Sample:06 『暴人に菊は添えられぬ』

sample:06『暴人に菊は添えられぬ』




~用語解説~


【暴人(ぼうと)】

人間の体内に潜伏する細胞(M細胞)の爆発的な増殖により、理性を失い凶暴化した人々。その現象はしばしば「暴人化」と称される。


【M細胞】

暴人化の原因になる、人間の身体中に微量に点在している細胞。別名「潜伏性狂気細胞」。一度分裂を起こすと爆発的に増殖する性質があり、体内の細胞をも喰らい尽くしやがて死に至らしめる。分裂の原因は未だ解明されていない。


~組織・人物紹介~



【真実也 基 (まみや はじめ) 巡査】

警視庁公安部 暴人課 特殊対策班の新米警官。好きな屋台はやきそば。


【蛭間 要(ひるま かなめ)警部補】

蛭間特殊対策班 班長。物腰柔らかで掴みどころのない性格。好きな屋台はヨーヨー釣り。


【花園 みちる(はなぞの みちる)巡査】

蛭間特殊対策班の新米警官。お洒落と可愛いものが好きな今どきのギャルで射撃の名手。好きな屋台は射的。


✳【ノト特任警部】✳

蛭間特殊対策班 班員。暴人課の特任警部である無口な少女。好きな屋台はわたあめとチョコバナナ。お面屋も。


✳【ミフネ特任警部補佐】✳

蛭間特殊対策班 班員。ノトのバディであり、世話係もこなす長身で紳士的なの男。好きな屋台はベビーカステラ。


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『BLACK OUT~蛭間特殊対策班~』




Sample:06



ぼうとにきくはそえられぬ『暴人に菊は添えられぬ』


─暴人になった者は周囲から恐れられ、弔われながら安らかに死ぬことは無いもののたとえ。暴人化した人の不遇さに同情することわざ

として、現代でも使われている。









特殊対策班班長会議で放った蛭間の言葉は、『理性を持ち行動する暴人』の存在を示唆するものであった。暴人課はリビングデッド連続殺人事件の犯人の逮捕と並行して──“生ける屍”達の存在の是非を突き止める任務を、一部の特殊対策班に委ねた。


「……それで、言い出しっぺの蛭間班が〜ってこと?」

「ひどい言い様ですねぇ」


蛭間特殊対策班オフィス。デスクに座り首を傾げるみちるに、蛭間はやれやれとため息をつく。ノトを膝の上に乗せ、背筋を伸ばして話を聴いていたミフネは口元を手で覆いながら、人の良さそうな笑顔を浮かべて申し訳なさそうに言った。


「いやぁまさか、雑談ついでに蛭間さんに言ったことが、班長会議で出回るなんて……正直、思ってもみませんでしたよ」

「君までそんな言い方をするんですか?それじゃあまるで、私が他人の言ったことをすぐに言いふらす悪ガキみたいじゃないか」


ミフネの反応を見た蛭間は表情こそ大きく変えないものの、片方の眉を引き上げて立ち上がった。


「ミフネ君が考えた説は、あくまで可能性として考えうる最悪のケースです。無事に犯人が捕まったならそれで良しですし、ましてやそんな物騒な仮説、外れてくれた方がどんなに良いか。ですが公安警察という立場上、絵空事だとしても常に最悪を想定して動くのは基本。そうでしょう、真実也基君」


いきなり名指しされた真実也は、反射的に背筋をぴんと伸ばし、ワンテンポ遅れて返事をした。蛭間はコートハンガーに掛けてあるスーツの上着を羽織ってから、ホワイトボードに貼ってある資料をとん、と指さした。A1サイズの大きな用紙にプリントされているのは、都内周辺の地図情報である。真実也達の手元にも同じ内容の資料がA4用紙にプリントされ、各自手元に用意されていた。


「さて、本題に移りましょう。今回私たちが捜査をするのは、事件が頻発している西区周辺地域です」


蛭間は赤いマーカーペンを取り出し、地図の左側を大きな丸印で囲んだ。ちょうど丸印に囲まれた区間内には、青いペンでバツ印が、間隔をあけて二つほど付けられている。バツ印の傍にはそれぞれ、小さく日付と時刻が書き込まれている。真実也が垂直に手を挙げれば、蛭間はなんですか、と真実也を指名する。


