14限目 父の帰宅

 レイラはため息をつきながらふと時計を見ると、入浴してから1時間がたっていた。


(どおりでボーッとするわけだ)


 レイラはゆっくりと湯船から上がりシャワーを浴びてから浴室を出た。


 浴室を出た瞬間、涼しい風が身体にあたりとても気持ちよかった。

 準備されてたタオルで身体を拭き、タオルを頭に巻くとすぐに前開きのワンピースに着替えて鏡台に座った。


「ふーっ」


(やべぇ。気持ちわりぃ)


 椅子によりかかり上を向くと「失礼します」という言葉と共におでこに冷たい物が当てられた。


(あ~。気持ちいい……って)


 驚き身体を起こすとおでこのタオルが手の上に落ちた。

 目の前鏡にはサトエが映っていた。


「どうぞ」

「えっ」


 サトエがレイラの後ろから真横に移動すると、お盆の上にあった水を鏡台に置いた。


(サトエ? なんで?)


 驚いたが、それを表情に表さないよう必死にこらえて笑顔を作った。


「ありがとうございます」


 そう言ってレイラはゆっくりと水を口に含み、手に落ちたタオルをおでこに当てた。その瞬間サトエの口角が微かに上がったように見えた。


(うっ?)


 レイラは驚き、サトエの顔をじっと見つめると元の無表情に戻っていた。彼女のそういった表情をレイラは初めて見た。彼女はいつも感情を表に出さない綺麗な人形のようであった。


「申し訳御座いません」


 サトエは頭を下げた。それがなんだいつもより小さく可愛らしく思え、その姿にレイラは魅入ってしまった。


 しばらく沈黙が続き、サトエの申し訳なさそうな声で「また、余計な事をしてしまいました」と言ったのでレイラは慌てて礼を言った。


「いえ、お水ありがとうございます。少しお風呂に入りすぎてしまいましたので助かりましたわ」

「え、はい。とんでも御座いません。必要ないと言われましたのに脱衣所に入り申し訳御座いません」


 サトエは更に深く頭を下げた。レイラは一口水を含むと眉を下げてサトエをみた。


「私の様子を見ていてくださったですね」

「レイラさんの体調管理も私の仕事です。できるだけレイラさんの気にさわらないようにとは思ったのですが……害してしまったのでしたら失礼致しました」


 彼女の恐縮した態度を見て、レイラはいたたまれない気持ちになった。


(今まで、自分のことばかり考えすぎていた。俺は俺(レイラ)だ。前世と違いおっさんじゃないから心配してくれるよな。それを、自分が恥ずかしいからと、申し訳ない事をしていた)


「それでは失礼致します」


 サトエは暗い顔お辞儀をすると、レイラにゆっくりと背を向けた。


「待ってください」


 レイラが慌てて呼びとサトエは勢いよく振りかえった。レイラは少し躊躇いながら「サトエさん。髪乾かして下さい」というと彼女は手を揃えて、頭を下げた。レイラからは一瞬しか見えなかったが、彼女の口角が上がったように感じた。


「はい。承知致しました」


 サトエの返事を聞くとレイラは背もたれに寄りかかった。彼女は頭をゆっくりと上げるとレイラが座る椅子の後ろに立ち、ドライヤーを持ってレイラの髪を乾かし始めた。


 若い女性に髪を触れて最初は緊張したが、すぐに慣れた。


「ご気分はいかかでしょうか」


 一通り乾かし終わるにサトエに声を掛けえられた。いつもと同じ感情の見えにくい声であるがレイラには優しさを感じた。


「どうされましたか? ご気分が悪いでしょうか」


 眉を下げるサトエが自分を心配しているのだとレイラは感じた。今まで彼女の感情が見えなかったのがウソの様であった。


(サトエには元々感情があったが、俺が見てなかっただけか)


「大丈夫です。ありがとうございます」

「お肌の方も触らせて頂いてよろしいでしょうか」

「お願いします」


 サトエはおでこに乗せていたタオルを取り、カゴにいれた。それから、鏡台の引き出しから化粧水などを取り出すとレイラの肌を整え始めた。

 以前はサトエに鞄すら触られることを緊張したが今は平気であった。


(レイラの周りは優しい人間ばからだなぁ)


