第20話 黄金小麦の土地


 ヴェルトリアン王国国内には二大食糧生産地と呼ばれる土地が存在する。


 その中の一つは、王都より東に向かった地。何かと問題を起こす隣国アジャダブ王国との国境にも近い、ザイード伯爵が治める領地であった。


 この食糧生産地で主に栽培されるのは小麦だ。王国の主食はパンなので、パンの材料である小麦が大量に生産させるのは当然の事だろう。


 食糧生産地として指定されたザイード伯爵領では、国より指定された面積の土地に小麦の栽培を行うよう義務付けられていた。


 ザイード伯爵領で栽培された小麦は領地内で消費する他、国に買い上げられて王都へ納入される。国が買い上げた小麦は王都で備蓄されつつ、王都に住む国民の胃袋を支える役割を持っていた。


 ただの食糧生産地であったザイード伯爵領であるが、ある時を境に特別な小麦が誕生する。


 ザイード家主導の品種改良によってザイード伯爵領のみで栽培される特別な小麦が開発されたのだ。この小麦はパンに使うのではなく、ケーキやクッキーといったお菓子に使うと良し、と王都で評価される事になる。


 少量栽培される特別な小麦は王都で製造される高級お菓子に使用される事に。王族献上品としての箔が付き、王侯貴族からの需要が増加。


 これにより高級小麦『黄金小麦』の生産地として名を馳せると同時に、ザイード伯爵領の収入は少しばかり増加した。ザイード家はこれら収入を領地運営に当てて、領民が豊かに暮らせるよう努めているのだ。


 さて、どうしてザイード伯爵領の概要と歴史を語ったかというと――これからお話するのが、田舎貴族として有名なザイード伯爵領での出来事だからである。



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 ザイード伯爵領の中心地、ザイードの街にある一軒の高級酒場。


 立地としては街の外れに建っているが、街の奥に聳える領主邸近くとあって周辺の治安は悪くない。静かな場所に佇む、隠れ家的な店と言えば良いだろうか。


 高級酒場なだけあって、中も清潔感と高級感が漂う内装だ。席は全て個室のみで、カウンター席は存在しない。旅で訪れた貴族が利用してもいいくらいには、質の良い酒と料理を提供する店である。


 しかしながら、最近この店は貸し切り状態が続き、中では密談がよく行われるようになった。


 今日も貸し切り状態となった店の最奥にある個室では、一組の客が高級ワインを飲みながら密談を行っていた。


「どうするか、いい加減決めたかね?」


 そう言った男の容姿は、一般的なヴェルトリアン王国人とはどこか違う。服装こそヴェルトリアン王国様式の物を着用しているが、顔の造りが王国人とは違って彫りの浅い顔であった。


 加えて、一番の違いはヴェルトリアン王国人には珍しい、白い髪と赤い瞳を持っていた。


「……国境防衛の任に当たっていた領主達が捕まった話は聞いたが」


 領主逮捕の件を口にしたのは、赤い瞳の男と対面に座る中年男性。こちらはヴェルトリアン王国人らしい容姿と言える。栗色の髪に白い肌、彫りの深い顔、それに緑色の瞳を持っている。