「この青のバツ印は……事件の被害者の死体が発見された場所、ということでしょうか」

「その通り。事件は今までに10件確認されています。内4件は埼玉、神戸、仙台で起きていますが、残り6件はすべて都内で起きています。中でも西区は、この区間だけで2件もの被害が出ている」

「他の事件現場はバラけてるのに、確かに西区のこの2箇所だけ近いところで起きてるっぽいね」


資料を眺めながらそう言うみちるに、蛭間は頷いた。


「西区は主要四区(東区、西区、南区、北区)の中でも最大規模の繁華街がありますよね。人や建物が多く、路地裏などの入り組んだ場所も多い。最も犯罪が起きやすく、犯人も身を隠しやすい。西区だけ2件もの被害が出ているということは、犯人もその近辺にいる可能性が十分考えられます。犯人探しと西区のパトロール。そのついでに、“生ける屍”の手がかり探し、といったところでしょうか」


蛭間が言い終わったところで、先ほどから俯いていたみちるは資料から顔を上げ、勢い良く手を挙げた。


「その“生ける屍”っていうのがもし本当にいるって分かったら、どうすればいいの?」


みちるの質問に答えたのは、みちるの斜め向かいのデスクに座るミフネだった。ミフネは、自身の胸に仰向けで寄りかかり、すぅすぅと寝息を立てているノトをしっかりと腕で抱えながら口を開く。


「犯人が人だった場合と同様に、身柄を拘束して確保するのが良いかと。理性を持った暴人……“生ける屍”がもし、実在するとしたなら……彼らは従来の暴人と共通の特徴や能力を持っている可能性が高いでしょう。仮説通りであれば、彼らは自身の血液でメッセージを書いているはずですから。……まぁ、すべて私の憶測に過ぎませんが、どちらにしても十分に警戒する必要があるかと思います」

「……だそうです。ちるちる、分かりましたか?」


みちるは蛭間の方を見てから、何度も頷きミフネに視線を戻した。


「うん。オッケ〜!ミフネさんありがと」


ミフネはにこりと微笑むと、困ったように眉を下げて呟いた。


「どれもこれも、私の描いた妄想に過ぎないのですが……」

「他に、質問はもう無いですか?」


蛭間はミフネ、ノト、真実也、みちると班員それぞれの表情を確認し終わると、二本指でみちると真実也を指差しながら告げる。


「それではミーティングはこの辺で。真実也君とちるちるは、携帯型規制機器とインカムを人数分、管理局から借りて来てください。私とノトさん、ミフネ君は先に車内で待っています」

「はいっ!」

「了解〜、じゃあ競走ね」

「待て花園、廊下は走るな」


愛銃を担ぎ、勢い良くオフィスのドアを開けて出て行ったみちるを追うように、真実也は早歩きでついて行った。真実也は出口付近で慌てて振り返ると、「では」と律儀にお辞儀をしてからみちるを追っていった。


「彼らがいると、オフィスが一段と明るくなりますね」


真実也の声が段々遠のいていくのを聞きながら、ミフネは微笑みながら言った。


「ふふ。違いないね」


蛭間は顎に手を当て、白金色の髪をふわりと揺らしながら微笑む。オフィスに静寂が訪れると、ミフネは俯き、赤い目を細めて眠っているノトを見ながらぽつりと呟いた。


「本当にただの……しがない警官の絵空事ですから」

「ずいぶん謙遜するんだね」


蛭間は隠れた前髪の下からミフネの方をちらりと見ると、ミフネの青い瞳と目が合った。蛭間は窓際に立ち、煙草に火をつける。ゆっくりと吸い込みやがて静かに吐き出した煙は、ブラインドの隙間を縫って外へ逃げて行く。蛭間は口を開いた。


「私は君が、ただの絵空事を意味もなく伝えてくる人間とは思えないな。上層部だって、君の立てた仮説があながち絵空事と思えないからこそ、顔色を変えて我々に捜査司令を出したんじゃないか」


蛭間は、言葉を詰まらせながらより深刻そうに俯くミフネを横目で見た。俯きながらも、ミフネの表情には困惑と恐れが浮かんでいるようだった。しばらくして、ミフネが口を開く。


