第6話 ヒレ肉がァ!?


 リリィがヒレ肉の調理を待っていると、魔法使いのアニーが肩をビクリと震わせた。前方を睨みつけると慌てて叫び声を上げる。


「前方、魔力反応ッ!」


 魔力反応。それは何かしらの魔法を使った痕跡であり、魔法学を学んだ魔法使いであれば魔法発生時の「揺らぎ」を察知できるという。


 魔法使いのアニーはそれを察知したのだろう。慌てながらも対魔法障壁を展開した。


 しかし、彼女は失敗してしまう。咄嗟の事で周囲にいた者を守る程度の大きさしか展開できなかった。少し離れた位置にいたリリィまで障壁が届いていなかったのだ。


 しまった、と彼女が声を漏らすも、横から「大丈夫です」と冷静な声音が届く。


 声の主はアンコだった。椅子に座っていたリリィを抱き寄せ、彼女は片手でのような物を展開していた。  


 傘? と小さな声で疑問を口にしたアニーだったが、次の瞬間には全員へ炎の渦が飛んで来た。あまりの衝撃と炎の熱気に握っていた杖を更に強く握って、展開中の障壁を前に押し出して耐える。


 明らかに攻撃魔法。対魔法障壁のおかげで月光の剣全員は無事。アニーが慌ててリリィ達の方へ顔を向けると、灰色の金属で作られた傘で魔法を完全に凌いだアンコとリリィの姿があった。


 月光の剣はホッと一安心。しかし、問題は解決していない。誰が魔法を撃ってきたのか。全員が前方に顔を向けると、複数の人影が目に映る。


「チィ。仕留められんかったか」


 一瞬で黒焦げになった森の木々と地面、真っ黒な一本道を歩いて姿を現わしたのは隣国――アジャダブ王国の兵士達であった。


 兵士の数は十名程度。体にはアジャダブ王国の紋章をペイントした鉄鎧を身に着け、手には魔法の杖が握られていた。どうやらアジャダブ王国の魔法部隊のようだ。


「どうしてアジャダブの兵士が!?」


 グレンの焦りと疑問が入り混じった叫び声が森に響く。彼が叫ぶのも当然であった。


 アジャダブ王国はヴェルトリアン王国の東にある国だ。彼等の国は今いる森から遥か先にあるし、国と国の国境沿いにはヴェルトリアン王国騎士が国境警備として展開されている。


 加えて、アジャダブ王国とヴェルトリアン王国は同盟国ではない。むしろ、敵国と言っても良い関係性である。


 よって、アジャダブの兵士達がこの場にいる事は領土侵犯に他ならない。宣言無しの奇襲とばかりに攻撃してきたのもいい証拠だ。


 二ヵ国の仲が悪い理由はヴェルトリアン王国が看過できぬ、アジャダブ王国特有の文化が原因だった。


 アジャダブ王国は奴隷制度を敷く国である。


 他国から誘拐した人間を奴隷として強制労働させ、人権など全く考慮しない事で有名だった。魔獣との死闘を繰り広げる冒険者すらも人攫いの対象であり、攫われた冒険者達は死ぬまで剣闘士として見世物にされているとか。


「人攫い? それとも戦争前の偵察……!?」


 魔法使いのアニーが小さな声で言った。


 ただ、それにしては不自然だ。前述した通り、国境付近ならともかく、ここは国境から遠すぎる。ヴェルトリアン王国の内側――それも王都の近くまで侵入して来ている事に疑問を感じてしまう。


「ククク。戯れにこの国の冒険者を相手してやろうと思ったが、まさか別の収穫があるとはな」


 兵士達の背後、森の奥から新たに現れたのは縦にも横にも大きな体躯を持つ大男。大男の姿を見て、月光の剣は驚きの声を上げる。


「グラード将軍!?」


 グラードと呼ばれた男はあまりにも有名だった。彼はアジャダブ王国が誇る最強の大剣豪であり、数年前にアジャダブ王国と戦乱を開いた国の騎士や兵士を単騎で幾人と屠った一騎当千の男。


