Sample:04 『ロリポップ・トリガー』


~用語解説~



【暴人(ぼうと)】

人間の体内に潜伏する細胞(M細胞)の爆発的な増殖により、理性を失い凶暴化した人々。その現象は「暴人化」と称される。


【M細胞】

暴人化の原因になる、人間の身体中に微量に点在している細胞。別名「潜伏性狂気細胞」。一度分裂を起こすと爆発的に増殖する性質があり、体内の細胞をも喰らい尽くしやがて死に至らしめる。分裂の原因は未だ解明されていない。


~組織・人物紹介~


【特殊対策班】

警視庁公安部 暴人課に属する組織。基本4~6人の班で捜査をする。暴人の周囲の人々の安全確保と共に、暴人の“解放”を目的としている。近年、とある事件がきっかけで、特殊対策班の班員は皆「非潜伏者」のみに絞るよう徹底されている。


【真実也 基 (まみや はじめ) 巡査】

警視庁公安部 暴人課 特殊対策班の新米警官。

自分で弁当を作って持ってきている。


【蛭間 要(ひるま かなめ)警部補】

蛭間特殊対策班 班長。物腰柔らかで掴みどころのない性格。目を細めて常ににこにことしている。卵焼きは甘くない派。


【花園 みちる(はなぞの みちる)巡査】

蛭間特殊対策班の新米警官。射撃の名手。鋭いツリ目がコンプレックス。




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 ふわりと巻いたラムネ色の髪にシトラスのトワレ。唇に乗ってぷるりと輝く、お気に入りのティントリップ。目尻に強く引いたタレ目のアイラインと、昨日サロンで注文したマーガレットのネイルは、見るだけで気分が華やぐ。


《それでは星座占い、九位から十一位の発表〜》


 テレビから流れる陽気なアナウンサーの声を聴きながら、短く切りそろえられた前髪を鏡の前で整えている。姿見に写る自分自身と目が合った花園みちるは、自信たっぷりに微笑んだ。白いリボンのピアスがゆらりと揺れる。


《第十位は……さそり座のあなた!時間にルーズになりがちかも?時計を気にして行動してみて》


「うそぉ、十位?」


 気がつくと自身の星座の順位に不服そうに耳を傾けていたみちるは、ふと鏡越しに映る壁掛け時計に視線を送り、思わず二度見をした。


「あっいけない!遅刻かも」


 キラキラとした乙女の朝が、壁掛け時計の針の角度で一変する。花園みちるはスプレーや櫛を元の場所に戻すと、ドレッサーの上に置かれた愛銃を花柄のケースに収めた。


《最下位は……ごめんなさい、かに座のあなた!道に迷ってしまうかも?慎重に行動するのが吉!それではこのあと一位の発表です──》


「ハジメちゃんに怒られる〜」


 テレビの画面を見ずに器用にリモコンのスイッチをオフにしたみちるは、急いで玄関に向かった。乱雑に玄関に放り出されていた六センチの黒いハイヒールをかき集めて履くと同時に、自身の上半身を覆うほどの大きさのガンケースを背負い直して部屋を後にした。ヒール音が派手に音を立てた。



『BLACK OUT~蛭間特殊対策班~』




Sample:04


「ロリポップ・トリガー」





「ね、もしかしてセーフ?」

「アウトだ。君は何回遅刻したら気が済むんだ?」

「今日で何回目だっけ」

「七回目だ」


 蛭間班のオフィスの入口前で、真実也基は仁王立ちをして待ち構えていた。肩で息をしつつも顔を上げ「えへへ」と屈託のない笑顔で謝るみちるに、真実也は最初こそ憤っていたものの、やがて呆れたようにため息をつく。


「朝礼の開始時刻が十五分押してる、急ごう」

「はぁい」


 みちるは真実也の背中を追うように、オフィスへ入っていった。


「遅れてごめんね〜」


 両手を擦り合わせながらみちるは入室すると、部屋の最奥のデスクで足を組んで座っている班長・蛭間要が顔を傾けてにこりと微笑んだ。オフィスは部屋の奥にある班長デスクの他に、中央に四つの班員デスクが二つずつ向き合う形で並べられている。しかしいつも右奥側の二席だけは、物は置いてあるものの空席だった。みちるはオフィスに入室するたびに、この寂しく空いた二つの席が気になってしまうのである。


「遅刻と分かっていながらも尚急ごうとするその姿勢、私は褒めたいですけどねぇ」

「班長が甘やかしてどうするんですか」


 解く気の無い知恵の輪をガチャガチャと弄んでいる蛭間を、真実也は一喝する。蛭間は真実也を宥めつつも、反応を楽しんでいるように笑っている。蛭間は警察学校の教官とは違い、大声で叱らないところがみちるは好きだった。


「まぁ、ちるちるが遅刻をしてくることは想定済みなので、あえて早めの集合時間を設定しておきました。なので支障はそれほどありませんよ」

「にしてもさぁひるるん、なんで今日こんなに早いの?まだ七時だよ?」

「ふふ。まだ皆さんにお伝えしていませんでしたね」


 デスクに座り両手で頬杖をつくみちるに、蛭間は目を細めて微笑んだ。真実也は振り返って後方の席のみちると顔を見合わせると、とっさに嫌な予感がし、勢いよく蛭間に向き直った。蛭間は手元の資料をひらりと裏返し、ビッグニュース、と言わんばかりにみちるや真実也に向けて掲げた。


