Sample:05 『生ける屍』
~用語解説~
✳【サクランボの種(たね)】✳
サクランボの種(バラ科の植物の種全般)にはアミグダリンと呼ばれる有毒物質が含まれている。アミグダリンは体内の消化器官で分解されると、微量の青酸を発生させる。その毒性は強く、小鳥や小動物に与えると死に至らしめると言われるほどである。よって、大量のサクランボの種を噛み砕いて食べるのはあまりオススメしない。
【暴人(ぼうと)】
人間の体内に潜伏する細胞(M細胞)の爆発的な増殖により、理性を失い凶暴化した人々。その現象は「暴人化」と称される。
【M細胞】
暴人化の原因になる、人間の身体中に微量に点在している細胞。別名「潜伏性狂気細胞」。一度分裂を起こすと爆発的に増殖する性質があり、体内の細胞をも喰らい尽くしやがて死に至らしめる。分裂の原因は未だ解明されていない。
~組織・人物紹介~
【特殊対策班】
警視庁公安部 暴人課に属する組織。基本4~6人の班で捜査をする。暴人の周囲の人々の安全確保と共に、暴人の“解放”を目的としている。近年、とある事件がきっかけで、特殊対策班の班員は皆「非潜伏者」のみに絞るよう徹底されている。
✳【安田整一 (やすだ せいいち)】✳
安田特殊対策班 班長。47歳。好きな言葉は「安全」。最近、テンションが高く危なっかしい新米の世話に手を焼いている。
✳【百目鬼徳馬(どうめき とくま)】✳
百目鬼特殊対策班 班長。35歳。なんでも全力でやる性格で、蛭間と相性が悪い。一見高圧的だが、妻と娘の尻には敷かれているらしい。
✳【赤金 創一郎(あかがね そういちろう)】✳
赤金特殊対策班 班長。26歳。刀を扱い暴人を解放する。生真面目で何を考えているのか分からないが、部下からの信頼は厚い。
✳【黒川 椿(くろかわ つばき)】✳
黒川特殊対策班 班長。32歳。元FBIという異色の経歴を持つ。才色兼備で面倒見がよく、部下の間で密かに作られている「上司にしたい班長ランキング」で常にトップを保っている。
─────────────────────
「安田さん、これがあの!?」
「待て待て、お前は危ねぇから下がってろ」
暴人課 安田特殊対策班の一行は、西区の路地裏の一角で足を止めた。スーツの上から作業服を身に纏う班長・安田整一(やすだ せいいち)は、彼女が動こうとすると二本指で指差し、気だるそうな声色で忠告する。
「安田さぁん、具体的にどのくらいです?」
ハキハキと喋るスーツ姿の彼女──能木 一七子(のぎ ひなこ)は、首を傾げて尋ねた。安田は彼女を怪訝そうに一瞥すると、短く息を吐いて答えた。
「二歩だ」
「わかりました!」
ようやく二歩下がった能木を確認すると、安田は視線を“それ”に移す。
「ひどい匂いだな」
年齢は60代前半。着古して年季の入った服装からして、ホームレスといったところか。ブロック塀にもたれかかるようにして倒れていたのは、頭部が変形した一人の男の死体だった。蛆が湧き、大量のハエが集っている。辺りは鼻が曲がるほどの腐敗臭が充満していた。ビルの隙間から差す光が男の赤黒く染まった頭部を照らすものの、すっかり乾いてしまった血の塊は光を反射しない。
「この暑さのせいでかなり腐敗が進んでますね。頭部を何度も何度も、刃物のようなもので刺されてる。……こりゃ酷い」
安田と肩を並べ資料に目を通す安田班班員、案条 正吉(あんじょう まさよし)は、眠たげに開かれた目を不快そうに細めた。しゃがみこみ男の死体に手を合わせた安田は、不自然に捲られた男の腕の違和感に気がつく。
「死人に落書きか……いい趣味してやがるぜ全く」
“ LIVING DEAD ”
男の腕には、墨色の血液でそう書かれていた。
*
『BLACK OUT~蛭間特殊対策班~』
Sample:05
「生ける屍」
*
時刻は既に13時を回っていた。警視庁本部庁舎に繋がる長い廊下を、真実也とみちるは肩を並べて歩いていた。
