第16話 女騎士と七色に光る棒


 ふわとろオムレツとユンの平民卵焼きを食したリリィは、小屋の中でアンコ達とお喋りした後に就寝となった。


 普段眠る夜十時を越えたのもあるが、先日の夜更かしと馬車移動で疲れていたのだろう。小屋に用意されていたベッドに横になると、すぐに可愛らしい寝息を立ててしまう。


 一方で、ユンは改めて卵焼きを作って食べた後、小屋の外で座りながら弓の手入れをしていた。


 彼女が外にいるのは王族と同じ場所で寝るのは不敬だと思ったからだろう。加えて、護衛の任務もあるため夜通し小屋に魔獣が近づかぬよう番をするためである。


 時間潰しに弓と矢の手入れをしていると、小屋から誰かが出て来る音がした。振り返ると、湯気の立つカップを二つ持ったメディナの姿があった。


「リリィ様はご就寝なされた」


「そうですか」


 差し出されたカップを受け取るユン。


 コップの中身は紅茶のようだ。まだ夏まで遠く、春になったばかりの夜は少しばかり冷えるのでありがたい。一口飲むと冷えた体に染みわたるような温かさを感じた。


「ユン、君には助けられたな」


「え? わ、私ですか?」


 メディナは彼女の隣に腰を下ろし、二人は肩を並べながら話す事に。少々緊張気味のユンがメディナの言葉に驚きの表情を見せる。


「ああ。私は魔獣に関する知識がない。特にグーガー鳥の卵なんて物がどう採れるかなんて初めて知ったよ」


 ふふ、と笑うメディナの顔は、ユンが憧れてきた彼女そのもの。凛とした顔立ちに大人の女性らしい余裕の笑み。


 ユンの頬が赤いのは決して熱い紅茶を飲んだからじゃないだろう。


「騎士団に魔獣の知識を持つ者や魔獣の生態を知る学者が配属される事はないのですか?」


「無いな。騎士団が魔獣討伐をする際は有事の時だけであるし、その時は冒険者達と共に動くだろう。我々は基本的に国防専門であり、対人戦にて武力を発揮するだけさ」


 同時に、対魔獣被害が過去より少なくなってきた現在にとって、冒険者に多い平民から食い扶持を奪わぬためでもあるのだろう。


 だからこそ、ユンのような存在は騎士団にとって貴重であると彼女は言う。


「私、本当に王女殿下のお抱えになったんですか?」


「ん? リリィ様がそう言っていただろう。君はもうリリィ様の専属冒険者だ。君の知識を活かし、リリィ様が求める食材へ導くのだ」


 どうやら冒険者ギルドで宣言された事は一時的な処置ではなかったらしい。本格的に彼女はリリィの美味しい物道楽に帯同せねばならぬようだ。


「城に戻ったら正式に任を下されるだろう。君は私の隊に入れ。騎士団本部には私から伝えておく」


 私が指導係だしな、と微笑むメディナ。


「ば、薔薇の隊にですか!?」


「そうだが?」


 これはユンの抱いていた夢が叶った瞬間と言えるだろう。


 彼女の夢は騎士になって安定した給金と生活を送る事が第一、その後は武功を立てて憧れの女性であるメディナが率いる『薔薇』に所属したいと思っていたからだ。


 それが一足飛びに叶ってしまった。


 彼女の驚きも納得できよう。人生何が起きるか分からない。それを今、彼女は身を以て体験しているのだ。


「リリィ様のために励みなさい」


 そう言ってメディナは微笑む。彼女の言葉と態度を見て、ユンはこの旅で抱いた疑問を思い切って口にした。


「メディナ様はリリィ様を第一にと考えているように見えますが、それは薔薇の隊長だからですか?」


 それ以外にも理由があるように思えますが、とユンは少し遠慮しがちに問う。


「よく聞いてくれたな」


 フッ、と笑い声を零したメディナは紅茶を一口飲むと語り始めた。


「私が薔薇の近衛騎士長になったのは五年前だ。それまで、私は騎士団の中にいる一人の女騎士に過ぎなかった」


 といっても、実力はあった。剣の腕も確かだった。御前試合で男共を薙ぎ倒し、王と直接戦う栄誉まで手に入れた。彼女は王国騎士団の中でも一番の騎士と言っても過言じゃない。