 彼が振るうは巨大な湾曲刀。剣の腕は冒険者ギルドの中でも特別ランクと称される「Sランク」と同等とまで評価されている。


「私はなんとも運が良い。まさか敵国のお姫様と遭遇するとは。国王陛下に良い土産ができた」


 彼の視線は月光の剣を通り越して、ヴェルトリアン王国の姫であるリリィに向けられていた。彼女を守る月光の剣など、実力差から眼中にないのは明白であった。


 ただ、視線を向けられているリリィは――


「わ、私のヒレ肉は……?」


 彼女は地面に両手両足をついて体を震わせていた。


 視線の先には魔法によって消し炭になった焚火と鉄網。その上にあったであろうヒレ肉の残骸を見て、この世の終わりかの如く絶望の表情を浮かべていた。


「ククク。どうやら私を見て恐れ戦いたか」


 違います。


 楽しみだったヒレ肉が消し炭になったせいです。


 しかし、グラードは勘違いしたまま話を続けた。


「安心するがいい。すぐには殺さぬ。貴様を人質にして王国を侵略する足掛かりとしよう。貴様の身柄を盾にして――」


 他にも言葉を口から吐き出しているが、リリィの耳には届かない。


 彼女は「どうして、どうして」と涙を流しながら消し炭になったヒレ肉に絶望している真っ最中だからだ。彼女が流す涙と泣き顔、それが余計にグラード達の勘違いを進めているのだろう。


 勘違いするグラードが言葉を続ける中、リリィは涙を流しながら侍女に問う。


「ひぐっ、ぐぅっ。……アンコ、どうしてヒレ肉が無くなってしまったの」


「それはあそこにいる不敬者が魔法で消し飛ばしたからにございます」


 焦げた肉の塊に涙を流すリリィに、アンコは冷静な声音でハッキリと理由を口にした。


「アンコ。私はその不敬者をぶっ殺したいですわ」


「はい。ってもリリィ様を咎める者はございません。リリィ様はこの国の王女にございます。貴女様の行いを全て受け入れるのが正しい国民の在り方にございます。国民を守る王族はわがままを振舞う権利がございます」  


 ましてや相手は敵国の兵士である。ここで殺害されもアジャダブ王国は文句を言えない。


 だって、人ン家の庭に勝手に入って来ているんだもの。


「なら、構いませんわね」


「はい。ご存分に」


 顔を俯かせたまま、ゆらりと立ち上がるリリィ。傍に控えるアンコは彼女に頭を下げた。


 そんな彼女達を見て、グラードは「ようやく決心したか」と言った。話を聞いていなかったので彼等が何に対して「決心」したかと言ったのかは不明だが、ある意味で決心したのは間違いない。


 彼の顔にはニヤケ面が張り付いていて、勝ちを確信しているようだった。


 だが、それは勘違いだ。最初からずっと勘違いしている。


「さぁ! こちらに来い! リリィ王女!」


 両手を広げるグラード将軍。しかし、次の瞬間には視界に映っていたリリィの姿が消えた。


「あ? あんギィィィィィィィッ!?」


 消えた、と思った次の瞬間には顎に激痛が走る。グラードの顎はグシャグシャに粉砕され、口の中からは大量の血と白い歯が何本も飛び出した。


「私のォォォォッ!! ヒレ肉ゥゥゥゥッ!!」


 彼の顎を粉砕したのは、リリィの天を突くような殺人アッパーだった。


 彼女は怒りで目を血走らせながら、ヒレ肉の恨みを込めた叫び声を上げる。顎を粉砕した後に着地して、再び右手を引くと、今度は鉄鎧を装着した腹に右ストレートを叩き込んだ。


 インパクトの瞬間、ゴギャッと鉄や骨がまとめて粉砕される音が全員の耳にこびり付く。衝撃音が発したと同時に、グラードの体はくの字に折れ曲がって遥か後方まで吹っ飛んでいった。