「暴人解放後にお昼ごはんって、気分乗らないんだけど〜。デザートだけ食べよっかな」
肩のストレッチをしながらそう呟くみちるに、真実也はむ、と眉をひそめた。
「しっかり食べないとダメだ。午後の業務に差し支える」
「あ、ひるるんと同じこと言ってる。分かってるけどさぁ」
二人は何気ない会話をしながら、本部庁舎の食堂へ歩みを進めていく。昼食の時間は大概人で混み合う通路も、今の時間帯はほとんど人通りが無い。これだけ空いているのなら食堂も並ばずに済みそうだ、仕事で昼食の時間がずれたのがむしろ幸いだったと、真実也は歩きながら感じていた。
「ねぇそういえば。そろそろ“出張組”、帰ってくる頃じゃない?」
「出張組?」
みちるの問いかけに真実也は一瞬首を傾げたが、すぐに察しがついたのか「あぁ」と相槌を打った。配属当時、蛭間は博多に二週間、出張に行っている二人の存在を上げていたことを思い出す。
「私たちが配属されてからもう二週間は経ってるもん。いつ帰ってきてもおかしくないよね?」
「確かにそうだな」
「どんな人たちかなぁ。私、超楽しみなんだよね!あーあ、王子様みたいなイケメン二人が帰ってこないかなぁ」
「……理想と違った時に顔に出すんじゃないぞ」
「もう、分かってるってばぁ」
二人は会話に花を咲かせながら、食堂前廊下に繋がる曲がり角前に差し掛かった。
「ノトさぁ〜ん、そっちは食堂じゃないですよぉ〜」
ふと何かが聞こえたような気がしたみちるは、ふと立ち止まり真実也の方を見た。
「え?何か言った?」
真実也は歩くスピードを緩めながら、みちるの方を振り返り首を横に振る。
「いや、何も……」
曲がり角直前に差し掛かった瞬間。ドッ!という鈍い音と共に、真実也の体に何かがぶつかってきた。トラックに跳ねられたような強い衝撃に、真実也の体は後ろへ数メートル突き飛ばされる。
「どわぁ!?」
「ハジメちゃん!?」
暴人かもしれない。咄嗟に拳銃を取り出したみちるは真実也を心配すると共に、ぶつかってきた“それ”に注意と銃口を向けた。しかしその正体を見ると、やがてみちるは力無く拳銃を下ろした。
「……女の子?」
*
立っていたのは暴人ではなかった。小学校低学年ほどの背丈の子どもだった。目の部分に大きく二つ穴の空いた、白いホッケーマスクのようなものをはめており、ウェーブのかかった長いオレンジ色の髪は、団子状に二つに結っている。遠足に行く時のようなリュックを背負っているものの、白いシャツに黒ネクタイ、サスペンダーという格好は年相応に見えない。少女と思しきその人物は不思議なことに、成人男性である真実也とぶつかったにも関わらず無傷だった。マスクの穴の奥から覗く赤い瞳をぱちぱちと瞬かせて、服に着いた埃を払うような仕草をとる。
「わぁ、大丈夫ですか〜!?」
少女がやってきた方向から、更に小走りで誰かがやってくる。間延びした声の後、曲がり角からたちまち見上げるほど背の高いスーツ姿の男が、焦った様子で姿を現した。その男はちらりと少女の方を見てから、尻もちをつく真実也を見るなり、状況察したのかはっと息を飲んで真実也に駆け寄った。身長の半分以上を占める長い足を窮屈そうに折り曲げて、片膝立ちをする。みちるはその様子をぽかんと見つめ、少女の方を見る。
「申し訳ありません!お怪我はありませんか?」
「は、はい。私は、なんとか」
男は年齢30代程で、うっすらと顎髭を蓄えている。少し癖のある黒髪は彼の顔の右半分を隠しており、隠れていない方の左目は、目が覚めるような瑠璃色をしていた。男はとても心配そうに、真実也の関節や背骨を折れていないかと確認する。真実也は少女を気遣うように視線を送る。
「……それよりあの子は?怪我は……?」
「彼女は大丈夫ですから」
彼女を心配する素振りを見せない男に違和感を覚える。大人である自分より子どもを優先して心配するべきでは、とも思ったが、男の背後で堂々と仁王立ちをしている彼女を見ると、「問題ない」ことこの上ないようにも感じる。幸い、咄嗟に受身を取った真実也は無傷で済んだ。先程ぶつかってきたのは本当にあの子どもなのだろうか……?真実也は未だ半信半疑でスーツのしわを直し、体勢を整え立ち上がろうと顔を上げた。