「博多での出張中、私はこれまでの事件資料をすべて洗い直しました。そうしたところ、あることが分かったのです」

「あること?」

「被害者の死因は刺殺、殴殺、絞殺……。様々な手段で殺害されていましたが、そのどれもが、到底人間技とは思えない、並々ならぬ力で殺害されていたのです」


煙草を口でくわえた蛭間は一瞬動きを止め、ミフネの方を振り返った。少し驚いたように眉を引き上げる。


「つまり……暴人がやった。そう言いたいのかい?」

「人間には不可能、とは言い切れないですけれど。例えるなら、アスリートが全力を出してようやく出せるような、非常に強い力です。『犯人はアスリート並の身体能力を持っている』と解釈することで犯人を絞り込むことも出来ますが、メッセージの筆跡の違いや犯行の間隔からして、犯行は数人単位のグループで行われている可能性が非常に高いとされています。となると、犯人全員がアスリート並の身体能力を持った人である、というのは、些か無理があるのです」

「犯人全員がアスリート並の身体能力を持っている説と、犯人全員が理性を持った暴人であるという説。ふふ、果たしてどっちが正しいんだろうね」


ミフネは顔を上げると、目が覚めるような青い瞳で蛭間を見つめた。声が小さく震えているのを、蛭間は感じ取る。


「“生ける屍”……最初は本当に、絵空事のように思っていたのです。しかし……犯人が暴人の血を用いりメッセージを残したと考えるよりも、暴人である犯人自身がメッセージを残したと仮定した方が、LIVINGDEAD(“生ける屍”)のメッセージや、強い力で殺害された死体にも……自然な説明がついてしまうのです。もちろん本来、暴人自身がメッセージを残すなど到底不可能なわけですが。……本当に、ありえないことです。ですが……」

「どうにも嫌な予感がする。といったところか」


またもや言葉を詰まらせたミフネに、蛭間は煙を吐きながら言った。窓際のローテーブルに置いてある灰皿に、短くなった煙草を押し付けて火を消すと、腕を組みながらミフネに体を向けた。


「こんなことを言うのもなんだけど、私は君のその説をなかなかに支持してるんだよ」

「それは、どうしてでしょう?」


戸惑いながらそう尋ねるミフネに、蛭間は愛想の良い笑顔を浮かべて答えた。


「一つ目は、あんな悪趣味な連続殺人事件を人間が起こしてると思いたくないから。二つ目は……残念ながら、君の仮説はよく当たるから。だね」


ミフネの膝の上で眠っていたノトが、ぱちりとちょうど目を覚ました頃だった。





* * *





「西区の捜索は、二手に分かれて行います」


車が発進しだしてしばらくすると、蛭間は足を組み替えながら班員たちに向けて告げた。蛭間と並んで隣に座る真実也、対面型になっているシートの向かい側には、みちる、ノト、ミフネが座っている。


「ジャンケンで決めようとも思いましたが……今座っている列で組んでも問題なさそうですね。ノトさんは珍しく、お気に入りを見つけたみたいですし」


蛭間は目を細めて笑いながら、向かい側に座るノトに視線を移した。ノトは右手でみちるの手を、左手でミフネの手をそれぞれ握り、上機嫌そうに車に揺られている。

蛭間以外の四人は皆、賛成、とばかりにそれぞれ相槌や返事をする。


「では三人は、西区繁華街の捜査を頼みます。私と真実也君は、そこから少し外れた路地裏や下道の捜査にあたりましょう。」

「はいっ」

「そういえば、皆さん。“これ”は忘れずに持ってきていますか?」


そう言って蛭間は、上着の内ポケットからあるものを取りだした。4つの視線が集まる中、ガチャ、と金属が重なるような音と共に、銀色に輝く重厚そうな2つの輪が顔を出す。手錠と分かると、一同は皆頷く。


「犯行に立ち会った時に必要ですから、咄嗟に出せる場所にしまっておきましょう。真実也君、腕を出して。皆さん知っていると思いますが、手錠のかけ方はこうですよ」

「いたたっ」


蛭間は流れるような手つきで、真実也の両腕に手錠をかけた。満足気に足を組みなおしシートに深く寄りかかる蛭間とは対照的に、真実也は不服そうに手錠を眺める。


「実演の必要はあるのでしょうか……?」

「ありません」


きっぱりと言い切った蛭間は懐から取りだしたココアシガレットを咥えると、車窓から空を覗き込んだ。


「うーん、それにしても今日は良い天気ですね。絶好の散歩日和だ」








繁華街の入口でみちる達と別れた蛭間達は、地図が記された資料を手にしながら歩き出す。紙面を指でリズム良く叩きながら、蛭間は口を開いた。


「西区での被害も含めて、犯行は人の少ない深夜から早朝にかけての時間帯に行われているか、人目に付きづらい路地裏での犯行が目立ちますね」

「ということは、この時間帯だと人通りの少なそうな場所を重点的に捜査した方が良いということですね、蛭間班長」


真実也の問いかけに、蛭間はええ、と頷いた。


「人であろうが“生ける屍”であろうが、人を殺しているのですから危険なことには変わりありません。充分警戒してくださいね。身の危険を感じたら、防衛のために銃を抜くことも忘れずに」

