第15話:「見習いメイド・ルーシェ:3」

「さて、と。お仕事、お仕事、っと」


 ルーシェが働きたいと申し出たその翌日の朝。

 マーリア・ヴァ―ルは、館の主である公爵に朝食を出してその後片づけを済ませた後、庭にある井戸のかたわらで、大きな金属製のタライを用意し、洗濯かごに山積みにされた洗濯物を前に、気合を入れるために腕まくりをしていた。

 これから、昼食の準備を始めなければならない時間までの間に、この山積みの洗濯物を片づけるつもりなのだ。


 洗濯は、週に一度の大仕事だ。

 館の主である公爵個人の衣服をはじめ、マーリアやシャルロッテといった使用人の衣服や、ベッドのシーツや、タオル。

 たくさんの洗濯物を洗って、きれいにし、清潔な状態にしなければならない。


 近くに川でも流れていればそこで選択をするのが一般的だったが、あいにく近くにはちょうどいい川はなく、ここでは、井戸からくみ上げた水をタライにためて、洗濯板を使ったり、足踏みをしたりして洗濯をすることになる。


 本来であればこういった仕事はメイド長の仕事ではないのだが、公爵家ではなるべく外部から人間を入り込ませないために使用人の数を制限しており、マーリアもこういった重労働をしなければならない。

 シャルロッテはというと、こちらは館中の掃除をしなければならないから、こちらもかなり大変な仕事だった。


「雇ってあげられたら、よかったんだけどねぇ……」


 洗濯を始めるために井戸の底に釣瓶つるべを落としながら、マーリアはふと、罪悪感をその表情に浮かべた。


 公爵家の現状を考えれば、いかに相手が不憫ふびんであろうと、うかつに受け入れるわけにはいかないから断らざるを得なかったが、ルーシェはなかなか素直な印象で、仕事を頼めば熱心にやってくれそうな感触がある。

 だから、ルーシェたちを雇えばマーリアはそれなりに楽ができるはずだったし、ルーシェたちも、1人と2匹という家族が離れ離れにならずに済む。


 立場上、断固とした態度をとらざるを得ないのがマーリアだったが、やはり心苦しかった。


「おはようございます! メイド長さま! 」


 その時、突然背後から元気よく朝の挨拶をされて、マーリアは思わず「ウワッ!? 」と驚きながら背後を振り返っていた。


 そこにいたのは、ルーシェだった。

 しかも、驚いたことに、メイド服に身を包み、ボサボサだった髪も整えて、仕事の邪魔にならないように縛って服の中にしまっている。


「あっ、すみませんっ! 声、大きかったでしょうか!? 」


 やる気満々、といった表情でいたルーシェだったが、驚いた表情のままマーリアが固まってしまったことから、慌てて頭を下げてマーリアに謝罪する。


 もっとも、マーリアは別に怒っているわけではない。

 ただ、驚いただけだった。


「ちょ、ちょっと、あんた。えっと、ルーシェちゃん、だったかしらね? 」

「あっ、はいっ! ルーシェです! 」

「その恰好は、いったいどういうつもりなんだい? それに、こんな風に動いても、大丈夫なのかい? 」


 マーリアの問いかけに、ひとまず彼女が怒ってはいないと理解したルーシェは、はりきったように笑みを浮かべ、とん、と自身の胸を右手で叩いてみせる。


「お洋服は、シャーリーお姉さまにお願いして、お古を貸していただきました! 大丈夫です、ルーは、いえ、わたしは、けっこう頑丈なのです! 今朝のごはんもとっても美味しかったですが、お世話をしていただいているばかりではいけないですから、お手伝いをさせてください! 」

「そんな、無理してるんじゃないのかい? 」


 だが、マーリアはルーシェを疑うような視線で見つめ返し、両手を腰に当てながら問いただす。


「あたしは、これでも元々は産婆だったんだ。公爵殿下をおとり上げしたのもあたしさ。だから、本職のお医者様ほどじゃないが、そういう知識はあるんだ。……とくに、あんたみたいな子供についてはね」


 その問いかけに、ルーシェは笑顔を保ったままだったが、言葉に詰まってしまった。

 無理をしているというのは、マーリアの指摘の通りだったからだ。


 だが、ルーシェは引き下がらない。


「平気です! ご心配はいりません! 」


 慌ててそう言うと、マーリアの脇をすり抜けるようにして井戸にとりつき、釣瓶つるべがついている縄を、滑車ガラガラとさせながら引き上げ始める。


「ちょいと! これは大人でも大変な仕事なんだよ!? やれるのかい!? 」


 マーリアが心配そうに血相を変えながらそう言うが、ルーシェは手を動かし続け、やがて水のたくさん入った釣瓶つるべを井戸から引き上げ、タライの中に中身をザバァッと注ぎ入れる。

 大きなタライだから、1回や2回では必要な量に届かないし、洗濯ものはたくさんあるから同じことを何度もしなければならない。


「ちょっと、アンタ! 」


 再び釣瓶つるべを井戸の底へと落とし込んだルーシェの腕をマーリアはやや強くつかんで、強制的に働くのをやめさせようとする。


 しかし、マーリアは息をのんだような表情になって、それ以上何も言えなくなってしまった。

 何故なら、マーリアの方を振り返ったルーシェの碧眼へきがんが、彼女が真剣であること、そして十分に覚悟と決意をしてここにいることを、無言のまま物語っていたからだった。


「お願いです。メイド長さま。……ルーに、わたしに、チャンスをください」

「そ、そうは言っても……」


 マーリアはルーシェの真剣さに心を打たれてたじろぎながら、それでも自身の立場と、ルーシェの体調を気遣う気持ちから拒否しようとしたが、しかし、途中で押し黙る。


 少し離れた遠くの方で、館の掃除をしていたシャルロッテが、マーリアに向かって「お願いします」と言いたそうに頭を下げるのが見えたからだった。


 マーリアは「むぅ」、とうなって少し悩んだ後、やがて、あきらめたようにため息をついた。


「……わかった」

「あっ、ありがとうございます! わたし、一生懸命ッ! 」

「待ちな。でも、条件がある」


 ルーシェは喜びの表情を浮かべたが、マーリアにそう言われて、途端に不安そうな顔になる。

 マーリアは、そんなルーシェの顔を見返しながら、もう一度ため息を吐くと、ルーシェの頭の上にぽん、と右手を置き、彼女に念を押すように言う。


「あんたがあたしの手伝いをすることは認めるわ。……ただし、手伝うだけ! あんたがなにかするのはあたしの目が届く範囲でだけで、決して無理はしないこと。そして、あたしが休めと言ったら、ぐずぐず言わずに部屋に戻って休むこと。……また倒れられたんじゃ、たまったもんじゃないんだよ」


 その言葉に、ルーシェはパっ、と表情をほころばせ、瞳を希望に輝かせる。


「ありがとうございますっ! メイド長さま! 」

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