「わっ」
真実也は思わずぎょっとし、声を上げて固まった。彼の視線のすぐ先には、白いマスクを付けた少女が、赤い目をぎょろりと覗かせてこちらを覗き込んでいたのだ。みちるは、先ほどまで曲がり角付近に立っていた少女が、いつの間にか真実也のところまで移動していたことに驚きを隠せなかった。
少女は言葉を発することなくじぃ、と真実也を見つめると、おもむろに手を差し出した。起き上がる真実也の手を貸すつもりらしい。男の方を見ると、彼は保護者のような顔つきでそれを見守っている。依然無言のままである少女の手を、真実也は恐る恐る握った。
ぐいん!突如とてつもなく強い力で引っ張られた真実也は、前のめりに倒れそうになった。彼女は一体何者なんだ。真実也の額には一筋の汗が伝った。
男は立ち上がり、深々と頭を下げた。胸元から取り出した白いハンカチで口元を覆う。
「本当に申し訳ありません、私が彼女の手を離したばかりに……ううっ、情けない……私、保護者失格です」
そう言って急にしくしく泣き出した彼と、彼を慰めるように膝の裏をぽんぽんと叩く少女に真実也は戸惑っていると、聞き覚えのある声が曲がり角から聞こえてきた。
「ミフネ君、ノトさんは捕まりましたか?」
「あっ、ひるるん」
みちるはあっと声を上げた。角から白金色の髪を揺らしながら姿を現したのは、班長・蛭間要だった。
蛭間はみちると真実也に気がつくと、眉を上げて驚いた様子でおや、と呟く。
「ちるちるに真実也君。奇遇ですね」
「マミヤ君……?……ちるちる……?」
名前を聞きつけると、背の高い男はハンカチをしまいながらたちまちにこやかな笑顔を見せた。目にはまだ涙が滲んでいる。
「……ああ!彼らがウワサの!」
「僕たちのことを知っているんですか?」
「もちろん」
「私たちも、蛭間班ですから」。ネクタイを直しながらさらりと告げた男の言葉を飲み込むのに、みちると真実也は数秒を要した。そして息をぴたりと合わせたかのように、同時に驚きの声を上げた。
「それじゃあ、あなたが出張に行っていた……」
「ノトさんとの出張からはちょうど昨日帰ってきたところです。蛭間さん、私たちのこと紹介しておいてくれなかったんですか?」
みちるを連れて真実也たちの傍まで歩み寄った蛭間は、目を細めてにこりと笑った。
「その方がサプライズ感があるかと」
「またまた、そんなことを……」
親しそうに蛭間と話す男の様子に真実也は驚きつつも、男の傍で何度も頷く少女と、先ほど男の発した「私たち」という言葉に疑問を覚え、腕組みをする少女に視線を送る。
「そ、その子は……ええと。娘さん、ですか?」
「娘……?そんなそんなっ、とんでもない!」
真実也がそう言うと、男は面食らったように驚いた。
「……あ。そういえば、自己紹介がまだでしたね。失礼いたしました」
男はすでに正された背筋を更に伸ばすと、胸に手を当て丁寧にお辞儀をした。
「私は、御舟(みふね)と申します。そして彼女が能登(のと)特任警部。公安所属の警察官であり、私の上司です」
*
「特任警部って、そんなにすごいの?」
「そうですねぇ。階級で言うと警部より上、警視の下といったところでしょうか」
警視庁本部庁舎の食堂。真実也とみちるが並んで座った席の向かい側に、蛭間、ノト、ミフネが座っている。ミフネは包装から取り出したストローを、オレンジジュースの入ったグラスに差しながら答える。生クリームが山盛りのパフェをつつきながら、今度は蛭間が口を開いた。
「警部になるには通常、昇任試験を受けなければなりません。しかし何らかの理由で試験が受けられない人物でも、極めて優秀な功績や実力を認められたごく一部の警官は、“特任警部”の階級と称号が与えられるんです。ノトさんは試験の問題に答えられる年齢ではないのですが、戦闘技術が極めて優れているために、例外的に特任警部に任命されたのです。うわさでは、警視よりもなるのが難しいと言われていますがね」
