軍人の怪


 その事故、見たのは俺だ、と柊は言う。


「塾帰りの満月の夜。

 此処の前を通ってたんだ。


 そしたら、目の前に人が飛んできた。


 どうやら車にはねられた男が落ちてきたようだった。


 地面に叩きつけられた男は切れ切れに小さな声で、繰り返し、なにかを言っていた。


『……レン……


  サイレン……』」


「サイレン」

とはっきり澪の耳許で知らない男の声がした。


 はっ、と柊がいるのとは反対側を振り向いたが、そこにはもう誰も居なかった。


「その教師、うちの病院に運ばれて入院してたんだ。


『夜の校舎を歩いていたら、いつの間にか空が赤くなり、木造の建物に変わっていて、サイレンが鳴っていた。


 そして、軍服を着た男たちに追いかけられた』


 そう看護師たちに話していたそうだ。


 退院したあと、その教師はこの町から逃げるように居なくなったらしい」


「へ、へえ……。

 やっぱり出るのね、軍人の霊」


 そう澪は言ったが。

 いや、と柊は言う。


「毎年、夏に慰霊祭とかやってるだろ?

 充分供養されているせいか、この学校に軍人の霊は出ない」


「れ、霊が出ないのに、なんで、坂田のおじいちゃんや事故に遭った先生は軍人さんの霊を見てるの?」


 窓の向こう、クレーターまで見えそうな大きな満月を背に、腕組みした柊が言う。


「考えてみろよ、澪。

 それが何故なのか」


 妙に突き放した口調だった。


 軍人さんの霊は此処には出ない。

 坂田のおじいちゃんは霊が見えない。


 なのに、軍人さんたちを見ている。


「つまり、それは……」

と澪が言いかけたとき、その音が聞こえてきた。


 プッ……


   プッ


 スイッチの入ったスピーカーから聞こえてくるような雑音。


 やがて若い男の声が切羽詰まった様子でなにかを告げているのが聞こえてきた。


 だが、音が遠く、その内容まではわからない。

 

「なに……?」

と不安げに見回す澪の耳に、それは聞こえはじめた。


 低く長く、校舎に、夜空にと広がり、響き渡る嫌な音。


 Jアラートとはまた違う、不安をあおる音。


 もっと単純で原始的だが、落ち着かなくなる感じの――


  サイレン。


 その音だけで、突然、日常から切り離されてしまうような。


 すると、先程まで青白い月の光に満たされていた校舎の空気の色が変わり始めた。


 赤い光……。


 まるで夕日のような。


 ふと見ると、表情ひとつ変えずに立っている柊の後ろに月はなく。


 雲の棚引く、見たこともないような赤い夕空が広がっていた。


 えっ? と動けなくなる澪に近づいた柊が耳許でささやく。


「何故、霊が見えないはずの坂田さんに、その軍人たちが見えたのかって?


 それが――」


 霊ではなかったからだよ、澪。


 柊はそう言った。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る