第22話 ザイード伯爵領進入
リリィが目指すザイード伯爵領は、王都より東へ四日ほど馬車を走らせた距離にある。
以前向かったグーガー鳥の巣がある森には向かわず、王都から続く街道をひたすら真っ直ぐ東に向かうと見えて来るだろう。
二大食料生産地の一つとして指定されているだけあって、ザイード伯爵領と王都を繋ぐ街道は全路整備済み。
加えて、ザイード伯爵領の入り口までは、騎士団警備部隊の巡回と冒険者ギルドへの定期的な魔獣排除が国から依頼されている事で、街道の安全が確保されている。
街道の途中途中に宿場町のような小さな休憩地点も点在しているし、ザイード伯爵領にて小麦以外の食品を買い付けた商人の行き来も多い。
そういった理由からザイード伯爵領までの道をリリィが進むのも比較的安全と判断されていた。実際、リリィ達一行が伯爵領の端に到達した時点でも魔獣との遭遇は一度もなかった。
一行は道中の宿場町での宿泊を繰り返し、出発から四日目の朝にはザイード伯爵領へ進入した。
ザイード伯爵領に進入してしばらくすると、東へ続く街道の左右には広大な小麦畑が姿を現わす。
この小麦畑はヴェルトリアン王国の国力を表すかのようだとよく比喩される事がある。ここに実る全ての小麦が国民達の胃袋を支えており、毎年略奪等の問題が起きる事無く収獲されるのは、国王が安定した政治を敷いている証拠だろう。
「綺麗な小麦畑ですね~」
メディナと共に御者台へ座るユンは、広がる景色を見ながら長閑な雰囲気に心を落ち着かせていた。
「ああ。しかし……一見穏やかではあるが、敵国との国境が近いという点が懸念される」
対して、薔薇の隊長であり騎士団の一員となって長いメディナは、穏やかな景色の裏に隠れる懸念点を新米騎士に聞かせる。
「アジャダブ王国ですか」
やはりメディナが気になるのは、本人が言った通り――敵国であるアジャダブ王国との国境に近い事だろう。
元々、ザイード伯爵領のある土地はアジャダブ王国から離れていた。
どうして近くなったかと言えば、過去にヴェルトリアン王国の南東を支配していたドワーフ達との戦争にて、アジャダブ王国が勝利して国土を広げたからだ。
これによって、ヴェルトリアン王国と面していたドワーフ達の土地が切り取られた。ドワーフ達は更に南へと押し込まれ、ヴェルトリアン王国と面するのがアジャダブ王国に変わったというわけだ。
先日王城に招集されて王の怒りを買った貴族の領地――今では領地を没収され、王によって派遣された代官と騎士団の幹部が運営中となっている――が国境守護の最前線に位置している。
その二つ後方にザイード伯爵領が位置しているのだが、アジャダブ王国との戦争が勃発すれば、敵は真っ先にザイード伯爵領を目指すだろう。
「それが食料生産地として、国内二番手である理由ですね?」
「ああ。最悪、捨てても良い。そう判断されるのがザイード伯爵領だ」
仮に敵兵を抑えられずザイード伯爵領まで侵略されたとしたら、ヴェルトリアン王国は即座にザイード伯爵領に広がる小麦畑へ火を点けるだろう。
これは侵略して来た敵に食料を奪われないための策である。ザイード伯爵領を破棄したとしても、北にある『一番手』が生きていれば王国民が飢える事はない。あくまでも補助的な役割を持っているのが『二番手』であるザイード伯爵領だ。
「しかし、そうなればリリィ様は悲しむだろう。ザイード伯爵領でしか栽培されていない黄金小麦は王族御用達お菓子の材料だ」
敵地に近くて、二番手だったとしても土地としては優秀である。北の一番手には劣るが肥沃な大地である事には違いないし、ザイード伯爵家が開発した黄金小麦は特別な物だ。
「現在、王領扱いになった国境付近の領地には騎士団第二師団が追加で派兵された。警備は厳重になっているので敵と出会う事は無いと思うが……。油断はするな」
もし、アジャダブ王国兵と出会ったら自己判断で戦って良い、とメディナはユンに命令を下した。特にリリィが傍にいる場合であれば、警告無しに殺せとまで。
「了解しました」
ユンとしては、そうならない事を祈るばかり。例えリリィが強くても、敵兵とだけは戦いたくない。過去の出来事――ヒレ肉事件の時に見た光景がフラッシュバックしてしまうからだ。
ぶるりと身を震わせたユンだったが、遠目に村の姿を捉えた。
「あ、最初の村が見えてきました」
ザイード伯爵領地に入って最初の村。規模は小さいが広い小麦畑を管理する重要な村でもある。
公務の工程として、ザイード伯爵の屋敷がある街までに存在する村には全て立ち寄る予定だ。例え小さな村であっても通り過ぎる事は許されない。
視察内容としては、小麦畑の見学と村が独自に行っている農業の見学だ。同時に村人達の生活に問題が無いかの視察も含まれる。
仮に村が貧困していて、食うに困っていたら王族は手を差し伸べなければならない。ザイード伯爵が密かに圧政を敷いているか否かを確認もするのも公務の一環だ。
「村に到着したら村の様子に注目してくれ。貧しい事を隠していないか、領主に強制されていないかの確認も我々の仕事だ」
「了解しました」
領主本人から語られない部分を見て、もしくは平民達から直接聞いて情報を集め、王族へ判断材料として提供する事も同行する家臣達の仕事である。
スピードを落として村に近付いて行く馬車からは、小麦畑で働く平民達が小さく見え始めた。
「村は……特別変わった事は無さそうに見えますね」
目の良いユンは、遠目に村人達の様子を見てメディナにそう伝えた。遠目に確認できる村人達の様子は、穏やかで日常的な雰囲気が感じられる。
大人の中に子供が混じって収獲を行っており、その様子からは困っているようには見えなかった。むしろ、子供達の笑い声さえ聞こえてくる。
村の奥にある果実園も同様のようだ。春に実った果実を収穫しているようで、手に籠を持った大人達の姿があった。
「問題が無ければ良い。平和が一番だ」
村に近付きながら、メディナは優しく微笑んだ。本来であれば騎士団が出動する事態など起きない方が良いのだ、と言いながら。
「ですね」
ユンは彼女の意見に同意するように何度も頷いた。
「王女殿下が来る事は知っているのでしょうか?」
「ああ。一日前に出発した先触れが伝えているはずだ」
この先にある村から中心地であるザイード伯爵の街まで、王城から出発した先触れの騎士が王女の来訪を事前に伝えている。よって、村人が驚く事はないはずだ。
「じゃあ、歓迎する為に収獲しているのかな?」
遠目に見える村人達は村に訪れて下さった王女殿下を歓迎するために、村の成果を伝えるために小麦や果実を収獲しているのかもしれない。
「そうだろう。なんたってリリィ様が訪れるのだ。歓迎せんわけがない」
自信たっぷりに言うメディナは、小麦畑から手を振る村人達に手を挙げて応えながら村の入り口に馬車を停車させた。
ここでリリィは最初の公務を行う事になる。そして、目を輝かせる最初の食材と出会うのだ。
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