第54話:「細工:2」

 逃げ出した銃器職人ガンスミスを追跡するため、エドゥアルドと共に駆け出したのは、ヨハンと犬のカイ、そして数名の護衛の兵士だけだった。


 他の大勢は、突然の事態に対処することができずその場にとどまるか、あるいは、エドゥアルドの命令に従うつもりがなく動かなかった。


 それでも、数名でも動けば十分だった。

 銃器職人ガンスミスが森の奥深くへと逃げ込み、姿をくらませる前に彼をとらえることは、十分に可能だからだ。


(絶対に、捕らえる! )


 エドゥアルドは鞘から引き抜いたサーベルを手に、全速力で駆けた。


 銃器職人ガンスミスは、ノルトハーフェン公爵の位を簒奪さんだるしようとする企みへとつながる、エドゥアルドにとって初めて得た明確な手がかりだった。

 彼を捕らえ、そして、エドゥアルドの手で取り調べれば、必ず、実権なき、名しか持たない非力な公爵であるエドゥアルドが、陰謀に立ち向かうための大きな力とできるはずだった。


 腕の1本や2本、切り落としてもかまわない。

 銃器職人ガンスミスが生きていて、しゃべることさえできれば、それでいいのだ。


 なかでも、犬のカイの出足は早かった。

 彼はエドゥアルドのかたわらでお行儀よく座っいたのだが、誰よりも早く駆け出すと、猟犬のように一目散に、弓から放たれた1本の矢のように、地面の上をうように銃器職人ガンスミスへと迫っていく。


 もう少しで、カイは銃器職人ガンスミスへと追いつき、その背中に飛びかかることができる。


 そう思われた時、辺りに、1発の銃声が響いた。


────────────────────────────────────────


 銃器職人ガンスミスを追いかけていたエドゥアルドたちは、その銃声を聞いた後、少しずつ走る速度を緩め、それから、完全に停止した。


 なぜなら、撃たれたのは逃げていたはずの銃器職人ガンスミスで、彼は即死させられてその亡骸は地面の上になす術もなく倒れ、もう追いかける必要がなくなったからだ。


 銃器職人ガンスミスは銃声が響くのと同時に、間違いなく死んだ。

 近づいて確かめる必要もなかった。


 なぜなら、彼の頭部の半分ほどが、銃声が響くのとほとんど同時に吹き飛んだからだ。


 遠目にも、銃器職人ガンスミスが倒れた辺りに薄く積もっていた雪に、鮮やかな血の赤い色が広がっているのが見える。

 おそらく、近づいてみれば、彼の頭蓋骨の中に納められていた中身や、骨片、もろもろが入り混じった凄惨せいさんな光景を見ることができるだろう。


 もう少しで銃器職人ガンスミスに飛びかかろうかというところだったカイが、目の前で起こったことに恐れ、戸惑いながらエドゥアルドのところまで戻ってくる。

 カイの毛並みには、いくらか、銃器職人ガンスミスの血しぶきが飛び散っていた。


銃器職人ガンスミスを追いかけていた者たちは、半ば呆然としながら銃声のした方を振り返る。


 誰が銃器職人ガンスミスを撃ったのかは、明らかだった。

 黒色火薬が発する濃密な硝煙が、銃撃を行った人物がかまえているライフル銃からまだ色濃く立ち上っていたからだ。


 ライフル銃をかまえていたのは、ノルトハーフェン公国の摂政。

 エーアリヒ準伯爵だった。


「エーアリヒ! 」


 エドゥアルドは、平然とした表情で銃口をおろしたエーアリヒを睨みつけながら、叫んだ。


「エーアリヒ! 」


 そして、エドゥアルドは、エーアリヒに向かって、半ば駆けるように詰め寄る。


「エーアリヒ! 」


 摂政、エーアリヒは、自身の目の前まで、怒りに満ちた表情で迫って来たエドゥアルドを前にしても、眉一つ動かさなかった。


「エーアリヒ! なぜ、撃った!? 」

「あの者には、死罪が適当であったからでございます」


 エーアリヒは、エドゥアルドにそう問いただされても、冷静そのものの口調で答える。


「かの者は、公爵殿下の暗殺を目論みました。これは、明らかに死を与えるべき大罪でございます」


 それからエーアリヒは、自身の帽子を脱ぎ、胸に当てると、エドゥアルドに向かってゆっくりとひざを折ってこうべれる。


「あの者を任用いたしましたのは、わたくしでございます。ですので、わたくしの誤りを正すために、わたくしの手であの者にしかるべき罰を加えました」

「しかし、僕は、あの者を捕らえよと命令したはずだ! 」


 エドゥアルドは、声をかすれさせながら叫んだ。


 銃器職人ガンスミスは、エドゥアルドの命を狙った大罪人であるのと同時に、エドゥアルドの置かれた苦境を打開できるかもしれない、エドゥアルドにとって初めてはっきりと見えた光明だったのだ。