 何度も地面をバウンドしたグラードの体は大木に衝突してようやく止まる。


 その後、彼はピクリとも動かなかった。


「…………」


 アジャダブの魔法兵達はグラードが飛んでいた方向に顔を向けたまま固まっていた。


 あり得ないからだ。自国の最強剣士、最強の将軍と言われていた男が、幼い少女の攻撃で簡単に死ぬなど信じられるはずもない。


「ヒレ肉ゥゥゥ……ッ」


 兵士達がドスの効いた声がする方向に顔を戻せば、血走った目で自分達を捉える化け物がいた。


 ゴキゴキゴキ、と骨を鳴らしながら握られる両の拳。爛々と光る血走った目。口から漏れる呪詛のような恨み言。体全体から溢れ出る黄金の闘気。


『あれは幼子の皮を被った魔獣ですよ。とんでもなく凶悪なんスよ』


 そう言われた方が、まだ納得できる。


 リリィの体から溢れ出る闘気は、兵士達の心臓を恐怖でぎゅっと握り潰す勢いで向けられた。兵士達は恐怖で一歩も動けず、ガタガタと体を震わせながらリリィを見つめる事しか出来なかった。


「ヒレ肉、どうしてくれんですのよォォォォッ!!」


 それは特急・地獄行きの発車ベルを告げるに等しい叫びであった。


 リリィは一番手前にいた魔法使いの男に向かって走り出すと、男の顔の高さまで跳躍。空中で小さな体を捻り、繰り出したるは強烈な空中回し蹴り。


 頬に蹴りを喰らった男は、首の骨が小枝の如くパキリと簡単に折れた。その後、肉だけで繋がっていた首が三回転くらいして死んだ。


「あ、あ、あ……」


「ヒレ肉、ヒレ肉ゥゥゥゥッッ!!」


 アジャダブの兵士達は勇敢で屈強。周辺諸国からはそう言われているらしい。


 だが、どうだ。


 今ここにあるのはヴェルトリアン王国の姫による虐殺である。


「タンッッッ!!」


 リリィはタン塩を脳内に夢想しながら、男の腹を真正面からぶん殴った。殴られた男は体中の骨と内蔵が潰れて死んだ。


「ヒレ肉ッッッッ!!」


 小さなおててが男の頭を叩いた。パン、と何か破裂音が鳴った後に男は顔中から血を噴き出して死んだ。


 その後も……内容は変わらない。大の大人達は抵抗すらできず、リリィに全員狩られて死んだ。


 これが肉の恨み。洒落になってない。彼等は手を出してはいけない相手に手を出してしまったとしか言えないだろう。


「は、はわわ……」


 それを間近で見ていた冒険者達は口をパクパクと開閉させながら、二度目となるリアクションを見せる。


 全身をガクガクと震わせるリーダーのグレンはチビりそうだったがぐっと耐えた。横で腰を抜かす魔法使いのアニーはチビってた。弓使いのユンは白目を剥いて気絶していた。


 ゴクリと喉を鳴らしたグレンが、控えていたアンコに顔を向ける。すると、彼女は冷静な態度で彼等に告げるのだ。


「王族ですので」


 いや、待ってよ! と叫びたくてしょうがない。でも声が出ない。


 心の中で叫ばれたツッコミを察したのか、アンコは補足情報を口にした。


「リリィ様は王妃様と同じく、WLB――ワールド・レディ・バトルトーナメント――に出場できるほどのお力が既にございます」


 ワールド・レディ・バトルトーナメントってなんだ。そんな大会があるのか。冒険者達は世間の広さを知った。


 余談であるが、WLBとは同盟国間の強者たる王侯貴族(女性部門)が強さを披露する国際大会だ。


 まだまだ世間には認知されていない大会であるものの、リリィの母親は王侯貴族女性の部で三大会連続優勝中の霊長類最強王妃である。


「ヒレ肉ゥゥゥゥゥッ!!」


 月光の剣がガクガクと体を震わせる中、強者の雄叫びが森に轟く。


 雄叫びを上げるのは世界最強の父と母を持つ、ヴェルトリアン王国第一王女 リリィ・ヴェルトリアン。


 後に彼女は世界中の強者から畏怖の念を込めて呼ばれるようになる。


 その名は――悪食の最強女王。


 今日という日は、彼女がその人生を歩み始めた最初の日である。

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