第30話 お菓子食いてぇですわ
アジャダブ人を全て捕縛したメディナは、彼等に協力したと思われる伯爵に剣先を向けていた。
剣を向けられた伯爵はその場で膝から崩れ落ち、土下座に近い形で頭を垂れる。彼の表情から読み取れるのは「諦め」ではなく、どこか安心したような感情であった。
「……ザイード伯爵。全て話してもらおうか」
「はい」
サクサクサク。
「最初に言っておきたいのは、此度の件、全ては自分が犯した事にございます。娘は関係ございません」
「ほう。騙されたとは言わないのか?」
「はい。私が進んであの者の提案に乗りました。事の始まりは、数か月前。あの者が商人と偽って黄金小麦を買い付けに来た時より始まります」
サクサクサク。
「彼はヴェルトリアン王国東にあるサンサワード侯爵領よりやって来たと言っておりました。少量の黄金小麦を買ってすぐに領内から立ち去ったため、不審とは思わなかった。しかし、今思えば購入した小麦をアジャダブ王国へ持ち帰ったのでしょう」
その時出された身分証は間違いなくヴェルトリアン王国で発行された物だった。
今思えば、内通者が発行した身分証だったのだろう。
「それから数か月が経ち……。丁度、国境防衛の任を任されていたサンサワード侯爵が王城にて捕まったと噂が届いた頃です。彼は再び現れました。次は本当の身分を明かし、アジャダブ人であると私に告げて取引を持ち掛けてきたのです」
「取引だと?」
「はい。黄金小麦がアジャダブ王国の国王が大変気に入ったと。増産してくれと言われました」
「だが、アジャダブ王国との取引は国が禁止している」
「左様にございます。私も最初はそう申し上げました。ですが、彼は……。ヴェルトリアン王国を侵略する準備があると言ってきました。ヴェルトリアン王国を侵略する際、手を貸してくれれば黄金小麦の増産や領の特別待遇、前金として莫大な金を用意すると」
要は金に目が眩んだ。
ここまで話を聞いたメディナはそう結論付けていた。しかし、このタイミングで乱入者が現れる。
「はぁ、はぁ……! ち、違います! 違うのです! 騎士様!」
乱入者の正体はザイード伯爵の娘、ニーナであった。
彼女は息を切らしながらメディナと父親との間に体を割り込ませる。両手を広げて父親を庇いながら言葉を続けた。
「父が罪を犯したのは、全て領民の為を想ってなのです! どうか、話を聞いて下さい!」
「どういう事だ? 申してみよ」
サクサクサク。
「我が領地は収入がそこまでありません。これは領地のほとんどを使って栽培しているポカポカ小麦が原因です。ポカポカ小麦を栽培する土地を国で指定されてしまい、他の作物を栽培する土地があまりにも少ないのです」
ザイード伯爵領は国から指定された食料生産地である。しかしながら、その順位は二番目。保険としての役割が課せられている。
国内において食糧生産の要は北にある別の土地だ。そちらでも小麦が栽培されており、ザイード伯爵領よりも収穫量に優れている。加えて、ザイード伯爵領よりも土地は広い。
国内生産されるポカポカ小麦は国が一括で購入するのだが、年々収穫量が上がっていくと王城は小麦の買い取り価格を徐々に下げていった。
これは飢餓や災害に備えて備蓄していく分を加味した政策の一環なのだが、土地の広さで優れる北の領地はまだしも、土地が狭いザイード伯爵領では厳しいと言わざるを得ない。
毎年決まった面積を小麦栽培に使い、作っても価格が下げられてしまう。他に特産品となりそうな物を大規模栽培しようにも土地が足りない。これでは収入が見込めないのも確かだ。
「そのような事が……?」
「事実にございます。父は何度も王城に直訴しました。ですが、王城の経済省には全く聞き入れてもらえず……」
だというのに、領内の街道整備や治安維持等を王城から命令された際は、全て領地を治める領主が金を出さねばならない。
食糧生産地とあって輸送の観点から街道は常に整備せねばならないし、魔獣対策もしなければならない。
加えて、アジャダブ王国との国境にも近い事もあって領軍騎士の巡回警備も厚くせねばならないし、侵略に備えて騎士の雇用数も一定を保たねばならない。
どうにか領内事情を改善しようと試みたのが黄金小麦の開発であり、開発が成功すると王都でも高い評価を得られた。
その後、高級品となった黄金小麦によっていくらかは収入が改善したものの、それでもまだまだ足りない。
そこで、黄金小麦増産のためにポカポカ小麦の栽培領を減らしたいと改善を求めた。北の領地との差別化や黄金小麦を領地の特産品として国内輸出を行い、領地の収入を上げたいと申し出るが……。