「分かりました。あの、蛭間さん」


自己防衛自己防衛、と笑顔で話す蛭間の左一歩後ろを歩いていた真実也は、早足で追い付くと彼女の顔を覗き込んだ。なんですか、と蛭間は短い返事をする。


「“生ける屍”のことなのですが……暴人が理性を持ち続けるというのは、やはりそれほど不可能なことなのでしょうか」

「まず不可能でしょうね」


真実也に視線を送り返す間も無く、蛭間は即答した。周囲を広く見渡しながら、建物の隙間や人々を観察している。真実也が口を開く前に、蛭間は語り出した。


「真実也君のような特異体質は別として……基本的に、M細胞は人の体に生まれつき備わっています。しかも、ちょっと腹を切ってピンセットで取り出せるようなものではありません。数え切れないほどの微細なM細胞が、人間の爪先から頭のてっぺんまで、それはそれは丁寧に、満遍なく散りばめられているのです」


満遍なくね、と人差し指でくるくるとサークルを描きながら、蛭間は話を続ける。


「そんなM細胞がある時いきなり爆発的に増殖し、全身の細胞をあっというまに食い尽くしていく。暴人化です。暴人の特徴が出ていながらも尚、理性が残っている状態で一つ考えられるとしたら『暴人化初期症状』ですが、これはあくまでM細胞が体を侵食し切り、完全に暴人化するまでのほんの少しの猶予であり、いくら個人差はあれど、理性を保ち続けるということは不可能です。必ずブラックアウト(理性喪失)を起こし、暴人化し、やがて死にます。人はそういう生きものなので」


蛭間はそう言い終えると、狭い路地に半身を突っ込んで通路の奥を確認する。ついでに、脇に置いてあったゴミ箱の蓋を開けて中身を確認した。「この街は相変わらず、分別の概念が無いようですねぇ」などと独り言を言って、蓋を閉めた。


「それじゃあやっぱり、“生ける屍”というのは……」

「いないと考えるのが妥当でしょう。ですが、不可能を不可能と決めつけて凝り固まった思考を続けていると、稀に現れる“奇跡”に、足元をすくわれることになりますよ」

「き、奇跡……?」


蛭間はいきなり立ち止まると、振り返って真実也の胸をトンと小突いた。慌てて立ち止まった真実也はなんとか蛭間にぶつかることは防いだものの、その距離の近さから、蛭間の白金色の髪の束が真実也の顔に触れる。少し視線を上に動かせば、開かれた金色の瞳は真実也を捉えた。


「事実は小説よりも、ナントヤラ……」


低く呟いてから、蛭間は首を軽く傾けてふふ、と穏やかに笑った。金色の双眸は細まり、ゆるい弧を描く。


「なんだったかな……」

「……事実は、小説よりも奇なり……でしょうか」


真実也はそう口走り、一歩後ずさった。


「それ」


蛭間は指を一度鳴らすと、満足したように踵を返して歩き出した。しばらくして、先程まで入りっぱなしだった真実也の肩の力が一気に抜けた。

やはり苦手だ。真実也基はそう思いながら、今度は鼻歌を歌い出した蛭間の背中を眺め、彼女に追いつくために駆け出した。








─西区繁華街 メインストリート




「ミフネさんってなんでも知ってるね!」

「知っておかなければならない立場ですから。私が答えられることなら、なんでもお答えしますよ」


花園みちるのマシンガンのような質問責めが一段落した頃には、捜査開始からすでに数時間が経過していた。ノトはミフネに肩車をされ、行き交う人や景色を見渡している。平日の繁華街は休日に比べると人が少ないようだが、人の波は穏やかながら賑わいを見せていた。


