02_#3(終)



午後2時25分。蛭間特殊対策班に出動要請が出た。


 揺れ動く車内、真実也は端末を手にし、液晶に映し出された情報を目で追いながら読み上げた。


「通報は、東二区の『アダチオフィスビル』からです。会社員の男性、佐々木樹三十三歳が勤務中に暴人化。周囲にいた複数人の社員にけがを負わせていますが、いずれも捻挫や切り傷などの軽傷で済んでいます。社員は通報後に別階へ避難、防火シャッターなどで暴人と人との距離は安全に確保できているとのことです」

「安全は確保済みですか」


 足を組んで座る蛭間はふむ、と顎に手を当てている。その様子を伺う真実也と目が合った時、蛭間は顔を上げ、懐から黒い拳銃、マチルダを取りだした。真実也に手渡しながら、前かがみになって言い聞かせるように言う。


「暴人の動きは読めない。君が撃つ可能性も充分あると考えてください。その時は必ず、2回撃つように」

「は、はい」

「それと……くれぐれも、暴人の言葉に耳を貸さないように」

「……分かりました」


 自身の目の前に座っているのに、表情が読めない。真実也は緊張と不安で手の震えを覚えるものの、蛭間に悟られないように頷いた。蛭間は目を細めて座席に寄りかかった。


「緊張していますね。飴ちゃんいりますか?」

「結構です」

「おや、残念」


 車が停止すると、二人は車を降りて現場に急いだ。



 エレベーターで上り、暴人のいる3階に到着した。暴人・佐々木樹は、社内オフィスの廊下で発見された。


「蛭間班長」

「物音を立てず、あまり刺激しないように」

「は、はい」


 オフィスは暴人化当時の緊張と混乱が伝わるように荒れており、資料は床に散らばり、椅子が廊下にまで倒れている。蛭間と真実也の存在に気づいた佐々木は、荒い呼吸でぬらりと振り返った。左手で引き摺っていた消火器が床に擦れ、ゴリ、と鈍い音を立てる。

 ビジネススーツを着た佐々木は、不気味に開かれた瞳孔で蛭間たちを捉えると、大きく息を吐いた。高温の蒸気が口から吹き上がる。消火器の存在に気がついた蛭間は、真実也より半歩後ろに下がった。


「援護する。銃を構えていなさい」


 刺すように鋭い蛭間のかけ声と共に、真実也は両手でマチルダを恐る恐る構えた。銃口を二十メートルほど離れた距離にいる佐々木に合わせる。焦点が定まらず、荒い呼吸と共に照準が乱れるのがわかる。

次の瞬間、佐々木は胸を掻きむしり、叫び声とも呻き声とも似つかない奇妙な声を上げた。そして左手に持っていた消火器を真実也にめがけて、投げるように振り上げた。


「動くな!」


 たじろいだ真実也が避けようとするより先に、蛭間が声を上げた。暴人にではなく、自分に向けて言ったのだ。真実也はマチルダを強く握り、足を地面につけて照準を佐々木にしっかりと定め直す。銃を持つ手が震える。汗で滑り落ちそうになる。

 佐々木は鼓膜が震えるほどの絶叫をしながら、消火器を投げた。消火器は軌道を緩めることなく、野球の球のように真っ直ぐに真実也に飛んできた。思わず床を強く踏みしめる。


「合図をしたら撃て、“必ず二回”だ」


 蛭間は銃を構えたかと思うと、照準を定める間もなく引き金を引いた。耳をつんざくような銃弾とほぼ同時に、命中した消火器が弾き飛ばされた。


「今だ」


 真実也が消火器に目を奪われたほんの一瞬の間に、暴人はすでに半分以上距離を詰めてきていた。蛭間の合図で、真実也は両手で握ったマチルダの引き金に指をかけ、力を込めて引いた。

 弾けた弾丸は暴人・佐々木の腹に命中する。


 大量の墨色の血しぶきを上げた暴人は、今まで聞いた事のないような金切り声を上げ、真実也の視線の二メートル程先で怯んだ。血しぶきが顔にかかる。ぶくぶく、ぐつぐつと腹の底が煮えたぎるような音と、傷口から放たれる蒸気。ひどく苦しげな暴人に、真実也は乱れた自身の呼吸を必死で整えながら、次の一発を撃とうと体勢を整える。


「嫌だ……」


 墨色の血を吐きながら、暴人が何かを呟いた。先ほどの呻き声とは明らかに違う「人の声」に、真実也の心臓は跳ね上がった。目の前の光景に、眼球さえも震えるのが分かった。


「死にたくない……」


 暴人は苦しげながらも震えた唇の隙間から明瞭な言葉を漏らすと、真実也に手を伸ばした。開かれた瞳孔からは涙が溢れており、伸ばした左手の薬指が光った。目の前にいたのは間違いなく「人」だった。

 真実也 基は、全身から力が抜けていくのを感じた。


「時間切れ」


 真実也は激しい発砲音で我に返った。

 暴人・佐々木は左耳からの強い衝撃に、黒い血を吹き出して倒れた。耳の中に銃弾が詰め込まれている。未だまとまらない真実也の脳が、少しずつ状況を理解をしていく。


 蛭間は愛銃、ローガンを懐にしまうと、通信機器を取り出した。


「こちら蛭間特殊対策班、班長蛭間要。15時15分、ターゲット佐々木樹を無事“解放”した。新規負傷者はゼロ、回収班は直ちに暴人の回収を」


 抑揚の無い声でそう告げ、通信機器をしまった蛭間は返り血のついた顔を拭うことなく、真実也に歩みよる。


「必ず二回撃てと、言ったはずだよ」


 倒れ込み項垂れる真実也に言った。優しく言い聞かせるような、しかしそれでいてひどく冷たい口調にも聞こえた。


「優しさは“人”を殺す。君のその良心が、何よりも彼らを苦しめるんだ」


 蛭間は真実也の肩に手を置き、胸元からハンカチを取り出した。


「これで顔を拭きなさい。君は優しすぎる、特殊対策班には向いていないよ」


 そう一言告げると、蛭間は暴人に一瞥もせず現場を後にした。胸ポケットから取り出した煙草の先に火をつけ、深く吸い上げ吹き出した紫煙だけが現場にゆらゆらと残る。

 真実也基は回収班が到着するまでの間、静かになったオフィスで一人、蹲るように声を潜めて泣いた。


 暴人、佐々木樹は“解放”された。


BLACK OUT~蛭間特殊対策班~

Sample:02『解放 -前-』



END.

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