第27話 不審と不安
深夜、宿の食堂にはメディナとユン、それにフロントに立っていた老紳士の姿があった。
テーブルを挟んで向かい合う三人であるが、老紳士の前には綺麗に折り畳まれた黒いハンカチが置かれている。
「ユン、君にも教えておこう。彼は王城で組織された諜報部隊『鴉』のメンバーだ」
「どうぞ、よろしくお願い致します」
メディナに紹介されて挨拶をする老紳士。彼は宿に勤めるスタッフの一員ではなく、真の正体はヴェルトリアン王国の諜報員だという。
彼が提示した黒いハンカチ。それそこが鴉の証拠であり、鴉を知る者と接触する際はハンカチを提示して正体を知らせるのだと教えられた。
「そのような組織があったのですか」
平民であり、元冒険者のユンは国に諜報機関があった事すら知らない。
ただ、知らないのも当然だろう。諜報機関に関する情報は王以外に限られた者しか知らされていない。王城勤めの貴族でさえ知らぬ情報だ。
騎士団に入ったばかりの彼女が聞かされる事は異例の事態と言えるが、リリィ付きとなった彼女だから許されているのだろう。
「ただ、まだメンバーが少なくてな。人材確保と教育が追い付いていない」
「ええ。ですので、我々に出来る事はまだ少ないのですよ」
鴉が結成されたのはここ数年の出来事だ。
諜報員達は国内に散らばり、それぞれ連絡を取り合って国内安定への手助けを行うのが仕事だが、メディナが言ったようにまだまだ優秀な人材を確保できていない。
タックブルの肉を求めた際、リリィが遭遇したアジャダブ兵の件も――内通者だった国内貴族の件も――事前に王城へ伝えられてはいたが、連絡手段の未熟さや人員の少なさも起因してリアルタイムな情報を届けられなかった。
これが東の森でリリィ達がアジャダブ兵と遭遇してしまった理由である。
「それで、黄金小麦の件だが」
「はい。街に先行した仲間の情報によりますと、伯爵が領内から黄金小麦を集めているようです」
告げる老紳士の眉間に皺が寄る。彼曰く、伯爵は急ぐように黄金小麦を集めているらしい。
「小麦の行く先は伯爵邸の裏にある倉庫です。そこに集められ、何やら怪しい人物と接触しているとか」
「怪しい人物?」
「はい。恰好は国内の装い。ですが、顔は外国人であった、と」
報告される内容を聞き、ユンは「あ!」と声を上げた。
「もしかして、アジャダブ王国人ですか?」
「その可能性は高いかと我々は睨んでおります」
老紳士は頷きながらユンの答えを肯定。以前、王国内にアジャダブ兵が入り込んでいた件もあって、ユンも老紳士も関連性は高いと考えたのだろう。
「なるほど。だが、どうして黄金小麦だけを集めているのかが分からんな」
例えば、アジャダブ王国に食料を密輸して金を儲ける為だったとしよう。
それならば、数のあるポカポカ小麦の方が多く売れるし、領内から集めるにしても今ほど目立つ事もない。
「仮にアジャダブ王国の者だったとして、リリィ様の公務と重なったのは偶然か?」
「そちらもまだ不明です。単にタイミングが重なったのか、それとも理由があるのか」
「以前、私が遭遇したアジャダブ兵はリリィ様を捕えようとしていました。その件と関係あるのでしょうか?」
あの時、グラード将軍はリリィを捕えて王国侵略の足掛かりにしようとしていた。同じような考えを持つ者がまだ王国内に潜んでいたのか。
「……答えは出んな」
「はい。ですが、次は敵が潜む街でございます。如何なさいますか?」
老紳士は「一旦公務を中止する事に加えて、王都からの援軍を要請しますか?」と提案。
三人で検討していると、食堂に姿を現わしたのはアンコだった。
「恐らく、公務中止は出来ません。援軍を待つのも無理でしょう」
「どうしてだ?」
アンコの意見にメディナが問う。アンコは冷静な表情で告げた。
「リリィ様が我慢できません。恐らく、明日の朝には街へ向かうと言うはずです」
黄金小麦を使ったお菓子を求めて。長年、彼女の世話をしてきたアンコの勘であるが、恐らくは現実になる可能性は高いと言う。
「いや、ですが……」
しかし、緊急事態なのだ。公務中止と判断するのが正しい選択だ。そう言おうとしたユンだったが――
「そうか。では、我々は予定通りに街へ向かう事を前提に考えよう。貴殿は援軍の手配をしておいてくれ」
「承知しました。では、さっそく――」
などと、ユン以外の者達は中止するという判断は眼中にない、といった様子を見せる。
「え、ちょ、待って下さい。街に向かうのですか?」
敵がいるって言ってたじゃないですか。そう問うユンに、三者揃って彼女に顔を向けてくる。その中で、彼女の教育係であるメディナが代表して告げる。
「いいか、ユン。リリィ様のお言葉は絶対だ。王族が行く道を、家臣である我等が邪魔をしてはいけない。我等は王族の方々が進む道に付き添い、邪魔する者が現れれば排除する。それが我等の仕事だ」
王の言葉は家臣にとって絶対である。王の妻たる王妃の言葉も絶対である。
ならば、王の娘である王女の言葉もまた家臣にとって絶対である。
王族が行くと決めれば、家臣は共に突き進むのが家臣の役目。助言する事はあれど、拒む事は許されない。
王女が黄金小麦を使ったお菓子を食べたいとワガママを言って、敵兵潜む場所に向かう事になったとしても、家臣はそれを快諾して共に進むのが役目である。
同時に王女が害される事も許されない。何故なら、彼女等は家臣であるからだ。王族を守る騎士であるからだ。
「我等の剣は王族と国民を守る為にある。忘れるな、ユン。それが我等の役目だ」
真剣な顔でメディナはユンに聞かせた。これこそが、騎士が騎士であるための役目と覚悟なのだと。
彼女の本気にユンはゴクリと喉を鳴らし、無言で頷くことしかできなかった。
――翌日、案の定、アンコの予想通りとなった。
『黄金小麦のお菓子が食いてェですわ』
そう言って、リリィは街へ向かうと宣言したのだ。
一夜経った後でもまだ不安を抱えるユンに、メディナは彼女の肩を叩きながら「きっと、リリィ様は大丈夫」と言った。
しかし、それでも彼女の不安は解消されない。
何故なら。
「大丈夫かな……。わたし」
彼女が心配なのは自分自身だからだ。
「また気絶しないように強く気を持たなきゃ……」
また地獄のような凄惨な事態になりそうな気がする。そう予想しながら「ガンバレ! ガンバレ!」と心の中で叫び続け、自分に暗示を掛けるのであった。
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