゥアルドは表情をやや険しくしながら、「ああ、そうだな。……だが、僕は、信じるだけだ」と、短く答える。


 今、エドゥアルドを守って戦っている兵士たちはみな、迷いなく戦っている。

 だが、結局エドゥアルドの側につくことを選んだとはいえ、その隊長であるペーターでさえ、フェヒターたち、簒奪者さんだつしゃから金を受け取っていたのだ。


 エドゥアルドを警護するために派遣されて来た歩兵中隊の残りの半数を指揮し、この場にはまだいないアーベルが裏切っていないのかどうなのかは、わからない。

 彼らが、エドゥアルドの[援軍]としてあらわれるか、フェヒターの[援軍]としてあらわれるかは、エドゥアルドにもヴィルヘルムにも、誰にも、なにも断言することができなかった。

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