38限目 大道寺家の教え

「父さん」


 リョウは必死で足を動かし、貴文に追いつくと彼と同じ速さで隣を歩いた。カレンがその後ろを一定の距離は保ちついてくる。


「なんだ?」

「幸弘さんが言ったことは事実ですか? レイラさんも同じ証言はしていましたか?」

「していない。一方的に彼に襲われたと言っている。彼はレイラに好かれていると思ったようだ」

「ではなぜ、それを中村夫婦に言わないのですか」

「意味がないからだ」


 貴文は車の前まで来ると立ち止まった。運転手が車の後部座席を開けて待っていた。

 彼は運転手の方を見た。


「川野(かわの)さん、港(みなと)さんにリョウは私の車に乗るから帰るように伝えてください。それと1時間休憩してください」

「承知いたしました」


 川野は頭を下げると、後ろに止まっているリョウの車へと向かった。

 貴文はリョウの後ろにいるカレンに「それではまた」と声を掛けると車に乗り込んだ。カレンは頭を下げて自分の車に向かった。


 貴文は車の中からリョウの見上げた。


「何をしている。乗りなさい」


 眼鏡のテンプルを抑えながら、なにやらぶつぶつと言っているリョウに貴文は声を掛けた。彼はそれに気づくと返事をして、慌てて車に乗り込み扉を閉めた。


 貴文はリョウが扉を閉めたのを確認すると声を掛けた。


「分かったかい」

「はい。レイラさんと幸弘の証言が食い違っています。証拠がない以上、平行線の議論しかできないからでしょうか」

「そうだ。ロビーの監視カメラを見たが、音声がないためどちらが誘ったかを判明するのは難しい」


 リョウは壁を殴って赤くなった手をなぜながら頷いた。それを貴文は見てため息をついた。


「そうだ。ホテルの壁を叩いたのはどういう意味だ?」

「申し訳ありません。感情的になりました」


 リョウは赤くなった手を服で隠してうつむいた。貴文は腕を組むと前を見た。通行人は誰もおらず、街頭が光っていた。


「それは減点だ。相手を威嚇してなにかするという目的があるのならばいいのだが、感情に任せた行動ならば問題だ。それは判断を鈍らせて、醜態をさらすことになる」

「申し訳ありません。落ち着て対処できるようにします。あの、それでレイラさんの様子はどうだったのでしょうか。状況説明ができたということは落ち着ていたということですか」


 リョウは頭を上げて、貴文の方を見た。彼は目を細めて「う~ん」と悩むような声を上げた。

 眉をひそめる彼を見て、リョウは不安そうな顔をした。


「医務室で、状況説明をしたレイラは泣きじゃくりフロント・クラークの女性に抱きしめられていた」

「え? そんな状態のレイラさんを一人で帰宅させたのですか?」

「一人ではない。車まではフロント・クラークが付き添った。そこからは運転手がいる」

「……襲われて、不安だったのではないでしょうか。そういう時は側にいて支えるべきではないのででしょうか? なぜ、医務室に行くのをとめたのですか? 中村一家に3人で対応する必要があったとは思えません」


 興奮するリョウに貴文は手の平を見せた。それを見てリョウが口を閉じると貴文を腕を組んだ。


「申し訳ありません」

「リョウはレイラの事になると周りが見えなくなりすぎる。それでは、守れるものも失うことになる。今の自分の質問を冷静に考えなさい」

「は、はい」


 リョウは深呼吸をすると目をつむった。貴文は相変わらず、腕を組み通行人の通らない道路を車のフロントガラス越して見ていた。

 しばらくして、リョウは「あっ」という声を漏らして勢いよく貴文の方をみた。


「あ、先ほど監視カメラを見たとおっしゃいましたよね。何を見たのですか?」

「それはいい質問だ。まずは情報取集することが大切だ。安易に判断してはいけない。カメラに、ははっきりと彼とレイラが映っていた」


 リョウは貴文の言葉を一つも聞き逃さないように全神経を集中させた。


「二人はロビーに来ると、フロントから見えない位置のソファに座った。これはどちらから誘ったか分からないが彼はレイラを抱き寄せた。そして、彼の座り方は下品だった」


 そこまで、話すと貴文は言葉をとめて、口に手をやった。

 リョウはじっと彼の言葉を待った。


「二人は少し会話をしていたようだ。そして、彼がレイラの胸に触れた」


 その瞬間、リョウの目がキラリとひかり口を開いたが何も言わずに閉じた。貴文はそれを細い目で見ながら話を続けた。


「胸を触られてレイラはそのまま何かを話していたようだ。彼にレイラは倒され肩を抑えられていた。そこから悲鳴を上げるまで数秒間がある。それからは、悲鳴を聞きつけてベルボーイとフロント・クラークが駆けつけてきた。以上だよ」


 リョウは目を開き、口元を抑えながら話を聞いていた。話終わると貴文はリョウの方をみた。


「それでは、レイラさんが幸弘さんを陥れようとしたと、とらえる事も可能ですね。ただ、レイラが幸弘さんの行動に動じなかった可能性もありますが、父さんにあった時に泣きじゃくっていたと言うのが引っかかります」


 貴文はリョウの顔を見て頷いた。


「彼に襲われたから陥れようとした可能性もあるがそれは分からん。だが、この映像からはっきりしていることがある。分かるか?」


 リョウは一度目をつぶり、そしてゆっくり開けた。


「レイラさんは冷静であった」

「そうだ。確実に逃げられる手をとったようだ」

「父さんとあった時泣きじゃくっていたというのは演技でしょうか。でも、思い出して怖くなったということもありますよね」

「どうだろうな」


 貴文はゆっくり、息を吐いて腕を組みなおした。


「レイラは精神年齢が高い。それに比べてリョウは取り乱しすぎた。そんな状態でレイラの元へ行かせられない」

「……はい、すいません。私の付き添いに母さんが必要で、父さんは中村家との対話に集中したかったのですね」


 リョウはホテルでの自分の醜態を思い出してうつむき、小さくなった。


「構わない。学びなさい」


 リョウは頷きながら、貴文をチラリと見た。彼を腕を組み、前を見ている。


「父さん……。さっきから、幸弘さんの名前呼びませんよね」

「……」


 その時、トントンと窓を叩く音がした。リョウが窓を見ると、そこには運転手の川野が戻ってきた。

 貴文が頷くと、彼は挨拶をしてから運転席に乗った。


 それから、自宅に着くまで貴文は一言も話さなかった。

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