「どうでしょうか」


 顔が整い終わるとサトエが声を掛けた。レイラは礼を言うとそのまま居間に向かった。サトエは頭を下げると浴室の片づけのためにその場に残った。


 居間に行くと台所トメがいた。


「あれ? トメさん……?」

「佐藤(さとう)タエコは今日の夕方から明日まで休みですよ。聞いていませんか?」


 驚いているレイラにトメは優しく返事をした。


「そういえば、言っていた気がしますわ」


 レイラは扉をそっと閉めると足早にカウンターに座った。そして、料理をお皿に盛るトメの姿を身体を揺らしながら満面の笑みで見ていた。


「どうしたのですか? 嬉しそうですね」

「トメに会えて嬉しいのですわ」

「ありがとうございます。そう言って頂けて光栄です」


 カウンターに微笑みながらトメは夕食を置いた。

 今日の夕食はアジの塩焼きにご飯そしてほうれん草のおひたしと味噌汁だ。

 レイラはトメの和食料理が大好きだ。


「兄の食事もトメさんが作るのですか?」

「いえ、リョウさんは担当家政婦の吉田(よしだ)ユリコが作りますよ。材料は同じですので大きく違うメニューにはならないと思います。何かに気なる事がありましたか」

「いえ、特に何もありませんわ」


 レイラはそう言って挨拶をして食事を食べた。トメと会話を楽しみながらの食事は楽しくあっという間に終わった。

 レイラが食器を片付けていると、ノックと共に扉が開きユリコが入ってきた。彼女はレイラに気づくと会釈をした。


「レイラさん。今日も暑い夜ですね」

「そうですわね。これから兄の食事を作るのですか?」

「ええ。何かご用がございますか?」

「いいえ、私(わたくし)はもう休みますわ。それではユリコさん、トメさん。失礼いたします」


 レイラが丁寧に挨拶をすると、トメとユリコは頭を下げ「おやすみなさいませ」と言い、レイラが部屋から出るまで頭を下げていた。


 扉が閉まる音がすると、トメはすぐに洗い物に戻った。ユリコは台所に入ると、トメに近づいた。


「レイラさん大丈夫ですか?」

「何がですか?」


 小声で聞くユリコにトメは洗い物の手をとめることなく、そのままの姿勢でユリコの質問に答えた。すると、ユリコは困ったような顔をしながら冷蔵庫を開けて中身の確認を始めた。


「リョウさんがレイラさんの事をひどく心配されていました」

「あぁ、言葉ですか?」


 トメとユリコはお互いに背中を向けながら会話をした。彼女たちは相当重要なことでないかぎり引継ぎもすべて作業をしながら行う。


「それもですが……図書館でお友達ができたとか……」

「……」


 トメはユリコが何を言いたいのかは想像できた。しかし、自分が勝手に話して問題になることは避けたかったため口を閉じた。


「面白い話をしているね」


 閉まっていたはずの扉がノックもなく突然開くと当時にトメとユリコに話しかける声が聞こえた。その声が聞こえた途端、二人は作業をやめてキッチンから出てきた。

 二人は扉の前までくると頭を下げた。


「お帰りなさいませ。大道寺さん」


 二人同時に挨拶をすると、黒髪をきっちりとあげスーツを着たレイラの父である大道寺貴文(だいどうじ たかふみ)は二人に労いの言葉を送った。

 ユリコがトメより先に頭を上げると貴文に声を掛けた。それをトメは頭を上げながら聞いていた。


「本日はこちらでお食事でしょうか」

「そんな訳ないだろう。私は家(ここ)では食べないよ」


 貴文の言葉は柔らかいが圧を強く、ユリコは「はい」と返事をしてそれ以上何も言わなかった。彼は笑顔でトメとユリコの顔を交互に見た。そして、チラリとソファを見た。


「私の可愛い子どもたちの食事は終わったのかい」

「リョウさんはこれからです」


 ユリコの言葉を聞くと貴文は手をあごに当てると何度か頷いた。その間、ユリコとトメは微動だにせず、姿勢を正して、手を前で組んで貴文の言葉を待っていた。


「ではユリコさん、私とトメさんにお茶をお願いできるかな。その後、リョウに食事を作ってやってくれ」

「承知致しました」


 ユリコは強張った顔で貴文に返事をすると頭を下げて台所に向かった。貴文はそれを確認するとトメの方をみた。


「さっきの詳しい話を聞きたいな。ソファにでも座ろうか」


 貴文はそういうとソファに腰を掛けて足を組んで、その足の上に両手をのせた。

 トメは貴文の後から進み、彼の斜め横に「失礼いたします」と言って座った。彼の笑顔を見るとトメの姿勢は自然と伸びた。

 その時、扉をノックする音が聞こえユリコが扉へ行き開けた。ユリコに礼を言いながら、入室した人物はソファに座る貴文を見て動きをとめた。


「え……? お父さんですか?」


 扉の方で驚きの声を上げたのはリョウであった。貴文(たかふみ)はソファに座ったまま、首だけを動かしてリョウの方をみた。


「やぁ、リョウかい。これからここでトメさんと世間話をする。お前は食事をしていて構わないよ」


 穏やかに微笑んだまま、貴文(たかふみ)はリョウの方を見ていた。リョウは顔を強張らせて直立不動で立っていた。


「私の世間話に付き合ってくれるかな。勿論、食べながらで構わないよ。食事もテーブルでとってもらってかまわないからさ」


 楽しそうに話をする貴文(たかふみ)だが、その場で笑っているのは彼一人だけであった。他の三人は顔を強張らせている。


「わかりました」


 リョウが返事をすると貴文(たかふみ)は満足そうに笑った。

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