 それは、ほんの一瞬の希望だった。

 手がかりは、エドゥアルドの目の前で奪われ、失われた。


 エドゥアルドを亡き者にし、公国を乗っ取ろうと企んでいるかもしれない、その首魁しゅかい自身の手で。


「お怒りは、ごもっともでございます。……今回の不始末は、すべて、わたくしの責任。公爵殿下には、どうか、しかるべき罰をわたくしめにお加えくださいますよう」


 エドゥアルドは怒りに打ち震えながら、エーアリヒのその言葉を聞いていた。


 エドゥアルドの望むままに、自分を罰するように。


(ああ……っ! やってやるさ! お前を、罰してやる! )


 エドゥアルドの怒りはエーアリヒの言葉でさらに膨れ上がり、今すぐにでも、自分自身の手に握られたままのサーベルを、この狡猾こうかつな裏切り者へと振り下ろしたい気持ちでいっぱいになる。


 だが、エドゥアルドに残された冷静な部分が、「それをしてはならない」とささやいている。


 あの銃器職人ガンスミスをこの場に招いたのは、間違いなくエーアリヒだった。

 そう言った意味では、エーアリヒが言うように、彼の罪は明らかだ。


 だが、エーアリヒには功績もあった。

 エドゥアルドの暗殺を目論んだ犯人を討ち取ったという功績。

 そして、公国の統治をエドゥアルドに代わって手落ちなく遂行しているという功績だ。


 公国で渦巻く、公爵位をめぐる陰謀。

 それは、エドゥアルドにとっては常識だったし、それに加担しているにしろ、そうでないにしろ、そういう動きがあることを知っている者もいる。


 その一方で、それを知らない人々もいる。


 もし、ここでエーアリヒを、エドゥアルドの怒りに任せて斬殺してしまえば、どうなるだろう。

 陰謀の存在を知らない人々からすれば、エドゥアルドに忠節を尽くしている、そして現在のところ目立った失政もなく、着実に摂政としての役割を果たして来た功臣を、その主であるエドゥアルドが一時の感情に任せて殺害したということになる。


 エドゥアルドが、エーアリヒこそがこの暗殺未遂事件の主犯であり、陰謀の首魁しゅかいであると声高に主張し、それを証明できれば、問題などなかった。

 だが、エドゥアルドは未だに陰謀の証拠をつかむことができておらず、そして、初めて手にできるかもしれなかった証拠は、抹殺されてしまった。


 ここでエーアリヒを殺せば、人々の心は確実にエドゥアルドから離れる。


 そして、有能な政治家を急に失った公国は、なんの支持基盤も持たないままエドゥアルドが実権を握ったとしても、立ち行かないだろう。

 人々はエドゥアルドのことを信じてよいのかどうかを疑い、それどころかいつ自分もエドゥアルドの感情に任せた粛清しゅくせいの犠牲者になるのかと警戒し、エドゥアルドに従わなくなるだろう。


 エーアリヒほどの功臣であっても、エドゥアルドは一時の感情に任せて粛清しゅくせいする。

 まして、エーアリヒほどの功績を持たない、我々などなんとも思わずに殺すことができてしまうだろう。


 人々は、そう思うようになる。

 そして、そうなれば、エドゥアルドの立場は危うい。

 人々は自身の身を守るために、エドゥアルドに面従腹背めんじゅうふくはいのぞみ、機会さえあれば容易に裏切るだろう。


 今、エーアリヒを殺すわけにはいかないのだ。


 エドゥアルドにはそれがわかったし、そして、エーアリヒがそこまで読んだうえで、自らの手で暗殺者を殺害し、自身の保身と証拠隠滅とを同時に行ったのだということも、理解できた。


「いや……、摂政殿。貴殿の忠節は、僕も良く知っている。たまには、このような失態もあろうが、貴殿の功績はその失態を補って余りある。……僕は、貴殿を罰するつもりはない」


 エドゥアルドは、自身の無力さを呪いながら、努めて冷静な口調でそう言い、それから、サーベルをさやへと納めた。


「これからも変わらず、僕と、公国のために働いてくれ」


 一度目をつむり、怒り狂う自身の感情のあらぶりを抑えたエドゥアルドがそう言うと、エーアリヒはかしこまったように「ははぁっ! 」と答え、より深々と頭を下げた。


※作者より

 お疲れ様です。熊吉です。


 作中で、銃器職人ガンスミスがエドゥアルドを暗殺するべく行った細工につきまして、作中の描写だけではわかりにくかったかと思い、別に解説をさせていただきます。


 ザックリ言うとミニエー弾という弾の仕組みを応用したものなのですが、当時に技術などを踏まえまして、雑学的なノリでご紹介させていただきたく思います。


 解説の公開は本話と同時に行っておりますので、もしよろしければそちらもご覧下さいませ。

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