「王城の貴族達は慣例通りに小麦を生産せよ。その一点張りです」
問い合わせ先は王城にある経済省であるが、黄金小麦の栽培量増加案は却下されてしまった。王に直接申し上げようとしても、伯爵位より上の貴族から「王の手間を取らせるな」と圧力が掛かる。
強行突破の形で王に謁見する手もあるにはあるが、王にも却下されればザイード家の心象は地に落ちる。上位貴族達にも逆らった形になって、今以上に肩身の狭い思いをするだろう。
場合によってはザイード伯爵領の小麦価格だけ下げられる、といった嫌がらせめいた仕打ちを受ける可能性だってあるのだ。
そういった予想から、ザイード家は王へ直訴できなかった。
「収入を増やすには増税せねばなりません。ですが、そうすれば領民の生活は今よりも落ちてしまいます」
領民に貧しい思いをさせたくない。その一心で頑張って来たが限界だった。
そこに甘い誘惑を囁くアジャダブ人が現れた。
「裏切りたくて裏切ったんじゃありません! 裏切らざるを得なかった! 私達だって裏切りたくなかった!」
ニーナは大粒の涙を零しながらメディナに訴えた。
「…………」
これにはメディナも言葉が出ない。騎士である彼女は国民を守る義務がある。だが、同時に国も守らなければならない。
加えて、騎士が国政に関与するのはタブーだ。
サクサクサク。
「リリィ様……」
故に、彼女は主へ助けを求めた。
苦悶の表情を浮かべたメディナがリリィへと振り返ると――
「うんっま! うんっま! うん……ん?」
食べていた。
彼女はずっと黄金小麦で作られたクッキーを食べていたのだ。アンコがいつの間にか持って来た、クッキー山盛りの皿を抱えてサクサクと食い続けていたのだ。
これまでの話なんざまったく聞いちゃいない。
途中途中に「サクサク!」という音が混じっていたように、彼女は一切合切聞いていなかった。事情説明開始冒頭から一心不乱にクッキーを食べていたのである!
「リリィ様! 沙汰を!」
「あっ、うーん。えーっと」
懇願するように求めるメディナにリリィはちょっとびっくりした。だって、話を聞いていなかったから。
でも、何となく「もう一回、初めから聞かせて」とは言えぬ雰囲気である事は感じ取れた。
クッキーを一摘まみして、ポリ、と端っこを齧る。その断面を見つめながら、彼女は言った。
「黄金小麦で作ったクッキーはうめぇですわ」
もう一口、ポリ、と齧って続ける。
「私の大好物ですのよ」
最後に残りを全部口に放り込んで、咀嚼しながらニーナとザイード伯爵に顔を向けた。
「よく頑張りました」
まずは労いの言葉。王族として家臣に向ける言葉の定番のスターティング文句である。
だが、このタイミングでリリィの頭上に豆電球が浮かぶ。そうだ、この際だから自分の要望を生産者に伝えよう、と。
ウンウン、と何度も頷いてから再び口を開く。
「私はもっと食べたいと思っています。それこそ、国民全員が毎日食べられるくらいに。いっぱい、いーっぱい食べたいのですのよ」
国民全員が食べられるくらい黄金小麦が栽培されれば、自然とリリィの口に入る回数も増えるだろう。
おやつの時間も回数が増えるかもしれない。毎度限られていたおやつの数も増えるかもしれない。
彼女はそう目論んだ。
だからこそ、告げるのだ。
「作りなさい。黄金小麦をいっぱい作りなさい」
彼女は女神のように微笑んで、もう一枚クッキーを口に放り込みながら。
サクサクサク。
「で、ですが、王城の貴族達は作るなと……」
リリィの言葉を聞いたザイード伯爵が驚きながらも口にする。それを聞いたリリィはこてん、と首を傾げてるのだ。
「どうして? 私は王女ですのよ? 私が作れと言って、それを拒む家臣がおりますの?」
彼女はこの国の王族である。王族が黄金小麦を増産すると言ったら、ただちにそれを始めるのが家臣の在り方である。
例え王城に勤める貴族が毎年の小麦収穫量うんぬんを管理していたとしても、王女が黄金小麦を増産しろと言ったら増産するのが国の在り方である。王城の貴族共は増産を念頭に入れた計画を新たに組むのが仕事である。
「しかし、ポカポカ小麦の栽培量が減ったらマズイのでは? 仮に小麦の価格が高騰してパンが食べられなくなったら平民は困ってしまいます」
ユンが言った懸念は至極真っ当なものだ。
平民が毎日パンを食べられるのは、小麦が安く買えるからである。例えば来年になって北の領地にて天候不順が続いたり、何らかの理由で小麦の価格が高くなれば毎日の食事代が上がって貧困に繋がる可能性もあるだろう。
