第28話 うるせえ! 行くぞ!


 ザイード伯爵邸にて。


 ザイード伯爵は執務室にて、赤い瞳の男と輸送に関する打ち合わせを行っていた。


「輸送にはこの道を使う。我々の仲間が潜伏しているので影ながら護衛しよう。王国騎士に見つかったら街へ運ぶ途中だと言えば良い」


 周辺の地理が描かれた地図を広げ、赤い瞳の男が指で輸送ルートをなぞっていく。


 その後も、馬車の台数や御者に使う人間を細かく指定していき、赤い瞳の男が口にした命令は絶対に守れと何度も念を押される。


「……承知した」


 苦々しい表情を浮かべながらザイード伯爵は首を縦に振った。そのタイミングで執務室のドアが外からノックされる。


「旦那様。街の外に王女殿下の馬車が見えましたと報告が来ました」


 入室許可を告げると、報告してきたのはザイード家に仕える執事であった。


「指定の宿に向かうよう使いを出せ」


「お嬢様が向かうと仰っておりますが……」


 ザイード伯爵が命令を下すと、執事は困った顔をしながらそう言った。伯爵の娘が直接出向き、用向きを伝えると執事やメイド達に言っているそうだ。


 娘の提案を聞いて、ザイード伯爵の眉間に皺が寄った。娘の言動に何か違和感を感じたのか。


「うちの部下も同行させろ。確実に指定した宿へ誘導させるんだ」


 赤い瞳の男が横から口を挟む。彼もまた、ザイード家のお嬢様を不審に思ったのかもしれない。


「娘に手は――」


「出さないとも。下手な事をしなければな」


 まだ完全には信用していない。そう言わんばかりに、赤い瞳の男は部下を共に行かせる件を譲らなかった。


 執事から命令を伝えられたニーナは、聞いた瞬間に顔を一瞬だけ歪めた。だが、すぐに冷静な様子を見せて快諾する。


「では、お出迎えの準備をしないと」


 ニーナはメイドと共に衣装室へ引っ込んだ。彼女は鏡の前で着替えながら小さく呟く。


「……外ではダメね。宿に誘導する事は避けられないか」


 彼女の計画では、宿に誘導する前に何かを行いたかったらしい。だが、監視の目がある状況では大人しく宿まで誘導するしかないと妥協案を採用したようだ。


「お嬢様……」


「大丈夫よ。絶対にやり遂げてみせるわ」


 領民もお父様も、絶対に守ってみせる。不安な表情を浮かべたままのメイドに、励ますような声音でそう告げた。



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 一方で、もうすぐ街に到着するリリィはというと。


「はぁ、はぁ……。これが最後。最後の一枚ですわ……!」


 馬車の中で最後の一枚となったクッキーを指で摘まみながら、血走った目でクッキーを見やる。


 口からはダラダラと涎が垂れており、何度も口をモゴモゴさせては、摘まんだクッキーを口の前に運ぶ。


「ああ! でも、食べてしまったら最後! もうありませんわ! どうしましょう!? どうしましょう!?」


 今、食べるべきか。それとも後にとっておくべきか。


 悩む。彼女は猛烈に悩む。まるでヤクに溺れたジャンキーのように悩む。


「い、いや! 食いますわ! 我慢できませんわ!!」


 パクリ。


 遂に口へ運んだ。サクサクと口の中で咀嚼して、甘くて香ばしいクッキーを味わってしまった。


 結果、どうなるか。


「足りねェですわ!! ぜんッぜん、足りませんわ!!」


 普段からワガママ言い放題な彼女が一枚だけで満足するはずがない。それどころか、最後の一枚を食べてしまったせいで欲望が更に膨れ上がる。


「ああ! 食べたい! 食べたいいいいい!!」


 目を血走らせ、下唇を噛み締めて、両手の指をワキワキしながら膨れ上がった欲望を撒き散らす。


 だが、本人も理解しているのだろう。今食べたクッキーが最後。次を味わうには街に行かねばならない。


「クッキィ……! クゥキィ……! ケヒィヒェェェー!!」


 際限なく膨れ上がっていく欲望は彼女の精神を汚染する。遂には奇声まで上げるようになってしまった。


 これが黄金小麦型お菓子欠乏症の症状である。


「リリィ様。もうすぐ街です」


「あひゃー!」


「そうですね。街に行けば食べられます」