「じゃあまた質問しても良い?ミフネさんから見たひるるんって、どんな人?」

「どんな人……ですか」


周囲を監視しながらも楽しげに質問を投げかけるみちるに、ミフネは数秒悩む。その間にミフネは、ビール瓶のケースに腰をかける古着屋の老婆や、短い腕で看板を懸命に掲げる着ぐるみの姿を目で捉える。ミフネは参ったように微笑みながら答えた。


「答えになっていないかもしれませんが……一言で言うと、捉え所のない方ですね。子どものようにお茶目な方だとお見受けする時もあれば……人が変わったように……落ち着いている時もある。みちるさんは、蛭間さんが警察の間で『死神』と呼ばれているのはご存知ですか?」


そう聞かれると、みちるは少し不満そうに頬をふくらませた。


「あっ、知ってるよー。それってどうしてなの?もっと可愛いあだ名、付けてあげればいいのに」

「ふふ。蛭間さんも以前、同じようなことを仰っていました。実は『死神』というあだ名は、蛭間さんが優秀であるが故につけられた、皮肉のようなものなのです」


歩くスピードを緩めながら頭上に「?」を浮かべるみちるに、ミフネは歩行スピードを合わせた。


「蛭間さんの暴人解放数は、課内でダントツのトップを誇っています。都内で市民が暴人化すれば、その現場には必ずと言っていいほど蛭間要がいる。『蛭間要在るところに暴人在り』そんなことを言い始める警官が現れて間もなく、『死神』という皮肉めいた呼び名も広まったのです。蛭間さんの優秀さに嫉妬する気持ちと、畏怖の気持ちもあったのでしょう」

「変なの。ひるるんは仕事をしてるだけなのに、そんな言い方されるなんて」


みちるは納得がいかない様子で、こんどは眉間に皺を寄せた。ミフネは深く頷きながらも、自嘲気味に微笑む。


「ええ全く。おっしゃる通りです。……ですがたまに、私も彼女のことを、どこか恐ろしく感じる時があるのです」

「えっと、それって……?」

「いつもは穏やかな彼女ですが。暴人を“解放”する時は、まるで別人のような雰囲気になるんですよ。その話をした後にこんなことを申し上げるのも気が引けますが……まさに、死神のような。」


思い出すだけで、少し身震いしてしまいそうです。そう言ってミフネは屈託の無い笑顔を見せるものの、みちるは彼が決して冗談で言ってはいないような気がした。額に汗が滲んだような感覚を振り切るように、みちるはいつもの調子で口を開く。


「も、もう。ミフネさんまでそんなこと言うの?ひるるんにチクッちゃうんだからね!……それにしても、結構歩いて疲れちゃった。ミフネさんもノトさん肩車して歩きっぱなしだし、ちょっと休憩していかない?」


「休憩」という言葉を聞いて顔色を変えた(当然、仮面を付けているため表情は見えないが)ノトはミフネの肩から降りると、みちるの手をくい、と引き、数十メートル先にある甘味処の看板を指さす。


「あそこがいいの?」


みちるが尋ねれば、ノトは首がちぎれそうなほど激しく縦に振った。ミフネは肩をさする。


「いたた……そうですね。少し休憩に……しましょうか」


そう言い終わった頃には既に甘味処へ走って行ってしまったみちるとノトに、ミフネは驚いた後、思わずふふ、と声を立てて困ったように笑った。





店内で注文と会計を済ませた3人は店の外に出た。茶と菓子が運ばれてくる間に、店の外に設置された縁台に腰を下ろす。ミフネは、みちるは肩に背負っていたガンケースを下ろすのを興味深げに眺めてから言った。


「重かったでしょう?ご苦労様です」

「ああ、ドーベルちゃんのこと?この子軽いから、持ち運びがすごく楽なんだよ!ミフネさんこそご苦労さま」

「はは。私は慣れていますから。ふむ、どおべるちゃん……ああ、とするとAGE1900_M79……相当な射撃技術が無ければ、使いこなせない代物ですね。みちるさん、すごいです!」

「えへへ」


ミフネに煽てられ、みちるは分かりやすく照れ笑いをうかべた。その後、ミフネの全身を調べるように上から下、背中まで見渡し、思い出したように口を開いた。


「そう言えばミフネさんって、なんの武器使ってるの?ノトさんはなんとなく、拳!って分かるけど」


店員によって、茶と団子が運び込まれてきた。盆が置けるスペースを開け、団子を覗き込みながらみちるが訊ねる。みたらし団子、餡子団子、花見団子が行儀良く皿に盛られていた。おいしそう、とみちるは目を輝かせる。