 だが、騎士団はどう足掻いても男社会だ。近年では女性騎士の数が増えつつあるが、騎士団のトップや隊長格となるのは男性ばかりであった。


 ただ、言っておきたいのは男性の騎士達が彼女や他の女性騎士達を差別したり、馬鹿にしたりといった事は決して無い。


 どちらかと言えば時代の変化に、男騎士連中が「どう接して良いのか分からなかった」と言うべきか。特に彼女よりも年上で階級が上の男性は、そういった態度を取る者が多かった。


「冒険者にはそういった風習はありませんが、騎士団は大変なんですね」


 逆に冒険者にはそういった壁が無い。冒険者達には軍のような規律は無く、完全に階級ランク主義であるからこそだろう。


「ふふ。そうだな。当時の私は……持て余されていたのだろう」


 どう接すれば良いか。どう扱えば良いか。どこに配属させれば問題が起き難いか。どんな上司の下に就ければ良いか。


 前例が無かった事もあって、騎士団上層部もだいぶ悩んだに違いない。


 剣聖の称号を与えられたメディナの場合は特に顕著だったろう。


「しかし、当時の私はそういった事をあまり理解していなくてな。強さを示したのにどうして、と思い悩んでいたよ」


 愚直に強さを求め、それを示し、女でも騎士として戦えると証明したメディナは、腫物のような扱いを受けていると思い込んでしまう。男相手の模擬戦で憂さ晴らしを続ける毎日。それが余計に他者との壁を作っていくとも知らず。


 今思えば恥ずかしい過去だ、と彼女は零した。


「だがな。そんな私を救って下さったのがリリィ様だ」


 ある日、訓練を終えたメディナが城の裏庭にある水場で顔を洗っていると、彼女の前に現れたのがまだ七歳のリリィだった。


 メディナの前に現れた彼女は言ったのだ。


『お母さまったら酷いのよ! 私が城の外に行く時はいっぱい護衛を連れて行きなさいって! でも、いっぱい護衛がいたら歩きづらいわ!』


 何がどう歩きづらいのかは謎であるが、とにかく彼女は開口一番にそう言い放った。


『一番強い騎士を連れて行けばいっぱい連れていかなくて済むと思うの。だから、貴女が私を護衛しなさい!』


 そう言われ、手を引かれながら城の外に連れ出されたのが最初だった。貴族が使う店を巡りながら、大人の女性として時に意見を求められ、その日のお出かけが終了。


 すると、城に戻ったリリィは笑いながらメディナに言ったのだ。


『貴女とお出かけするのは楽しいわ。貴女、今日から私の専属護衛となりなさい!』


 その日以降、彼女はリリィの専属護衛となった。


 その話は王城に駆け巡り、彼女を持て余していた騎士団上層部もリリィの発想を得て、王族女性を護衛する女性騎士のみで構成された『王族近衛騎士・薔薇』の結成に至る。


 こうしてメディナは騎士団内で持て余されるのではなく、栄誉ある役目を得た。今では女性近衛騎士隊『薔薇』はリリィや王妃を護衛する専門部隊として重要視されている。


 リリィの一言ワガママが彼女だけではなく、他にも肩身の狭い思いをしていた女性騎士達を救ったのだ。


「だから、私はあの御方にこの身を捧げると誓った」


「そうだったんですね」


 メディナにそんな過去があったとは、ユンも驚きだろう。同時に彼女を救ったリリィのイメージが払拭される。彼女はとんでもない存在のように見えるが、やはり人を導く王族なのだろうと。