懸念を言われたリリィは、またしても首を傾げた。
彼女は難しい事を理解できなかったのだ。
しかしながら、彼女なりに考えた。もう一枚クッキーを口に放り込んで、考えた末に出した答えは――
「パンが食べられないならクッキーを食べれば良いじゃない」
「え? クッキー、ですか?」
「パンが食べられないのでしょう? でしたら、クッキーを食べればよろしいですわ。黄金小麦で作ったクッキーは大変美味しいですのよ。クッキーを主食にすれば良いのですわ! ケーキでもよろしいわね!」
常識人なユンは「一体、何を言っているんだ」と内心思っただろう。口を開けてポカンと固まってしまう。
だが、ハッと何かに気付くような表情を浮かべたのはザイード伯爵だった。
「王女殿下は黄金小麦を普及させて、パンと同じく主食になるような物を黄金小麦で作れと仰っているのか……?」
自分に問いかけるように呟いた言葉だったが、リリィはザイード伯爵に顔を向けるとニコリと微笑む。普及ってなんだ? 難しい言葉の意味がよく分からなかったけど、とりあえず誤魔化しただけである。
しかしながら、ザイード伯爵の心は激しく打たれた。彼の心中で、小さなザイードが巨大な銅鑼をガンガン鳴らしまくったのである。
「私は固定概念に毒されていた……!」
いつから主食がパンだけであると決まったのだ。黄金小麦はパンに用いるのではなく、お菓子作りに最適と評価されたが、それは既存のパン作りに使用したからだ。
黄金小麦の使用が最適とする「主食」も作れるんじゃないだろうか。それを開発できれば、ポカポカ小麦の栽培量が落ちても問題無いのではないか。
「確かにすぐポカポカ小麦不足になるわけじゃないだろう。北の領地で栽培している量で国民の胃袋は賄えるのだからな」
直ちに影響を及ぼすわけじゃない。影響が目に見えて現れる前に、ザイード伯爵領が黄金小麦を使った第二の主食足り得る物を作れば良いだけである。
「これが答えか……! これが、救いの言葉か……!」
ザイード伯爵と彼と同じ考えに至った者達は、まるで恐ろしい者を見るような視線でリリィを見た。
完全に誤解である。
彼女はただ単に「お菓子いっぱい食いてェな」「黄金小麦が増えればお菓子が山ほど食えるじゃないの」と思っているだけなのだから……。
「ああ、そうか。これで、これでやっと……。我が領地にも希望が……。ニーナ、この件は全てお前に託す」
スッと立ち上がった伯爵は娘の肩を叩くと、晴々とした表情を浮かべながらメディナの前へ歩み出た。
「どうか、此度の件は私の首だけで済ませて頂けないでしょうか」
近くに落ちていた剣を拾い上げた伯爵は、刃を自らの首に当てる。ここで自ら自害するつもりなのだろう。
自ら犯した罪を自らの命で清算し、汚点を残さず次代に希望を繋ぐために。彼は覚悟を決めて手に力を込めるが――
「なにしてますの? 貴方、私の話を聞いておりまして?」
「え?」
どの口が言うのか。全く伯爵達の話を聞いていなかったリリィが、伯爵に向かって頬をぷくりと膨らませた。
「私は黄金小麦を作りなさいと言いましてよ」
「私も、ですか……?」
困惑する伯爵にリリィは首を傾げる。
「私もって。おかしな事を言いますのね。黄金小麦作るのは貴方でしょう。貴方が作らなければ意味がありませんわ」
リリィは単純に黄金小麦を栽培できるのはザイードのみだと思っているのだろう。
実際はザイード家と協力農家がいれば作れるのだが、それを知らないが故の言葉である。
「寛大なお言葉……! ありがとうございますッ!」
しかしながら、ザイード伯爵は『黄金小麦の栽培に専念する事で罪を償え』と解釈した。周囲の者もそう解釈したのだろう。
ザイード伯爵は剣を手から落とすと、その場で泣き崩れる。地面に額を擦り付けるようにして、寛大な王女の沙汰に感謝し続けた。
「よかった……! よかったね、お父様!」
泣きながら父親の背中に抱き着くニーナ。彼女もまた、リリィへ感謝の言葉を言い続けた。
他にも、さすがはリリィ様と彼女の決断を褒めるメディナ。良いご判断でした、と褒めるアンコ。一連の流れが全く理解できなくてポカンと固まるユン。
「……当然ですわ」
全然状況を理解できないリリィは、とりあえず胸を張った。そうしておくが良し、と思ったからである。
お菓子が食べたいという気持ちだけで救われる者がいたって良いじゃないか。
「ところで、クッキーはまだありまして?」
結果オーライってね!
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