「ふふ、おっしゃる通りです。ノトさんの武器は素手です。私はノトさんのように強くはないので、代わりに……」


ミフネがそう喋りだしたのも束の間。彼方から、女性の短い悲鳴が響いた。


「何!?」





驚いたみちるが肩を跳ねさせると、先ほどの短い悲鳴の後に続くように、こんどは無数の悲鳴とざわめきが押し寄せてきた。

何事かと反射的に立ち上がったミフネとみちるは、騒ぎのする方を注視した。6、7名ほどの人々が恐怖に染まった表情で走ってくる。


「暴人だ」

「店に携帯置いてきちゃったわ。誰か警察を呼んでよ」

「逃げるのが先だろうが」


すれ違いざま、半分パニックに陥った市民の会話が耳に入り、二人は顔を見合せた。


「みちるさん、行きましょう」

「ま、待って!ノトさんが!」


ガンケースを背負ったみちるが手を伸ばすのも虚しく、ノトは目にも止まらぬ速さで悲鳴のする方とは反対側の道を走り、路地裏へと消えていってしまった。どうしようと焦りながらミフネを見上げたみちるに、ミフネは一瞬考えたような素振りを見せると、唇をかみ締めてみちるに背を向け、スーツの襟を正す。


「……彼女は大丈夫。さあ、行きましょう!」







悲鳴が聞こえ、人々がこちらに逃げてきた数秒後。路地の手前で寄りかかり寝ていた酔っ払いの男が路地裏に引きずり込まれるのを、ノトは見逃さなかった。皿に乗った三本の団子をむんずと掴んで口に入れ、逃がすまいと“それ”の後を追った。


空からの光が申し訳程度に差し込む路地裏は薄暗く、埃のかぶった室外機や正体の分からない数多の管が、建物の壁に這うように伸びている。足を踏み入れる度に数匹のネズミの鳴き声がする。ノトは足元に転がるゴミを蹴散らしながら、赤い目をギラギラと光らせて気配のする方へ進んで行った。しばらく進むと、男のくぐもった苦しそうな呻き声が聞こえてくる。


「おうい、だ、だ、誰か!」


ノトは路地裏の突き当たりに差し掛かった。背中を向け、酔っ払いの男に覆い被さる人物をノトは捉えた。覆い被さられた酔っ払いは真っ赤な顔で興奮し、回らない呂律で喚き散らしている。コートのようなものを着た人物はノトに気づいていないのか、息を荒らげながら振り返ることなく腕を振り上げた。右手には金槌のようなものを持っている。


すかさず、ノトは先ほどまで口に入れていた団子の串を投げた。ノトによって投げられた軽い竹串は、尋常ではない速度を帯びて謎の人物の手の甲に針のように突き刺さる。ギャッ、と悲鳴を上げたその人物はようやくノトに気がつくと、どこからともなく取り出したものを地面に投げた。もくもとそれは白い煙を上げる。煙花火である。ノトは湧き上がる煙をかき分けて進み、ショックとアルコールで気絶している酔っ払いの男の首根っこを掴んで引きずっていった。謎の人物は煙に紛れながら、路地を通って姿をくらました。






ミフネとみちるが悲鳴の聞こえたその場に到着した時には、頭から血を流した若い女性が、尻もちをついていた。腰が抜けてしまっているようだ。その女性の視線の先には、同じく若い女性が立っている。蒸気を出し、体内からは不気味な鈍い「ボコボコ」という音を響かせている。腹の中が苦しいのか、女は恐ろしく低い呻き声を上げながら蹲る。周囲は、恐怖でその場から動けなくなった人や、店の奥に逃げていく人の様子が見て取れる。


ガンケースに手をかけたみちるの手を、ミフネは静かに制した。


「私がやります。貴方は周囲の安全確保と、規制をお願いします」

「わ、わかった」


姿勢良く、堂々と。静かに女に歩み寄る。ミフネは嵌めている黒い皮のグローブを引っ張る。そして胸ポケットから小さな小瓶と、白いガーゼを取り出した。


「大丈夫。五秒で終わります」


決して焦る様子はなく、品のある低い声で暴人に語りかける。ミフネはインカムに一瞬手を当て何かを呟くと、歩くスピードを早めた。ミフネに気がついた暴人は目から墨色の血液を流している。荒い息でミフネに威嚇をした後、雄叫びを上げて襲いかかった。