 服装は清潔感はあるものの、少し地味だ。所作からは高貴な物としての格が滲み出るが、外見だけを比べれば赤い瞳の男の方が高価な服を着ていた。


 中年男性は王都より報告された内容を口にしながら、目の前にいる赤い瞳の男を睨みつけた。


「君達の計画はもうバレているのでは? やはり無理が――」


「彼等が捕まったのは我々の責任じゃない。彼等が馬鹿だっただけだよ、ザイード伯爵」


 赤い瞳の男は遮るように言って、目の前にいる中年男性の名を口にする。そう、彼の前に座るのは、この領地を治める領主であった。


「しかし……」


 だが、ザイード伯爵の顔には迷いがあった。


「おや、他の貴族からも見下されるのは嫌だと言っていたじゃないか。見返すチャンスだとは思わないのか?」


 小麦を作る事しか能が無い。そう言われ続けて何年、何十年経ったか。


 王侯貴族に所望される価値の高い小麦を作り出しても、ザイード伯爵領の評価は貴族達の間で変わらなかった。


 特に王都に住む貴族達は地方貴族を見下す傾向が強く、食糧生産を担うザイード家の評価は「田舎貴族」といった平民とも変わらぬものだった。


 そのくせ、高級お菓子の材料となる『黄金小麦』を早く出荷しろと命令してくるのだ。王都に住む貴族達の身勝手な態度と評価にザイード家の歴代当主は怒りを覚えて育った。


「だからこそ我々の計画に乗るべきだと思わんかね? 我々の国はヴェルトリアン王国よりも、君達が行ってきた事を高く評価している」


 赤い瞳の男はワインの入ったグラスを掲げながら、ザイード家は素晴らしい家であり、今後の世に絶対に必要であると説いた。


「……具体的に、何を望むと言うのだ?」


「なに、簡単な事さ。国境を越えた後、軍をこの地に駐留させてくれれば良い。この地で生産される食料を軍人達に食料を与えて、王国打倒の足掛かりにするのさ」


「…………」


「他にも……。そうだな、黄金小麦は我が国が全て買おう。栽培量は全て君達に任せる。生産したら生産した分だけ、全て買っても良い」


 ザイード伯爵にとっては理想的な提案だ。


 現在、ヴェルトリアン王国からは黄金小麦よりも一般的な小麦――パンに使われる小麦を多く生産せよと義務が課されている。


 領地のほどんどが義務付けられた小麦生産に使われており、金の成る木ならぬ小麦である黄金小麦に使える土地は少ない。


 ザイード伯爵領地が今以上に財を成すには、この義務付けられた小麦栽培が邪魔なのである。


 これはザイード家誕生から続く義務であるが、黄金小麦を開発した現代になっても一向に改善されない。一度改善要求を王都に提出した事があるが、王城勤めの貴族達には見向きもされなかった。


 この毎年続く供給過多な小麦生産計画は王国の保守派が慣例として残す負の遺産でもある。ザイード伯爵はこの負の遺産をどうしても清算したかった。

 

 王都に買い叩かれる小麦以外を栽培できる土地が増えれば領地が潤う。そうすれば領民は今以上に豊かな暮らしが送れるし、領地全体の発展だって見込める。


 それに唯一の肉親である一人娘にも苦労を掛けずに済む。流行の服やドレスを買ってやる事だってできるし、好きな事もさせてやれるだろう。


 この今飲んでいるワインだってそうだ。話を持ち掛けてきた目の前の男に「滅多に飲めないだろう? 奢るから味わいたまえよ」などと馬鹿にされずに済む。

 

「…………」


 故に赤い瞳の男が言う提案は非常に美味い話だ。


 だが、ザイード伯爵は即決できない。彼の心中に渦巻くのは「祖国を裏切っていいのか」という葛藤だろう。


 この男の言葉に乗って本当に良いのだろうか。魅力的な提案はされているが、未だ決めかねる。


 加えて、ヴェルトリアン王国には最強の王がいるのだ。武力では絶対に勝てぬと、彼は分かっているのだろう。


「最強王の事を気にしているのか? 当然、我々も馬鹿じゃない。対策は考えているさ」


 むしろ、だからこそザイード家に話を持ち掛けていると赤い瞳の男は言った。


「そうだな……。まずは具体的な利益を見せようか」


 首を縦に振らぬザイード伯爵に痺れを切らしたか、赤い瞳の男は床に置いてあったバッグを机の上に置いた。


 机に置いた際、ドスンと重そうな音と中から金属が擦れるような音が鳴った。


「なッ!?」


 赤い瞳男がバッグの中身を見せると、ザイード伯爵の顔色が変わる。バッグの中には黄金があった。金の延べ棒がいくつも入っているではないか。


「我が国の強みは知っているだろう? 金だよ、金」


 ニヤリと口元を吊り上げる男は、更に言葉を続けた。


「まずは、この領地にある黄金小麦を全て買い上げよう。この金と交換だ。どうだ? 王都のアホ共の胃袋に入るより稼げるだろう?」


 赤い瞳の男が口にした言葉を受けて、ザイード伯爵は目を閉じながら悩む様子を見せた。しばらく頭の中で考えを巡らせた後にゆっくりと口を開く。


「……分かった」


 金に目が眩んだのか。それともこの金があれば、領民と娘にもっと良い生活をさせてやれると思ったのか。


 彼の真意は不明であるが、提案に乗ってしまう。


「はははッ! 良い判断だ!」


 赤い瞳の男は手を叩きながら笑い声を上げるが、決断したはずのザイード伯爵は未だ苦々しい表情を浮かべていた。


 本当にこれで正しかったのか。そう自分に問うように。

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