第11話:「ルーシェ:3」

 やがて、ルーシェが自身の身体の震えをおさめ、涙をぬぐい、何事もなかったかのように自身をとりつくろった時、部屋の扉が再び開かれた。


 入って来たのは、シャルロッテではない。

 1匹の猫と、1匹の犬だ。


2匹の動物たちは、扉が開くのが待ちきれない! という様子で、扉が開ききる前に強引に身体を隙間にねじ込んで部屋の中へ進入すると、全身をバネのようにしならせ、まっしぐらにルーシェへと駆けよって来る。


「オスカー! カイっ! 」


 ルーシェは両手を左右に広げ、ベッドに座っていたルーシェに飛びかかるようにしてくる2匹を受け止めようとし、受け止めきれずにそのままベッドの上に押し倒された。


 2匹は、まったく遠慮がなかった。

 ベッドの上に押し倒されたルーシェの身体に、オスカーは嬉しそうにごしごしと自身の身体をこすりつけるし、カイは「こっ、こらっ、やめっ、やめなさいったらっ! 」と笑いながら困っているルーシェの顔をぺろぺろと熱心になめている。


 2匹は、その全身で、すべての感覚で、ルーシェが生きていることを確かめようとしているようだった。


 遅れて部屋の中に入って来たシャルロッテは、そんなルーシェたちの様子を楽しそうに見つめながら、金属製の鍋と食器を持ってリビングボードへと近づき、そこに鍋敷を敷いてからその上に鍋、その隣に食器を置いた。


 シャルロッテが鍋のふたを開けると、そこには、湯気の立つクリーム色のスープが入っていた。

 具の見当たらないとろみの強いスープで、見た目はシンプルだったが、複雑な良い香りがすることからかなり手が込んでいる料理であるようだった。


 シャルロッテがそのスープを器にとりわけ、木製のスプーンとセットにしてルーシェの方を振り返ると、そこにはこんもりと一塊になった毛溜まりがあった。


 ルーシェが、2匹の動物たちを抱きしめているのだ。

 だが、猫のオスカーも、犬のカイも、そしてルーシェ自身も、その体毛や髪の毛はのび放題になっているから、ほとんど肌のところなど見えず、シャルロッテからすると大きな毛の塊がそこにあるように見える。


 シャルロッテはベッドの近くまで歩いていくと、苦笑しながらルーシェにスープの入った器を差し出した。


「食べなさい。……公爵殿下の朝食にお出しした余り物ですが、ジャガイモのポタージュです。これなら、今のあなたでも食べられるはずですし、元気が出ますよ」


 シャルロッテの言葉に、ルーシェは2匹の動物の体毛に顔をうずめたままなんの返事もしなかったが、ただ、ぐぅ、という腹の虫の鳴く声だけが返って来る。


 その様子を見たシャルロッテは、少し怪訝そうな顔をした後、なにかに気がついたようにはっとした表情を作った。


「少し、待っていなさい。……あなたの家族の分も、持ってきてあげましょう」


 そう言うとシャルロッテはジャガイモのポタージュが入った器をリビングボードの上に置き、急ぎ足で部屋を出て行った。


────────────────────────────────────────


 やがて、シャルロッテはオスカーとカイに与えるための食事を持って戻ってきた。


 それは、柔らかく煮崩した鳥のささみ肉で、ルーシェと同じように久しくまともな食事をとっていないオスカーとカイにとっては、間違いなくごちそうだった。


 ベッドから降りてお行儀よく座ったオスカーとカイの前にシャルロッテは素焼きの皿を置き、その上に2匹それぞれが十分満腹できるだけの食事をとり分けてやる。

 それからシャルロッテがルーシェにジャガイモのポタージュを渡すと、ようやく、ルーシェもそれを受け取った。


 だが、ルーシェは、なかなか食事を口にしようとはしなかった。

 オスカーもカイも、美味しそうなごちそうを前にしてよだれを垂らすような勢いだったが、ルーシェがなかなか食事をはじめないことを心配してか、何度もルーシェの方を振り返ってその様子を確認している。