 それに憧れの女性をより知れた事でユンは嬉しくてたまらない。


 これからも彼女の下で一緒に、と温かい気持ちを抱いていると――バキバキ、と木々が倒れる音が鳴り響く。


「何奴!?」


 いち早く異変に反応したのはメディナだ。彼女は愛剣を手に音のする方を睨みつけた。


 森の奥から木々を倒しながら現れたのは巨大な熊の魔獣。


「じゃ、ジャイアントベア!?」


 ジャイアントベアとは全長五メートルを越える巨大な熊だ。縦にも大きいが、横にも大きい。人なんて簡単に殺せる魔獣であり、ギルドの危険性を示す指標としてはAランクに該当する。


 冒険者がジャイアントベアを発見した際は即座に撤退。最寄りのギルドに報告をして、冒険者総出で仕留めねばならぬほどの超凶悪な魔獣である。


「グルル……」


 獲物を品定めするように低い唸り声を上げるジャイアントベア。


 それを見つめるユンはハッと何かに気付く。彼女の視線はジャイアントベアの顔や体にある無数の傷跡に向けられていた。


「あれは、この森のヌシかもしれません!」


 魔獣の生息地には生態系の頂点が存在する。中でも長く生き延びて生息地を支配する魔獣達を『ヌシ』と呼んでいた。


 主と思われる根拠は、顔や体にある無数の傷跡だ。他の魔獣と戦って生き延び、更には討伐しようと試みた人間を返り討ちにしてきた証だろう。


「なるほど、主か」


 メディナは怯えるユンの前に立ち、剣を抜いてジャイアントベアと対峙する。


「私が倒さねば、リリィ様に危害を加えるかもしれん。本気で行かせてもらうぞッッ!!」


「グオオオオオオッ!!!」


 メディナの覚悟と闘志に反応するかの如く、ジャイアントベアは四つん這いのまま雄叫びを上げた。大ボリュームの雄叫びは空へと響き、リリィの眠る小屋を振動で震わせる。


 しかし、雄叫びが響いた瞬間、バンと音を鳴らしながら勢いよく小屋の入り口が開いた。


「うるさいですわね!」


 中から出てきたのはパジャマ姿のリリィだった。


 彼女はくしくしと眠そうな目を擦りながら、きょろきょろと周囲を見やる。どうやら自分の眠りを妨げた相手を探しているようだ。


「グルル……」


 突然現れた子供に威嚇するジャイアントベア。鳴き声を聞き、リリィは「この熊が原因か」と察したようだ。彼女はトコトコとジャイアントベアに近付くと――


「静かになさい!」


 パーン、とジャイアントベアの頬に張り手した。


 寝ぼけているせいか、彼女の張り手は本気じゃなかった。だが、巨大な体躯を持つジャイアントベアの戦意を喪失させるには十分だったのだろう。

 

 ジャイアントベアは叩かれた頬に手を当てて、目を点にしながらリリィを見つめる。


 同じく目撃者であるユンも目を点にしながら彼女を見つめていた。一人と一頭からは「ええ……?」と困惑するような雰囲気が溢れ出した。


「夜なんだから寝なさい!」


 そう言い残して、リリィは再び小屋の中に引っ込んで行ってしまう。控えていたアンコはリリィが小屋の中に消えると、綺麗なお辞儀をしてから静かにドアを閉めた。


 残されたジャイアントベアは頬を手で押さえながら、メディナとユンに「なんか、すいませんでした」と言わんばかりの表情と会釈をして、森の奥へと立ち去って行った。


「…………」


 一体、何が起きたのか。Aランク指定の魔獣に張り手をして黙らせるなんて出来るのか。


 これは現実なのか。


 混乱するユンにメディナは振り返る。


「ほら」


 彼女は七色に光る棒をスッと差し出したのであった……。

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