「あひゃひゃー!」


「はい。ですので、ご着席下さい。馬車が揺れて倒れては怪我をしてしまいます」


 これが専属侍女たるアンコの能力か。他人には奇声としか思えぬリリィの発言を完全に聞き取っているようだ。


 侍女ってすごい。


 御者台に座るユンは連絡用の窓からキャビン内を見て、ドン引きしながらそう思った。


「あれは……?」


 街の入場門が肉眼で確認できる距離まで進むと、メディナは門の前に立つドレス姿の女性と彼女の隣に立つ男性を見つけた。


「伯爵家のお出迎えでしょうか?」 


「だろうな。伯爵家の娘かもしれん」


 地方の街でドレスを着る女性など、貴族の娘以外には考えられない。危険は無さそうだ、とメディナは馬車を門に向かって進めた。


 待っていた女性の前で停止すると、彼女は綺麗なお辞儀をする。


「ようこそいらっしゃいました。私はザイード家の長女、ニーナと申します」


 ニコリと笑う伯爵の娘。彼女を見たメディナは無言で頷く。だが、すぐに隣に立つ男へ視線を向けた。 


 ニーナの隣に立つ男も頭を下げるが、男の全身を観察するメディナの視線には疑いが混じる。着ている服装はヴェルトリアン様式だが、チラリと見えた瞳の色が赤かった。


 ヴェルトリアン人には珍しい瞳の色を見て、メディナは集積場の鴉から聞いた情報を頭に巡らせていたのだろう。


「私は王女殿下の護衛である。薔薇の隊長メディナだ。早速であるが、リリィ様は――」


「実は、王女殿下をお迎えする為の準備がまだ出来ていません。当家の準備が完了するまで宿で待機して頂けないでしょうか?」


 そう告げるニーナを見て、メディナが最初に思ったのは「不敬」だろうか。護衛騎士の話を遮り、更には王女の要望すらも聞かなかったのだ。一方的な要求を突き付ける彼女の顔を見ながら、メディナの眉間には皺が寄る。


 しかし、彼女は気付いた。


「…………」


 スッスッと横に動くニーナの眼球。動く先は隣に立つ男の方向であった。


 彼女の見せた行動はまるで誰かに監視されていると言っているようだ。下手な事を言えばマズイ。メディナにそう思わせるには十分な行動だった。


「なるほど。では、宿に――」


 と、メディナが承諾しようとしたタイミングでキャビンのドアが勢いよく開く。


「あ"な"だッ!!」


「ヒッ!?」


 キャビンの中から上半身を見せ、血走った目と噛み締める歯をギリギリと鳴らすのは王女リリィ。


「黄金小麦ッ!! 黄金小麦を使ったお菓子は宿にありますのッ!?」


「あ、え、へ!?」


 突然飛び出して来たヤバイ顔の王女と、彼女の質問に固まってしまい上手く答えられないニーナ。


「た、たぶん、ありません……」


 何とか口から出た答えは素直で正直な答えだった。


 それを聞いたリリィの口から「ア"ィィギィヒィィィィィ!!!」と奇声が漏れる。


「伯爵邸に行けばあるか? さすがに公務で報告する為の分くらいは確保しているのだろう?」


「え、あ、はい……」


 差し込まれたメディナの問いに、咄嗟の事もあってニーナはまたしても素直に答えてしまった。彼女の答えを聞いた瞬間、黄金小麦型お菓子欠乏症の症状を剥き出しにしていたリリィの首がぎゅるんと前を向く。


「メディナッ!! 伯爵邸に向かいなさいッ!!」


 血走った目で命令を下すリリィ。


「ま、待って下さい! まだ準備が!」


 それを何とか止めようとするニーナ。


「うるせえ! 全速前進ですわッ!!」


 さっさと馬車を出せええええッ!! と吼えるリリィ。


「ハッ! リリィ様のお言葉とあればッ!!」

 

 彼女の命令を受け取った忠臣メディナは手綱を強く握ると、馬に喝を入れて全速力で走らせた。


 リリィを乗せた馬車は街のメインストリートを爆走し、御者台に座るメディナが通行人達へ向かって「どけどけー! リリィ様のお通りだァァァッ!!」と叫ぶ。


「あの、えっと……」


 土煙を巻き上げながらどんどんと小さくなって行く馬車に、ニーナは声を漏らしながら手を伸ばす事しか出来なかった。

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