 自分が食事をはじめなければ、ルーシェにとっての家族であるオスカーもカイも食事をはじめない。

 そのことをルーシェ自身も理解はしている様子だったが、それでも彼女はスプーンを手に取らなかった。


 ルーシェも、食欲は感じている様子だった。

 それも、何度も腹の虫の鳴く音が聞こえてくるほどに強く。

 ごくり、と、口の中に勝手に湧きだして来る唾を、ルーシェは何度も飲み込んでいる。


 本心では、それを食べたいと思っているはずなのに、ルーシェはじっと、唇を引き結んだまま、器越しに自身の手にぬくもりを伝えてくるポタージュを睨みつけている。

 シャルロッテは、どういうわけか食事を我慢している様子のルーシェに、怪訝けげんそうな視線を向け、首をかしげた。


「なにを遠慮しているのですか? そのポタージュは、朝食として公爵殿下にも召し上がっていただいたものなのですよ? 」


 シャルロッテの言葉に、ルーシェは顔をあげてシャルロッテの方を一瞬だけ見つめ返したが、すぐに視線を落として、ポタージュとの睨めっこに戻ってしまう。


 その様子に、シャルロッテは少しだけ怒ったように、両手を腰に当てながらルーシェを軽くねめつけた。


「昨日、意識も定かではなかったときは、スープを必死になって食べていたのですよ、あなたは。私が差し出したスプーンをなかなか口から離そうとしなかったくらいに」


 ルーシェはシャルロッテに助けられ、すでに公爵家からの施しを受けている。

 今さら遠慮したり警戒したりする必要はないのだとシャルロッテは伝えたつもりだったが、ルーシェはそれでも頑なに食事をはじめようとはしなかった。


 どうやら、ルーシェが食事をしようとしないのは、遠慮や、施しを受けたくはないというプライドのようなものが理由ではないらしい。


 そう理解したシャルロッテは、ルーシェが食事をとろうとしない本当の理由についても察しをつけることができた。


 だが、彼女はそれを言わなかった。


 それは、とても、口にするのもはばかられるようなことだったし、それを言ったところで、シャルロッテがルーシェがその内側に抱えている辛さを肩代わりしてやることもできない。


 シャルロッテに言えることは、ただ1つだけだった。


「食べなさい」


 シャルロッテは少し悲しそうに視線を伏せた後、ルーシェのことを真っ直ぐに見つめながら、強い口調でそう命令した。


「ルーシェ。あなたがどんなに辛い思いをしてきたのか、私には、察するに余りあります。ですから、あなたの気持ちがわかるとか、そんなことを言うつもりはありません。

……ですが、ルーシェ。あなたには、なにがあっても、生きる義務があるはずです」

「ルーに、義務……、ですか? シャーリーお姉さま」


 シャルロッテの、その、しかりつけるような口調に、ルーシェは顔をあげて、シャルロッテに怪訝けげんそうな視線を向けた。


「そう。義務です。……あなたは、あなたの家族によって、生かされたのですから」


 シャルロッテがそう言うと、ルーシェは、ベッドの脇で、ごちそうを前にしながらも、心配そうに、不安そうにルーシェの方を見つめている2匹の動物へと視線を向けた。

「その2匹は、あなたが生死の境をさまよっている間、あなたのためにできるだけのことをしました。オスカーは必死にあなたの宝物の行方を追っていましたし、カイはきっと、ずっとあなたによりそって、あなたを守っていたのでしょう。

その間、2匹は食事をとることもしませんでした。食べられるものがあったのに。


……どうしてだと、思いますか? 」


 オスカーとカイは、じっと、ルーシェのことを見つめている。


 やがて、ルーシェはその2匹からの視線に耐えられなくなったのか、視線をそらし、また、ポタージュを見つめはじめる。


 その様子を、シャルロッテは黙って見守った。


 言うべきことは、言った。

 あとは、ルーシェが自分自身で決めることだった。


 辺りを静寂が包み、時間だけが過ぎていく。


 その間、ルーシェは、泣いていた。

 静かに、唇を悔しそうに引き結びながら、双眸そうぼうから涙をこぼし、着替えたばかりの服をらしながら。


 それから、ルーシェはスプーンを手に取ると、ポタージュをすくい、ようやくそれを自身の口に運んで、飲み込んだ。


 一度食べ始めると、もう、止まらなかった。

 ルーシェは涙を流したまま必死にポタージュを食べ続け、シャルロッテにお代わりをした。


 その様子を見ると、ようやく安心したのか、オスカーもカイも、しばらくぶりのごちそうに飛びつくような勢いで食事をはじめる。


 シャルロッテは食事をはじめたルーシェたちの様子にほっとしながら、お代わりを要求するルーシェのために、何度も給仕をしてやった。

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