第134話:「金貨」
この中に、裏切り者がいる。
それは、誰もが「そうなのだろう」と思いながらも、口に出してこなかった疑念だった。
証拠がないのだ。
なんの根拠もなく人を疑い、調べ始めれば、それは疑心暗鬼にほかならず、兵士たちは共に肩を並べて戦うことなどできなくなってしまう。
だから、誰もが胸の内にその不安をしまって来た。
だが、その疑念と、否も応もなく、向き合わなければならない時が、とうとう訪れた。
その予感に、誰もがその精神を張り詰めさせて、互いの一挙手一投足に注意を払っている。
裏切り者は、今、自分の隣にいるかもしれないのだ。
「どうした!? 早く、生意気なすずめ公爵の首を持ってこい! その小僧の首を持って来た者には、オレが公爵になった後でたんまりと褒美を出すぞ! 」
動揺が広まっているのを察しているのか、フェヒターは余裕の笑みを浮かべながらさらにそう言って
フェヒターがずっと、余裕の笑みを浮かべていられた理由が、はっきりとした。
彼は事前に内応者を獲得しており、苦も無くエドゥアルドを葬り去ることができると、そう考えているのだ。
エドゥアルドは、動揺している背後の人々を振り返らずに、じっと、フェヒターのことを睨みつけていた。
信じると、決めたのだ。
この中に裏切り者がいるのだとしても、きっと、思いとどまり、エドゥアルドのために働いてくれると、そう、信じると決めているのだ。
だから、エドゥアルド自身は動揺したりせず、ただ、信じると決めた人々にその背中を見せ続け、自分の決意を明らかにし続けた。
そんなエドゥアルドの背後で、おずおずとした様子の足音が聞こえる。
「あー、公爵殿下? 少々、よろしいでしょうか? 」
振り返るとそこには、バツの悪そうな顔をしたペーター大尉の姿があった。
エドゥアルドが驚いていると、ペーターは静かに、自身の
「殿下! 」「エドゥアルドさまっ!! 」
シャルロッテが血相を変え、ペーターを取り押さえるべく駆け出し、ルーシェは恐怖におののいて顔を青ざめさせた。
誰もが、ペーターこそが裏切り者で、その
だが、ペーター大尉が取り出したのは、中になにかが詰まった、ずっしりと重そうな小袋だった。
「安心してくれ! 公爵殿下になにかしようなんざ、これっぽっちも考えちゃいない! 」
足を止めて拍子抜けしたような顔をしているシャルロッテや、きょとんとしているルーシェ、そして戸惑っている人々を見回しながら、ペーターはそう宣言する。
それからエドゥアルドの方に向き直ったペーターは、小袋の口を開き、中身がなんであるのかを見せる。
「金貨? ……これは、古い、帝国金貨か? 」
「はい。……あそこにいる、フェヒター準男爵から押しつけられたもんです」
袋の中身を見たエドゥアルドが驚きと戸惑いを隠せないままそう確認すると、ペーターはそう言って、あっさりと
エドゥアルドも、その場にいた人々も、半ば呆然とペーターを見つめる。
この中に裏切り者が潜んでいるだろうとは思っていたが、それがまさか、エドゥアルドを警護する部隊の隊長であるペーターであるなどとは、誰も想像もしていなかったのだ。
「いやぁ、断れなかったんでさぁ」
ペーターは、申し訳なさそうな口調で言う。
「最初のお声がけはエーアリヒ準伯爵からでしたし、自分は下級貴族ですからね、序列から言っても逆らうなんて、無茶な話です。
もちろん、いいお話だなって、思ったこともありましたよ?
新しい公爵が生まれれば、ご褒美をいただけることになっていましたからね。
それに、見てくださいよ、この金貨!
大昔の、帝国金貨ですぜ?
これだけあれば、もう、一生安泰って、大金でさぁ。
こんなもん、ポンと軽くよこされちゃぁ、そんなことはできないなんざ、とても、言えなくなっちまったんです」
それからペーターは、まだ呆然とした様子のエドゥアルドに、ニヤリと笑って見せる。
「けどね、もう、コイツはいらなくなりました」
そしてペーターは突然腕を振り上げると、重そうな金貨の詰まった小袋を、砲丸投げの要領でバルコニーから外へと放り投げた。
空中で袋を閉じていたヒモがほどけ、中に詰まっていた金貨が、キラキラと陽光を反射して輝きながら空中にまき散らされる。
そして、投げられた金貨の袋は、ドサリ、とフェヒターの目の前へと落下し、その中身を辺りにまき散らした。
フェヒターは、
その横からは、それまで一応は隊列を組んでいた私兵たちが、1枚1枚がとてつもなく高価な価値を持つ金貨を手に入れようと殺到する。
先を争って金貨に群がる私兵たちを見おろしながら肩をすくめたペーターは、それから、まだ呆然としているエドゥアルドにあまり似合わないウインクをして見せ、建物の中へと戻っていく。
「聞けィッ! お前らぁ!!! 」
そしてペーターは、そのふくよかな身体から、めいっぱいの声を張り上げ、響かせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます