第3話:「公爵家のメイド:3」

 しつけのなっていないごろつきたちを軽くあしらった後、シャルロッテは少しだけ歩く速度を速めて、目的地へと向かって行った。


 雇い主が誰なのか。

 はっきりとした答えは得られなかったが、とにかく、金でごろつきを雇い、シャルロッテを狙っているような相手がいることは確かだ。

 だから、こんな、どこにどんな危険が潜んでいるかもわからないスラム街からは、1分1秒でも早く抜け出したかった。


 それに、約束の時間が迫りつつある。

 シャルロッテはふところから取り出した懐中時計かいちゅうどけいで時刻を確認し、さらに歩く速度を速めた。


 ほどなくして、シャルロッテは、スラム街の片隅にある1件の店へとたどり着いていた。


 スラム街に多い、2階、3階建ての建物の1つで、地上部分は浮浪者同然の貧乏人たちがつつましく、ギリギリで暮らしている住居に、そして、地下部分は、一見するとなにを売っているのかわからない、怪しげな店になっている。

 建物はスラム街の他の建物に負けず劣らずボロで汚らしく、周囲には一際濃い異臭が漂っている。


 そんな場所に入って行かなければならないことをなげくようにため息をついた後、シャルロッテは、地下の商店へと向かって階段を降りて行った。


 乱雑に転がっている酒瓶や、正体不明のごみの小山などを踏みつけないようにやや慎重に階段を降りて行ったシャルロッテは、目の前にあらわれた固く閉ざされた木製の扉の前で立ち止まり、ドアノッカーを、トントン、トン、トントントン、と、なにかの合図を送るように叩いた。


「入りなぁ」


 すると中から枯れた男性の声が聞こえ、ごとり、と、扉を固定していた仕掛けが外される音が聞こえてくる。


 シャルロッテが扉を開いて中に入ると、そこは、薄暗い場所だった。

 形のいびつな安物のレンガで壁を、廃材を再利用したとしか見えない木で天井を作り、床は土がむき出しという粗雑な作りの場所で、辺りにはいくつもの樽が積み上げられ、イスやテーブルも置かれている。


 樽の中身は、スラム街で醸造された密造酒。

 そこは、得体の知れない材料で醸造された酒を安価に売りさばく、闇酒場だった。


 だが、そこに客の姿はなかった。

 今日やってくる特別な[上客]、すなわち、シャルロッテのために人払いをしてあるのだ。


 オイルランプの光でかすかに照らし出されているだけの闇酒場の奥に、1人の人影があった。

 その人影は、すでに髪の白くなった老人で、スラム街に住んでいるにしてはという注釈がつくもののそれなりに立派に見える衣服に身を包んでいる。


 普段はここで密造酒を売りさばいている店主だ。

 彼は今、わずかなランプの明かりを頼りに新聞を広げ、シャルロッテの方へと視線を向けないまま、今日のニュースを読みふけっているようだった。

 新聞に隠れてよく見えなかったが、枯れた声といい、かすかに見え隠れする乱雑にのばした長い白髪といい、店主は老人のようだった。


 老人が読んでいるのは、毎週6回発行されている、大衆向けの新聞だった。

 この新聞というものも、元々この世界に存在してはいたものの、近年の産業化によって急速にノルトハーフェン公国に広まったものだ。

 大量の紙を安価に生産することのできる産業機械が導入されたことで、ノルトハーフェン公国の都市部を中心に多数の発行部数を持つ新聞が、スラム街に暮らすような人間にも少し無理をすれば手が届くくらいの値段で売られるようになった。


 もっとも、この老人は、密造酒の商いの他にも[副業]でたっぷりともうけているから、読み終わった新聞を、所用をすますための雑紙に気兼ねなく使えるほどには裕福だ。


 老人が腰かけているイスのそばには、店の出入り口にある扉に施されているしかけを動作させるためのレバーがあり、店主がレバーを操作すると、シャルロッテの背後で再び扉が固定される音が聞こえてくる。

