第10話:「ルーシェ:2」

「そう……。やっぱり、あなたが、ルーシェ」


 ルーシェの言葉に、シャルロッテは少し真剣な表情になってうなずいた後、そのふところから、あるものを取り出してルーシェへと渡してくれた。


 ベッドから半身を起こしたルーシェが受け取ったのは、ペンダント。

 スラム街で暮らしていたルーシェにはあまりにも不釣り合いな、金と宝石でできた高価で美しいペンダントだ。


 それを受け取ったルーシェは、思わず涙ぐみながら、両手でそれを胸に抱きかかえるようにしながら、「ありがとうございますっ」と、シャルロッテに礼を言う。


 そのペンダントは、ルーシェにとって、大切な、かけがえのないものであるようだった。


「お礼なら、あなたの家族に言いなさい」


 その様子を見つめながら、シャルロッテは小さく首を振った。


「そのペンダントを取り返したのも、あなたのいる場所に私を案内したのも、あなたの家族……、あの猫がしてくれたことなのですから」

「えっ? ……オスカー、が……? 」


 ルーシェはシャルロッテの言葉に驚いたように視線をあげた後、それから、慌てたように部屋の中を見回し、血相を変えた。


「あっ、あのっ! シャーリーお姉さま! お、オスカーは、どこにっ!? そ、それと、カイはっ!? あ、えっと、その、カイっていうのは、おっきな犬のことなんですけど! 」

「安心しなさい。2匹とも、この館にいますよ」


 必死に家族の行方をたずねてくるルーシェの様子に優しく微笑んだ後、シャルロッテはそう言ってルーシェを安心させてやった。


 それからシャルロッテは立ちあがり、安心したのと家族も無事でいることの嬉しさに涙ぐんでいるルーシェに、リビングボードの上に置いた衣服の方を指し示す。


「あなたの身体に合う衣服がなかったので、私のお古を仕立て直しました。ひとまず、あそこに用意した服に着替えてください。……その様子なら、1人で着替えられますね? 」


 その言葉に、ルーシェは自分の両手を広げ、自分の状況を確認するように見える範囲で自身の全身を見回してみる。


 今ルーシェが身に着けているのは身体のサイズに合っていないぶかぶかのパジャマで、シャルロッテに言われた通り着替えるのが賢明であるようだった。

 それに、まだ本調子とは言えない、だるい、身体が重い感覚はあるものの、部屋の中で着替えをするくらいはルーシェにもできそうだった。


「あっ、はい、多分……。えっと、着替え終わったら、どうすれば……」


 ルーシェが上目遣いで恐る恐るたずねると、シャルロッテは小さくうなずく。


「そのままベッドで休んでいなさい。……なにか、食べられそうなものを持ってきて差し上げます」


 食べ物、と聞いた瞬間、ルーシェの腹のあたりで、ぐぅ、という音が鳴る。

 おそらくはシャルロッテにもしっかりと聞こえたであろうその音を聞きながら、ルーシェは恥ずかしそうに赤面して顔をうつむけた。


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 シャルロッテが部屋を出て行った後、ルーシェは顔をうつむかせたままじっとなにかを考え込んでいたが、やがて右手で涙をぬぐった。

 それから、シャルロッテが返してくれたペンダントを自身の首にかけ、周囲から見えにくいように服の中に隠すと、ルーシェはベッドから降りた。


 シャルロッテはルーシェのためにスリッパも用意し、ベッドの脇のはきやすい場所にきれいに並べてくれていたが、裸足で暮らすことに慣れ切っていたルーシェにとってそれは見慣れない、得体の知れないものでしかなく、ルーシェは自身の足に触れたスリッパを不思議そうに見つめた後、素足のままリビングボードへと向かった。


 用意されていたのは、飾り気もなく色も地味で質素だが、しっかりとした布地で作られているブラウスとスカートだった。

 高価ではない、一般に流通している素材で作られたものだが、清潔で、縫い目も頑丈で、スラム街で暮らしていたルーシェからすればこれも触れたことのないようなものだ。


 ルーシェはその服を見て、本当に自分がこれを着てもいいのか、としばらく逡巡しゅんじゅんしていたが、寝ている間におそらくはシャルロッテが着せてくれた今の衣服はやはり動きにくく、やがて覚悟を決めて着替えることにした。


 シャルロッテは自身のお古をルーシェに合うように仕立て直したと言っていたが、その服は驚くほどルーシェにぴったりだった。

 ただ、スカートの留め方がルーシェにはわからず、しばらくの間、悪戦苦闘する必要があった。


 着替えを終えたルーシェは、それから、自分が脱いだ衣服をできるだけきれいに折りたたんでリビングボードの上に置き、シャルロッテに言われた通りにベッドへと戻って、そこに腰かけた。


 ルーシェは、あらためて、まだ自分がここにいることが信じられない、という表情で部屋の中を見渡し、それから、えりの中からペンダントを取り出し、両手でぎゅっ、と握りしめる。


 ルーシェは、自分はもう、死んでしまうのだと思っていた。

 あの、廃墟のような住家で、誰にも知られることなく、ひっそりと消えて行くのだと。


 そうなるのだろうと覚悟し、そして、それを受け入れていた。


 もう、疲れた。

 こんなに辛い思いをしてまで、どうして、生きる必要があるのか。


 ルーシェはあの貧しく、汚らしいスラム街で生きていくことにすっかり絶望し、自身の運命に抗うことをやめたはずなのに。

 すべてをあきらめたはずだったのに。


 だが、どういうわけか、ルーシェはスラム街ではない場所で、これまで見たことも触ったこともないようなものに囲まれ、清潔な衣服に身を包んでいる。


「どうして……」


 ルーシェは震える声で小さく呟き、それからうつむいて、人知れず涙をその双眸そうぼうからこぼした。

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