「あっ!」


血を流した女性を保護した後、みちるはすぐ数メートル先で起きている光景に驚き、思わず声をあげた。どこからともなく飛んできた長く細い針のような物が、暴人の首に刺さったのだ。その針は数秒暴人の首に刺さったあと、ぽろりと地面に落ちた。暴人は少し痒がる程度の反応しか見せなかったが、不意に針が刺さったことで大きな隙が生まれた。

ミフネは小瓶の液体を数滴ガーゼに浸す。瓶を上着のポケットに戻すと、そのまま勢いよく暴人の懐に入り込み、ガーゼを暴人の鼻と口を覆うように押し当てる。暴人がミフネに襲いかかってから、ほんの数秒後の出来事だった。

口を開けて目を見開いて見ていたみちるのレモン色の瞳に、焼き付けられる。ミフネは静かに数を数えはじめた。


「一秒、二秒」


ガーゼに顔を覆われた暴人は、大きく息を吸い込む。


「……三秒」


息を詰まらせ、開いた瞳孔が眼球の裏を向く。それでもミフネは目を伏せ、数を数え続ける。


「四秒……五秒」


繁華街は、真空のような静寂に包まれた。暴人はもう動いていない。

自身の腕の中で息を引き取った暴人の瞼を、ミフネは深呼吸をし、手でそっと閉じた。

みちると周囲の人々は息を殺し、その光景に見惚れるように目を奪われていた。


「……こちら、蛭間特殊対策班。御舟善次(ミフネ ゼンジ)特任警部補佐です。15:06、西区繁華街にて暴人化した女性を“解放”しました。確認可能な負傷者は一名です。救護班と回収班は直ちに負傷者の保護……並びに遺体の回収をお願い致します」


携帯端末からの連絡を終えたミフネは丁寧に暴人を横たわらせ、暴人の頬に伝った血液を拭う。懐から新しく出した白いハンカチを顔の上に乗せると、ミフネはようやく立ち上がった。


「お花の香り……?」


ふと、みちるは鼻腔をくすぐるさわやかな香りに気が付いた。暴人の死体から香っている不思議な香りに、みちるは違和感を覚える。

そのタイミングで、路地裏からいきなり、男が乱雑に通路に投げ飛ばされた。暴人の死体を見て泣き崩れる女性の背中をさすっていたみちるは、それに気づき思わずぎょっとする。真っ赤な顔をしたその男は気絶しているのか、痛がる様子もなく地面に寝転がっていた。やがて暗闇から、竹串を一本咥えたノトが姿を現した。彼女はどこか煙っぽく、オレンジ色の頭には蜘蛛の巣が絡まっていた。みちるはしばらくして、暴人の傍に落ちていた針が団子の竹串だったことに気がつく。


「の、ノトさぁん!」


ノトを見つけるや否や、ミフネの凛とした態度は一変した。弱々しく眉を下げ、今にも泣きそうな声でノトに駆け寄った。ノトの目の前に立つと、足を折り曲げてしゃがみこみ、視線を合わせる。現場は市民の通報により駆けつけたパトカーで更に騒然としていたものの、二人は全く気にせずに会話をしている。女性を警察に保護させたみちるは、恐る恐る二人に近づいた。


「いやぁ〜、助かりました。お力添えありがとうございます。ノトさんは本当にお強いなぁ。竹串をも凶器に変えてしまうなんて……」


ノトは腕を組み、ミフネの言葉にひたすら頷く。


「私本当に怖くて怖くて。ノトさんがいない状態で暴人に遭遇した経験が無いものですから。……えっ、なになに」


腕を組んでいたノトは、何かを説明するように身振り手振りをした。ミフネはそれを一生懸命見たと思うと、バッ、と音がするのではないかと思うほど勢いよく両手で口元を覆った。


「エッ!『良い“解放”だった』?!ノトさん!!そんな、私!恐縮です」


声にならない声を発したミフネは、感慨無量といった様子でノトを尊敬の眼差しで見つめる。ノトは小さな手で、ミフネの肩に手を置いて励ますように頷いていた。


「あ、あのさ。取り込み中でゴメンなんだけど」


体の後ろで手を組みながら、みちるは2人にそっと話しかけた。


「ああ、みちるさん。失礼致しました」


みちるに気がつくと、ミフネはハンカチで涙を拭いて立ち上がった。相変わらず見上げるほど背が高いなとみちるは改めて感じた。


「そう言えばみちるさん。先ほどの質問の回答がまだでしたね。私が使う“武器”、お教えします」


みちるはそう言われると、あ。と甘味処での会話を思い出した。ミフネは丁寧な手つきで、懐から小瓶を取りだした。暴人を“解放”した際にも使用した、透明な液体が入った小瓶である。


