第50話:「狩り:2」

 狩りはじめの儀式、という固有名を持ってはいるものの、そこで行われるのは、貴族などが行う狩猟と変わらない。


 シュペルリング・ヴィラの裏に広がる広大な森は、すべて公爵家の私有地であるのと同時に、公国の中でももっとも優良な狩場だった。

 狩りはじめの儀式は元々、その優良な狩場を所有者である公爵が独占したりせず、民衆の利用を認めるという形で始まったものであり、そういった経緯があるため、毎年の狩猟シーズンになるとまず公爵が最初の狩りを行い、「もう自分は十分に楽しんだから」という体裁ていさいで民衆に開放する、という流れになっている。


 そこに公国に仕える貴族たちや有力者たちも参加するのは、公爵が自ら仕留めた獲物で客人たちをもてなすという慣習が存在するためで、長い年月を経て公爵が行わなければならない国儀となった今でも、儀礼的な意味合いが強くなってはいるが、公爵が臣下をもてなし、ねぎらうという構図は変わらずに続けられている。


 つまり、エドゥアルドには、公爵として狩りを行うだけではなく、確実に獲物をしとめ、参加者たちに振る舞うことが求められる、ということだった。


 エーアリヒがエドゥアルドにライフル銃を献上したのも、そこに悪意がないものとして見てみると、性能の良い銃を使ってエドゥアルドに確実に獲物をしとめさせ、エドゥアルドが公爵としての責務を確実に果たせるようにという配慮だと見ることができる。


 エドゥアルドはエーアリヒのことを疑ってはいるが、狩りはじめの儀式が始まるって見えて来たのは、エーアリヒがいかに有能な統治者で、エドゥアルドのために配慮しているかということだけだった。


 狩猟に適したライフル銃を事前に献上したということをはじめ、狩場には数日前から猟師たちを入れ、森に住む鹿などの獲物を狩場になるべく追い込み、狼などの危険な獣を遠ざけるようにしてあることや、エドゥアルドが容易に獲物を狩れるよう、狩場に集めた獲物たちを追いこむ追い子たちの手配や配置。

 どれも抜け目なく、的確なもので、狩りはじめの儀式は順調に進んでいる。


 馬を降り、徒歩となったエドゥアルドは、集まった人々からの注目を集めながらライフル銃をかまえ、じっと、追い子たちが獲物を追い立ててくるのを待った。

 追い子たちは事前に狩場に集められていた鹿などの獲物を、大きな声などで追い立て、エドゥアルドの前に獲物を追い詰めていく。

 そこを待ちかまえて、獲物をしとめるのだ。


 エーアリヒが事前の段取りをすべて整えてくれていたため、エドゥアルドは獲物が姿をあらわすのをさほど待たずに済んだ。


 冬の初めを迎え、薄く雪の降り積もった森の中を、何頭もの鹿の群れが駆けてくるのが見える。

 追い子たちが数メートル間隔で列を作り、声や楽器などで鹿の群れを追いこんでいる。


 鹿たちは、森の木を横切りながら、どんどん大きく見えてくる。

 立派な角を持った大きなオスの鹿や、まだ若く小さな鹿。

 追い子に追われて、必死に逃げてくる。


 だが、鹿たちはやがて、自分たちが逃げている方向にも大勢の人間たちがいることに気がついた。

 逃げ道をふさがれていると気づいた鹿たちは半ばパニック状態となって、一斉に、バラバラの方向へと逃げ散り始める。


 エドゥアルドは、慌てず、冷静に狙いを定めた。


 ここまで周到に準備がなされ、しかも、エドゥアルドは集まった人々からの注目を集めている。

 公爵としての、エドゥアルドにとって初めてとも言える公務。

 失敗するわけにはいかなかった。


 エドゥアルドは小さく肺から空気を吐き出すと息を止め、指の動きで狙いがずれないよう、静かに、慎重に引き金を引いた。

 それとほぼ同時に打ち下ろされたコックがカチンと音を響かせながら火花を散らし、その火花が点火薬を発火させて、そして、銃口の奥に充填じゅうてんされた火薬が爆ぜる。


 枯れた森の中に、銃声が響く。


 集まった人々の中から、どよめく声がれる。

 エドゥアルドが放った弾丸は狙いを外さず、1頭の雌鹿の心臓を正確に射貫き、雌鹿に声をあげさせることもなく絶命させたからだ。


「フン。狙うなら、どうしてあの立派な角のある雄鹿を狙わないのだ」


 お見事、とか、素晴らしい、とか、エドゥアルドの射撃を称賛するような声が広がる中で、そう嘲笑ちょうしょうするように言ったのはフェヒター準男爵だった。

 フェヒターは、今日は取り巻きのごろつきたちを連れてきてはいないものの、相変わらずひときわ目立つ派手な衣装で、美しい白馬にまたがっている。


「鹿は、4歳の雌鹿がもっとも美味であるとされております。いやぁ、公爵殿下、良き獲物をお選びになりましたな」


 フェヒターの不遜ふそんな物言いに、無事に獲物をしとめることができてほっとしていたエドゥアルドは少しムッとしたが、それに気づいたゲオルクがすかさず、なるべく朗らかな口調でそう言ってフォローする。


(イチイチ反応しても、しかたがない)


 そのゲオルクのフォローで冷静さを取り戻したエドゥアルドは、小さく深呼吸をすると、笑顔を作りながら背後を振り返って命じる。


「ゲオルク! 苦労をかけるが、さっそく、あの鹿を持ち帰って、我が館のメイドたちに料理するように伝えてくれないか? 今日の良き日に、客人たちには心づくしのもてなしをしよう! 」

「はい、公爵殿下。ただちに」


 その言葉に、ゲオルクはうやうやしくこうべれる。


 人々はそのエドゥアルドの様子をそれとなく見つめながら、小声でひそひそとささやき合っている

 皆、若い少年公爵のことを観察し、値踏みし、その力量を押し計ろうとしているのだ。


 エドゥアルドが、仕えるのに値する存在なのかどうか。

 公爵としてふさわしい態度を見せることができ、公国を導き、統治することができるのか。


 今のところ、集まった人々からエドゥアルドへの評価は、悪くない。

 ライフル銃の性能があったとはいえ、見事に獲物をしとめることができ、加えて、公爵として客人への気づかいも示すことができている。


 自身のあおりに賛同する人々の現れなかったフェヒター準男爵だったが、彼はひそひそと内緒話にいそしむ貴族たちの中にあって、不敵な笑みを浮かべている。


 エドゥアルドが順調に狩りはじめの儀式を進めているのに、ずいぶん余裕のありそうな態度だった。

 日頃からエドゥアルドに突っかかっているフェヒター準男爵にしては、違和感のある態度だ。


 エドゥアルドはそこに引っかかりを感じたものの、装填の済んでいるライフル銃に持ちかえ、次の獲物が来るのを待った。

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