「へぇ〜、ノトさん、すごい!」
みちるは、目の前でオムライスを食べる(マスクは外さず、マスクの下からスプーンを差し込むようにして食べている。)ノトを尊敬の眼差しで見つめた。ノトはまたも声を発することなく、どこか誇らしげにこくこくと頷く。一方真実也は、自身が注文した生姜焼き定食の横に並ぶ、300グラムステーキ定食の迫力に愕然としていた。
「ミフネ君は特任警部補佐。バディとして共に仕事をこなすだけでなく、彼女の身の回りの世話や通訳も担当しているんです」
「通訳?」
蛭間の言葉に、真実也はふと顔を上げた。ノトのマスクについたケチャップをハンカチで丁寧に拭きながら、ミフネは付け加えるように言った。
「彼女、喋らないんです」
「ええと、“喋れない”ではなく……?」
「ええ、はい。ノトさんはとてもシャイなので……人前でのおしゃべりが、恥ずかしいのだそうで」
腹を膨らませ、背もたれに寄りかかりながら満足気に赤い目を細めるノトに、ミフネは眉を下げて暖かい眼差しを送っている。全然そうは見えないが。と真実也はツッコミそうになるのを、口から出る前に抑えた。
「まぁ何はともあれ、2人が帰ってきてようやくうちの班は全員揃いましたね。これでオフィスも賑やかになりますし、仕事もしやすくなります。よかったよかった」
蛭間は、生クリームの頂点に乗っているサクランボをつまみ、ノトの皿にちょんと乗せた。いつもと変わらない感情の読めない笑顔だが、心なしかいつもより嬉しそうに見えた。寄りかかって座っていたノトはサクランボに気がつくと、興味津々、といった様子で前かがみになり、サクランボを凝視している。
「ねえ、そういえばなんだけど。二人は出張で何しに行ってたの?二週間ってけっこう長くない?」
ステーキの最後の一切れをフォークで刺しながら、思い出したようにみちるが口を開いた。
ガリッ。
サクランボの種が、ノトの強靭な歯によって噛み砕かれた。それに続き、バリボリという音が食堂内に響く。
「うっそ、ノトさん種も食べちゃったの!?」
みちるは思わずノトに気を取られていたが、真実也はその間に蛭間とミフネが一瞬、互いに目配せし合っていたような気がして思わず箸を止めた。真実也と目が合った蛭間は笑顔で顔の前で手を組むと、目を伏せながら一呼吸置き、いつものように抑揚の無い口調で言った。
「“リビングデッド連続殺人事件”。皆さんもご存知ですよね?」
真実也は唐突に挙げられた事件の話題に一瞬たじろいだが、力強く頷いた。
「もちろん。警察の間だけでなく今や市民の間でも、知らない人はいないほど話題になっている事件ですから」
「殺された被害者の遺体の近くに、必ず暴人の血でメッセージが残されてるっていう……あの?」
人差し指を顎に当てながら首を傾げるみちるに、ミフネは「はい」と頷く。姿勢の良いミフネとは対照的に、ノトは椅子に寄りかかりながら夢中でオレンジジュースを飲んでいる。
「“LIVING DEAD”と……犯行現場付近に必ず、暴人特有の墨色の血液でメッセージが残されている無差別連続殺人事件です。発見された被害者は全員、暴人ではなく一般市民であったことから、メッセージは『加害者が何らかのルートでわざわざ入手した暴人の血をわざわざ用いて書いている』と考えられますが、メッセージの意味も意図も、未だ明らかになっていないのです。しかもその犯行が最近になって、全国各地で確認されてきている……恐ろしいことに、未だ多くが謎に包まれているのに、事件件数は留まるどころか少しずつ拡大していっているのです」
ミフネが話し終わると、蛭間はいつの間にか頼んでいたコーヒーに口をつけながら言った。
