第49話:「狩り:1」
狩りはじめ。
それは、ノルトハーフェン公国においては、単に狩猟を解禁するために行われる儀式という以上に、一国を治める領主である公爵の権威を示す、儀礼的な意味合いの強い大切な儀式だった。
だが、ルーシェにとっては、退屈だった。
エドゥアルドたちは儀式の前準備として、ヨハンという地元の猟師をシュペルリング・ヴィラに呼び、あれこれとしている様子だったが、ルーシェはそれに少しも関わらせてもらえなかった。
もちろん、ルーシェに仕事がなかったわけではない。
シャルロッテやマーリアがエドゥアルドにつきっきりになっていた分、ルーシェはいつも以上に働いた。
だが、少し、納得がいかないというか、寂しい。
自分は、この館の、公爵に仕えるメイド。
半人前かもしれないが、エドゥアルドは自分に、ここにいても良いと言ってくれた。
ルーシェとしては、自分もシュペルリング・ヴィラで暮らす人々の一員に、仲間になれたようで嬉しかった。
なのに。
なんだか、自分だけ仲間外れにされているような気がするのだ。
エドゥアルドたちには、そんなつもりは少しもないのだろう。
それは、ルーシェにもわかりはするのだが、それでも、どうしても疎外感を感じてしまう。
それに、ルーシェは心配だった。
エドゥアルドたちの雰囲気は、狩りはじめの儀式が行われる日が近づくにつれてだんだんと緊張感を増していっている。
これから、なにが起ころうとしているのか。
エドゥアルドは、シュペルリング・ヴィラは、自分たちは、どうなるのか。
なにも知らされていないルーシェは、ただ、不安感をつのらせることしかできない。
そうしているうちに、とうとう、狩りはじめの儀式が行われる日になった。
その日に向けてルーシェたちは準備を進めていたものの、当日はやはり大忙しだった。
狩りはじめの儀式には、エドゥアルドだけではなく、公国の統治を行っている摂政のエーアリヒや、フェヒター準男爵を始めとする、公国に仕える貴族たち、そしてたくさんの使用人や、護衛の兵士たちがやって来るからだ。
その多くは、狩りはじめの儀式が行われる森の中の狩場に集まるのだが、シュペルリング・ヴィラにも、エドゥアルドへの挨拶などのために、それなりの地位や立場にある来客が何人も訪れる。
ルーシェたちは、エドゥアルドが儀式に参加するための準備だけでなく、そういった来客たちへの応対を行わなければならなかった。
目が回るような忙しさになったが、それもなんとか乗り越えて、ルーシェはエドゥアルドたちが狩場へと出発するのを見送ることになった。
今回、シュペルリング・ヴィラには、ルーシェ、シャルロッテ、マーリアの3人と、猫のオスカーが残る。
エドゥアルドに同行するのは、ゲオルクと、ヨハンの2人、そして、猟犬という名目で、実質はエドゥアルドの護衛として参加する犬のカイだ。
これは、狩りはじめの儀式はエドゥアルドが公爵として行う公務であり、また、乗馬する技能が求められるため、ルーシェたちは参加することが許されないためだ。
ルーシェにも、自分の教育を行ってくれているシャルロッテが単純なメイドではなく、エドゥアルドの身辺警護まで行うボディガードのような立ち位置にいることはなんとなくわかってきている。
だが、そのシャルロッテも今回ばかりは同行することが許されず、エドゥアルドの身辺は、ゲオルク、ヨハン、そしてカイだけで守らなければならない。
やはり、心配だ。
なぜなら、狩りはじめの儀式の間中、エドゥアルドの周辺には、確実に信頼できる者は2人と1匹しかいないのに対し、陰謀を目論む側に
エドゥアルドは、敵が潜んでいるかもしれない中に、わずかな護衛だけを連れて向かわなければならない。
それが、実権を持たない公爵であるエドゥアルドが有している、数少ない公爵としての証を守るためなのだとしても。
あまりにも、危険なのではないか。
ルーシェには、なんの確信も持てなかった。
もし、エドゥアルドと、2度と会えないとしたら。
陰謀が実を結び、エドゥアルドが命を失って、このシュペルリング・ヴィラに、ルーシェの前に、2度と戻って来ないとしたら。
せっかく手にすることができた居場所を、ルーシェはまた、失ってしまうことになる。
カイと、オスカー、大切な家族たちと安心して、そして、ルーシェが、ルーシェとして暮らしていくことのできる、ただ1つかもしれない場所を、ルーシェはなくす。
そしてどういうわけか、エドゥアルドがいなくなるかもしれないと思うと、ルーシェの胸の内が、小さく、ズキズキと痛むのだ。
だが、ルーシェは、公爵に仕えるメイドとして、不安そうな様子でエドゥアルドたちを見送るわけにはいかなかった。
狩場への出発は、シュペルリング・ヴィラから、エーアリヒを始めとする公国の貴族たちや、有力者たち、漁師たちの代表、警護の兵士たちを連れて、皆で乗馬して行われる。
それはすでに、儀式の一部だった。
エドゥアルドは、公爵としての威容を整え、その権威を周囲に示さなければならない。
そんな場面で、ルーシェが、不安そうに、落ち着かない様子で混ざっていたら。
それは、エドゥアルドが、実権のない公爵という立場から抜け出し、本当の意味での公爵として、この国の主として立とうとする努力に水を差すことになる。
「いってらっしゃいませ、公爵さま! 」
だから、ルーシェは、乗馬したエドゥアルドを、精一杯の笑顔で見送った。
エドゥアルドは、やや緊張した様子で、だが、
その姿は、まだ幼さの残る少年なりに公爵としての自負と責任を感じさせるものだ。
エドゥアルドは、見送るルーシェたちの方を振り返ることはなかった。
どんどん小さくなり、つき従う人々の影に隠れて見えなくなるまで、ルーシェたちはエドゥアルドの後姿を見送った。
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