「私、暴人があんなに一瞬で“解放”されるところ初めて見た……」

「ええ。本当に一瞬。しかも苦しむことなく眠るように」

「これは……?」


小瓶を揺らしながら、ミフネはにこりと微笑んで答える。


「対暴人用の、猛毒です。私が丹精込めて作りました。ガーゼに適量を染み込ませ、鼻と口に押し当てるだけで暴人に苦痛を与えることなく“解放”することができます。『痛くない“解放”』が、私のモットーなのです」

「この匂い……」


みちるは驚きつつも、小瓶を取り出したミフネから香ってくる甘い香りに目を瞬かせた。


「ああ、白菊のエキスを注入して作っているので、その香りですね。……か、嗅いでも害は無いのでご安心を」


毒を吸ったかもしれない、と慌てて息を止めだしたみちるを見たミフネも、慌てて言葉をつけ加えた。みちるは無害だと分かると、安堵のため息をついた。


「でも、すごくいい香り」

「『暴人に菊は添えられぬ』……昔からあることわざです。彼らへの、せめてもの手向けにと思いまして」


そう言ってミフネは静かに微笑むと、小瓶を丁寧に上着の内ポケットにしまった。ノトはコクリと、腕組みをしながら一度だけ頷いた。









繁華街にて市民が暴人化。そんな知らせが蛭間たちに入ってきた頃には、暴人は既に“解放”されていた。夕方になり、学校を終えた学生が増えたことで、繁華街近辺は混雑し始める。


「まったく。『ホウレンソウ』がなっていませんね、うちの班は」


行き交う人を避けながら、蛭間は少し拗ねたように言った。


「そ、その分暴人の“解放”が迅速に行われたんですから、しょうがないと思います!負傷者は一人出ましたが、班員やそれ以外の市民に怪我はなかったようですし!」


蛭間に引き離されないように、真実也も人を避けながら歩く。人とぶつかる度に「すみません」と口にしている。


「インカムがあるんですから、せめて班長である私に一言言ってくれても良いと思いますがね。ま、彼らの事情は合流してから聞きましょう」

「そうですね……あ、すみません!」


真実也は、混雑してきた道の正面から来る人々にばかり注意していたため、路地から出てきた人物に気が付かなかった。肩と肩がぶつかり、互いによろける。


「いえ。こちらこそ、すみません」


ぶつかった相手は愛想の良さそうな男で、眼鏡をかけていた。男はぶつかったにも関わらず、真実也に向かって笑顔で応えた。かなり黒目がちな男の瞳に、真実也は少しの違和感を覚える。黒目がちというより、真っ黒な瞳か。

……いいや、違う。瞳孔が、開いている。


「えっと……どうかしましたか?」


ドクン。心臓が飛び跳ねた。不審そうに訊ねる男の声でハッと我に戻った真実也は、もう一度、眼鏡越しに映る男の目を見た。しかし瞳孔は開いてなどなく、至って普通の目をしていた。


「……いえ。すみませんでした」


冷たい汗をかいたまま、真実也は訳が分からず男に謝った。今のはなんだ?僕は疲れているのだろうか。そんな考えが巡る。立ち尽くしていると、真実也は強い力で腕を掴まれた。蛭間要だ。


「真実也君!何をもたもたしているんです?買って欲しいものがあるなら、ミフネ君に言いなさい」

「蛭間さん。す、すみません。ぼーっとしていて」


しっかりしなければ。そう思った真実也は男にもう一度謝り、気を取り直して歩き出した。

蛭間は、先ほど真実也とぶつかり、自分たちとは反対の道を歩いていく男を目で追った。







* * *







捜査から2日後。とあるニュースが新聞の一面を禍々しく飾った。





「西区繁華街の路地裏 惨殺死体発見 “LIVINGDEAD”の黒血文字再び」







BLACK OUT~蛭間特殊対策班~

Sample:06 『暴人に菊は添えられぬ』


END

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