 シャルロッテはその音にも眉一つ動かさずに、落ち着いた足取りで闇酒場の奥へと進んでいった。


「……いつものをお願いします」


 シャルロッテは、周囲に漂う密造酒の臭いに顔をしかめながら、店主のすぐ近くのカウンター席の1つに腰かけ、ズッシリと重い小袋を一つ、店主に向かって差し出しながら、短くそう注文をした。


 店主は新聞を広げたまま、シャルロッテが差し出した小袋を片手でつかみ、その重さを確かめ、自身の身体の前へと引き寄せて新聞紙の向こう側で小袋を開き、中に約束したとおりの金貨がぎっしりと詰まっていることを確認すると、「確かに」と言ってから、シャルロッテに聞こえるように、まるで新聞に書かれているニュースを読み上げるように独り言を呟き始める。


「最新のニュースによると、例の[ネズミ]はまた、動きをさらに活発にしてきているそうだ。この辺りのごろつきどもに[エサ]をまいて、いろいろさせてるらしい」

「それは、すでに承知しています。……ここに来る途中で、[ネズミ]に餌づけされたのにからまれましたから」

「ほぅ? それにしちゃ、小ぎれいじゃないか。さすがといったところかね? 」


 シャルロッテの言葉に老人は感心するような言葉をらし、シャルロッテはそんな老人に、「もっと他に有用な情報はないのですか」と言いたそうな視線を向ける。

 老人からそのシャルロッテの視線は新聞で隠れて見えないはずだったが、気配でそれを察したのか老人は肩をすくめてみせ、独り言を再開する。


「次のニュースによれば、[ネズミ]どもは盛んに、銃なんかを買い集めているようだな。ほほぅ、なるほど、この近所の工場で生産している武器の一部に出た[不良品]を処分するという形で入手しているのか」

「財源は? 」

「ふふっ。そりゃ、もちろん、[公爵殿下の穴の開いたサイフから]さ」


 少しおどけた老人の言葉に、シャルロッテは不愉快そうな顔をする。


 それは、おどけた態度を見せた老人への不快感ではなかった。

 ノルトハーフェン公国の公金が、その本来の持ち主の意志に関係なく使われているということが、シャルロッテには不快でならなかった。


「それで、どのくらい? 」

「詳しくはのってないが、少なくとも百丁。ここの武器工場は帝国中に銃をおろしているから、そんなに大々的には引っ張っていけないみたいだな」

「なるほど……。それは、少しだけいいお話ですね」


 シャルロッテは、本当に、ほんの少しだけ安心したように小さくため息をついた。

 小銃百丁といえば、ちょっとした部隊を編成できるほどの数だったが、まだ対抗手段が見出みいだせそうな、そんな気がする数でもある。


「今日のニュースは、以上だな」

「わかりました」


 深くイスに腰かけながらの老人の言葉にシャルロッテはうなずくと、カウンター席から立ちあがり、きびすを返して闇酒場の出口へと向かって行く。


「おっと。すっかり、聞くのを忘れていたぜ」


 そんなシャルロッテを、少し慌てたように老人が呼び止める。


「お嬢ちゃん。せっかく酒場に来たんだ。一杯、やってかないかい? 」


 老人の呼びかけに一度は振り返ったシャルロッテだったが、老人のその言葉を聞くと、少し呆れたような表情を老人へと向ける。

 それからシャルロッテは、得体の知れない材料で醸造され、異臭を放っている密造酒の詰まった樽を眺め、さすがに気味悪そうにする。


「……それは、遠慮しておきます」


 やがてシャルロッテはそう言うと、老人に背を向けて真っすぐ、足早に出口へと向かって行く。


「そりゃぁ残念だ。……ま、せいぜい気ィつけてくれや」


 老人はおどけたような口調でそう言うと、レバーを動かして扉を開き、それから、新聞の端から出した手を振って、逃げるように去って行くシャルロッテを見送った。

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