第12話:「ルーシェ:4」

 ルーシェは、必死に、貪欲どんよくに、自身の身体の中に食べものを取り込み続けた。

 途中からはスプーンを使うことをやめ、器から直接、ポタージュを胃の中に流し込むような勢いだった。


 やがて、シャルロッテが用意した鍋はすっかり空になり、ルーシェはシャルロッテに感謝の言葉を述べて深々とお辞儀をすると、ようやく涙をふいて食事を終えた。


 トントントン、と、部屋の扉をノックする音が聞こえて来たのは、空になった鍋や、乱暴な使い方をされてすっかり汚れてしまった器を片づけるため、シャルロッテがそれらを重ねてまとめている時のことだった。


 シャルロッテが、仮とはいえ部屋の主であるルーシェをちらりと見て確認すると、満腹してベッドの上で丸くなってまどろんでいる2匹の家族を労わるようになでてやっていたルーシェは、恐縮したようにうなずき返す。


「どうぞ。あいています」


 ルーシェの意志を確認してからシャルロッテが許可を出すと、扉が開かれ、その向こうから、恰幅かっぷくのよいメイド服の女性が姿をあらわした。


 年齢は40歳前後。

 薄茶色の、長さはミディアムの髪に、優しそうな目元の茶色い瞳を持つ。


 経験豊富なベテランメイドで、少し口うるさいところもあるがやさしいおばさん、といった風貌ふうぼうの持ち主だった。


「あら、意外と、元気そうじゃないか? 」


 その女性は部屋に入ってくるとまず、穏やかにまどろんでいる動物に囲まれてベッドの上に座っているルーシェの様子を見て、にっこりと微笑んだ。


「突然ここに運び込まれて来た時は何事かって思ったけれど、とりあえず元気になってくれたみたいで良かったわ」


 どうやら、その女性はその見た目通りの優しい人であるようだった。


「まぁ! ポタージュも、すっかり平らげてしまったみたいだね。ま、あたしがこさえたんだから、当然だけどね」


 そしてどうやら、料理の腕にかなりの自信を持っているらしい。


 正直に言うと、ルーシェは食べることに必死で、ポタージュの味などほとんどわからなかったのだが、空気を読んでお行儀よく笑顔を浮かべ、「ごちそうさまです。とっても美味しかったです」と言いながら、女性に向かって頭を下げる。


「あー、あー、いいんだよ。病人には早く良くなってもらわなくちゃ。……それより、シャーリー! 昼食づくりの準備を手伝っておくれよ」


 ルーシェに向かって「気にしないで」と言いたそうに笑顔で手を振って見せた後、女性はシャルロッテに少し怒ったような声で言う。


「ただでさえ人がいなくて大変なんだから。この通り、その女の子たちも危ないところは超えたんだから、こっちの仕事に戻ってきてもらわないと」

「わかりました。メイド長」


 シャルロッテは素直にうなずくと、ルーシェたちに「また様子を見に来ます。あまり館の中を歩き回られるわけにはいきませんが、ひとまず、この部屋は好きに使っていただいてかまいませんので」と言い残し、食器類を持って、恰幅かっぷくの良い女性と一緒に部屋を出て行った。


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 部屋を出ていく2人を、せめてもの感謝の気持ちをあらわすために深々と頭を下げて見送った後、顔をあげたルーシェは、小さくあくびをした。


 満腹になるまで食べたのは、ずいぶん久しぶりのことだった。

 しかも、ここにはふかふかのベッドも、布団もある。


 寝て起きたばかりだというのに、自然とルーシェは眠気を覚えていた。


 タウゼント帝国でも北の方にあり、秋を過ぎて、冬へと向かいつつあるノルトハーフェンの気候はすでに日中でも肌寒いと感じる日があるほどだったが、ここはしっかりとした作りの建物の中で、暖かい。


 あの、壁はあるものの屋根もなく、ほとんど外気に吹きさらし同然の、スラム街の廃墟とはまるで違う。


 重くなって来たまぶたをこすりながらルーシェが見下ろすと、すでに、彼女の2匹の家族、猫のオスカーと犬のカイは、ルーシェが座っているベッドの上にのぼって、丸くなってすやすやと眠っている。

 ルーシェが無事に目を覚ましたことと、久しぶりに満腹になったことで、すっかり安心しきって、穏やかな寝息を立てている。


 スラム街にいたころは、その毛は汚れ放題、のび放題で、とても悲惨な見た目だったが、今の2匹はかなりマシな見た目になっている。

 おそらくだが、シャルロッテがこの場所にルーシェたちを連れてきた後、せめて汚れだけは落とそうと、2匹をきれいにしてくれたのだろう。

 相変わらず体毛はのび放題ではあったものの、2匹ともその毛並みは清潔で、スラム街もいた時では当たり前だった変な臭いもしていない。


 幸せそうに眠っている2匹を見ながら、ルーシェは「ふふっ」と小さく声をらして微笑んだ。


「ここは、いいところだね」


 ルーシェは、2匹を優しくなでてやりながら、自身も眠気でうとうととしながら、呟くように語りかける。


「ここには、ちゃんとした屋根も、壁もあるし、ふかふかのベッドにおふとん、美味しいごはん。……なんでもあるもの」


 ルーシェたちは、何年もあのスラム街で暮らして来た。

 当然、これから訪れる、寒い冬も、あの廃墟で何度も乗り越えてきた。


 生きていくだけなら、決して不可能ではない。

 なんでも、なりふりかまわず、生きて行けば、1人と2匹の家族は今年の冬も乗り越えていくことができるだろう。


 だが、ここには、自分たちが経験してきた日々とは比較にならないような、まるで天国のような暮らしがある。


 ノルトハーフェン公国という一国を治める領主である公爵家の館なのだというのだから、スラム街で暮らす貧しい少女からすればすべてが雲の上のことに思える。


 それでも、なんの偶然か、ルーシェたちはその、雲の上にいるのだ。


 もし、このままここにいさせてもらえることができたら。

 少なくとも、冬の間だけでもいさせてもらうことができたら。


 それは、夢のようなことだった。


 ルーシェたちは寒さに震えることもなく、今日の食事を心配することもなく、安穏とした暮らしを送ることができるだろう。

 冷たい雪の中で、凍え死なないために必死になってたきぎになるものを集め、飢えをしのぐための食べ物を得るためにスラム街の中を行ったり来たりし、休む間もなく働き、あるいはゴミを漁ったり、物乞いをしたりしなくて済むだろう。


「ずっと、ここにいさせてもらえたら、いいのにね」


 ルーシェは、切実な願いと共にそう呟くと、とうとう眠気に耐えられなくなって、ぽすんとベッドの上に横になり、そのまますぐに眠りに落ちていった。

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