「本来こういった事件の取り扱いは特殊対策班の仕事では無いのですが、“暴人の血”という情報だけ聞いた上の人間が、どういうわけだか我々特殊対策班に調査を押し付けてきましてねぇ。班長会議の末、うちの優秀なミフネ君とノトさんが二週間、福岡県警様にお世話になりに行く羽目になってしまったわけです」
「へぇ〜。それで、事件についてなにか分かったことはあったの?」
いつの間にか頼んでいたアイスティーにミルクを入れながら、みちるは尋ねた。ミフネは少し恥ずかしそうに笑った。
「いやぁそれが……気付けば福岡県警で過ごした14日間のほとんどを、街のパトロールに費やされまして。連続殺人事件に関するめぼしい情報は、一切得られなかったんですよぉ」
「えぇっ、なにそれ!『暴人被害ゼロの街づくり』に貢献しに行っただけってこと?」
みちるは驚いた後に、がっくりと肩を落とした。(『暴人被害ゼロの街づくり』という言葉は、福岡県警が大々的に取り決めているスローガンである。)後ろ頭を搔いて笑うミフネとみちる、二杯目のジュースを飲み干したノトの賑やかなやり取りを見ていた真実也は、ふと視線を目の前の蛭間に移した。先ほどの笑顔は消え、なにやら考え事をしているような真剣な面持ちで、パフェの底に溜まったチョコレートソースをスプーンでかき混ぜていた。
真実也の背後に備え付けられていたテレビから、無機質なニュースキャスターの声が聞こえる。
『それでは次のニュースです。15日未明、西区未ケ部(みかべ)町の路地裏で、男性の死体が発見されました。身元不明の男性は推定60代前半、頭部を刃物のようなもので無数に刺され、死亡していることが明らかになりした。また、男性の左腕には黒い液体で“LIVING DEAD”と例の謎のメッセージが記されていました。解析の結果、この黒い液体は暴人の血液だということが判明し、これはリビングデッド連続殺人事件の実に10件目の被害であると言えます。市民の皆さまはできるだけ単独での行動や人通りの少ない場所への外出を避けるよう、政府は訴えかけています──』
* * *
特殊対策班班長会議─
「被害者は今のところ、年齢、性別、職業すべてバラバラ。犯行は全て無差別に行われていることが推測される」
大会議室の中央に置かれた巨大な円卓には、40名近くもの人がずらりと宅を囲むようにして座っている。その中で起立している一人、赤金班班長の赤金創一郎(あかがね そういちろう)が、黒縁眼鏡を押し上げながら資料を読み上げる。腰に納めた刀の柄が鋭く光る。
「ただ一つの共通点は、犯行現場近くに残された“LIVING DEAD”の血文字。しかもその血は皆、暴人特有の墨色の血液によって書かれている。被害者は暴人化していない一般市民であり、メッセージは犯人が暴人の血を用いて現場に残したものと考えられる。また、犯行は都内だけでなく全国各地で行われており、模倣犯の可能性も視野に入れるが……同一グループによる犯行の可能性が高い」
赤金はそう言い終わると、気だるげな表情で資料を読む警官、安田の方を見た。
「安田班は先日の事件の現場を担当したそうですが。なにか報告は?」
赤金に指摘された安田は、首の後ろを擦りながら少し考え、ガサついた低い声で言った。
「特に無ぇな。メッセージが書かれる場所自体には規則性が無いってことくらいだ。報告は以上」
「ふむ……では次、蛭間班。ノト特任警部とミフネ特任警部補佐の出張の報告を」
赤金は向きを変え、蛭間の方を見る。椅子に寄りかかり、足を組みながら知恵の輪を弄る蛭間は、組んでいた足を解いて話し始めた。
「博多で例の事件が起きた直後だったため、彼らもかなり厳重にパトロールしたそうなのですが、幸い新規の被害者は出ませんでした。最初に博多で起きた殺人事件の現場を検証して、後はパトロールと過去の事件資料を漁ったそうです。報告は以上」
蛭間が言い終わるや否や、腕組みをしながら椅子に座っていた大柄な男が、野太い声を張り上げた。百目鬼班班長、百目鬼徳馬(どうめき とくま)である。
「なんだと!?二週間も博多まで何しに行っていたんだ!!」
にこにこと目を細めながら、蛭間は答える。ガチャガチャと音を立てて、未だに知恵の輪を弄り回している。
「私に言われても困ります。特殊対策班ができる仕事はせいぜいそれぐらいだということですよ。文句があるなら私ではなく、上層部に言えば良いのでは?」
「なんだその言い方は!!」
「会議中はお静かに」
激昂する百目鬼と、笑顔でひらりとかわす蛭間をよそに、赤金は表情一つ変えずに中指でメガネを押し上げた。
「……確かに、わざわざあの二人を二週間も出張に行かせる意義は、あまり無いように感じられる。ちょうどあの時期は福岡で祭りが行われていたことも考えると、調査と銘打ってパトロールの人手不足に貢献したと言ったところか。上層部の考えは相変わらず読めん」
百目鬼は、高圧的な表情で拳を作りながら蛭間を怒鳴る。
「では例の連続殺人事件の手がかりは、全く掴めなかったということか!!」
「全く、というのは少し誤解があるかもしれませんね」
蛭間の言葉に、安田が眉を上げた。顎に生えた無精髭を掻く。
「ん?蛭間、どういうことだそれ」
「出張帰りの彼と話した際、少し話されていたんですが。これは彼が……ミフネ君が立てた仮説に過ぎないのですが」
蛭間は音を立てて弄っていた知恵の輪を、静かに捻った。
「犯人は、どこからか入手してきた暴人の血を用いてメッセージを残した。それが今まで、我々が信じて疑わなかった仮説です。しかしその仮説では、犯人がどのようにして暴人の血を入手したのかも、メッセージの意味も謎のまま」
室内の班長全員が蛭間に視線を送る中、蛭間は一つの知恵の輪に視線を注ぐ。
「しかしもしも……」
絡み合う2つのパーツの一部を掴み、角度を変えて捻る。音もなく、すんなりと二つのパーツが分解された。
「犯人が暴人の血を用いてメッセージを書いたのではなく、『暴人である犯人が自身の血を用いて』メッセージを残したなら?」
その一言に、会議室全体がざわついた。
「な、何を言っているんだ貴様は!?」
百目鬼は立ち上がり、割れそうな勢いで机を叩いた。
「暴人には理性が無いのよ。意味のある文字を残すことなんて不可能じゃないかしら」
高い位置で結わえた黒髪を揺らしながら、黒川班班長、黒川椿(くろかわ つばき)が口を開いた。平静を装っているものの、瞳には動揺の色が浮かんでいる。
「確かに致命傷であれば一時的に暴人は理性は取り戻す。が、犯行現場にもその周辺にも、暴人がいた痕跡は見つかってない」
表情を変えずに淡々と話す赤金も、眉間には僅かにシワが寄っている。蛭間は金色の瞳を瞬かせて続けた。分解した知恵の輪はいつの間にか元に戻っていた。
「ではもしも、理性を持ち続けられる暴人がいたとしたら?LIVING DEAD──『生ける屍』は、そんな彼ら自身を指し示す言葉だと。……どうでしょう、妙に合点が行くと思いませんか」
先ほどまでざわついていた会議室が、不気味なほど静まり返った。赤金、安田、黒川は信じられないといった様子で疑いつつも、胃の底からじわりと這い上がるような得体の知れない恐怖に言葉を失っていた。
「貴様、さっきから勝手なことばかり……!」
今にも食ってかかりそうな勢いの百目鬼に向かって、蛭間は知恵の輪を机の上で滑らせて渡した。
「言ったじゃないですか。あくまで彼が立てた、仮説に過ぎないって」
蛭間要は金色の目を細めて屈託なく笑った。
* * *
「っくしゅん!!!!」
「ミフネさん、私よりくしゃみ上品なのやめてくれない〜?」
「そ、そう言われましても……。ああっ、ノトさん!それは壊してはいけない壁ですよ」
班長の帰りを待つ蛭間特殊対策班のオフィスは、いつもより賑やかだった。
何気なく見た窓の外に立ちこめる不穏な雲を見た真実也は、なぜだか少しの寒気を覚えていた。
BLACK OUT~蛭間特殊対策班~
Sample:05 『生ける屍』
END
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