「じゃあん。今日はみんな大好き、日直警邏の担当日でした」


『日直警邏』。資料の見出しに書かれた四字熟語が目に入った瞬間、真実也は声を上げて勢いよく立ち上がった。


「日直警邏!」

「にっちょくけーら?」

「ええ。日直警邏」


 真実也、みちる、蛭間の順に、同じ言葉を反芻する。


「担当日でしたって……ど、どうしてそんな大事な予定を、当日に知らせるんですか?!」

「おや?その方がサプライズ感が出ると思ったのですが」


 悪びれる様子もなく小首をかしげる蛭間に愕然とした真実也は、胸の前で自身の拳をわなわなと震わせている。


「旅行じゃないんですよ……!」

「にっちょくけーらって。なにそれ?」


 一人だけキョトンと目を瞬かせて座っているみちるに、真実也は向き直って言った。必死で平静を取り戻そうとしているが、動揺で未だに声は震えている。


「特殊対策班には、『暴人の“解放”』『暴人の周囲の人々の安全確保』の他に、実はもう一つ職務がある。それがこの『日直警邏』だ。数万単位の大人数が予想されるイベントや、政府指定の大規模施設に日替わりで特殊対策班が警邏につくことで、万が一その中で市民が暴人化しても素早く対応できるようにするためのものだ」

「一日パトロールをするってこと?」

「その通り」


 真実也の代わりに蛭間はそう返事をして立ち上がると、傍に掛けてあった黒のジャケットを羽織った。蛭間の羽織っている上着はいつも動く度にガチャガチャと鈍い音がするが、中には一体何がしまってあるのだろうとみちるはいつも不思議に思っていた。


「真実也君やちるちるは初めてですから、緊張するのも無理はありませんよ。かく言う私も、今回の場所は初めてなので緊張していますが」

「どこの現場に行くのー?」


 みちるが尋ねると、蛭間はジャケットの内ポケットを探って何かを取りだし、チラシのようなものをホワイトボードに貼った。


「夢と希望の王国、デバニーランドです」



「デバニーランドの一日における来客……来"国"者数は、およそ六万人と言われています。人口密度が高い分、暴人による被害も大きいと予想されますので、決して気を抜かず、特殊対策班として厳重な警備に務めてください」


 移動する車内で、真実也は向かい側に座る蛭間要に眉をひそめた。その理由は他でもなく、目の前にうさぎ型の奇抜なレンズのサングラスをかけ、にんじん型のファンシーなデザインのポップコーンバケットを首から提げた班長・蛭間の姿があったからであった。


「かわいい〜、私もつけたいな!」

「そこの段ボールに入っているので、好きなのを使ってください」

「パーク内で買うのはダメなの?」

「ポップコーンなどの飲食物の調達なら現地で可能ですが、アクセサリーはここにあるもので我慢してください」


 デバニーランドに行くと知ってから、みちるのテンションは上がりっぱなしだった。うきうきと肩を弾ませ鼻歌を歌いながら、段ボールに入ったグッズを物色する。


「どういうつもりですか」

「おや。はやく取らないと、ちるちるに良いものを取られてしまいますよ」

「そういうことではなく!僕たち、遊びに行くわけではないんですから……」


 不審そうに目を細めながら真実也がそう言うと、蛭間はポップコーンバケットの蓋を開け閉めしながら答えた。


「確かに、私たちは警備目的でデバニーランドに行きます。しかし真実也君。私たち、全身黒スーツのままでは些か威圧感があると思いませんか?我々の警備はあくまで潜入的に行われますから、市民に緊張感を与えず、その場に溶け込む必要があります。ですので、これはれっきとした“変装”です」

「変装……?」

「ええ。立派な職務ですよ」



 蛭間は段ボールの中から適当に一つアクセサリーを取り出すと、そのまま真実也に手渡した。黒い垂れ耳の犬のカチューシャを手渡された真実也は、しばらく真剣に考え込むように俯いた。数秒の沈黙の後、パッと顔を上げて手渡されたカチューシャを受け取る。


「なるほど!」

「いやあ、理解力が高くて助かります」

「私、ティファニーちゃんのカチューシャにする〜っ」


 目当てのアクセサリーを見つけたみちるは、鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気でカチューシャを自身の頭に装着した。デバニーランドの王女・ティファニーを模した、小さな赤いベルベットの王冠とうさ耳のついたカチューシャだった。


「ちるちるはティファニーラビットが好きなんですか」

「うん!憧れる〜。可愛いのに強いってすごくかっこよくない?デバニーランドのお城に実物大の王冠があるんだけど、それも超可愛いんだよね!あ〜あ、一度でいいからつけてみたい〜」

「王冠なんて一般人が付けれるものじゃない。諦めた方がいい」

「何よ〜。ほんと夢がないんだから」

「ふふ。真実也くんらしいね」


 みちると真実也の会話を微笑ましげに見守っていた蛭間は、ポップコーンバケットを座席に退かし、代わりに一つのアタッシュケースを自身の膝の上に置いた。硬く絞められた黒いプラスチック製のケースを開けると、人数分のワイヤレスインカム、ガンタイプの白い小型機器が顔を出した。


「さて、雑談はこの辺にして。本日の任務にあたって、皆さんに支給するものがあります」


 ワイヤレスインカムを一つつまみ上げた蛭間は口を開く。


「まずは連絡用のインカム。当然ですが、現地では三人ばらばらに行動します」

「えっ?みんなと一緒じゃないの?」


 みちるが子どものように声を上げると、隣に座る真実也は口を堅く結んで答えた。


「当然だ、僕たちは警備に来ているんだから」

「う〜ん……そっかあ……」


 遊びじゃないんだぞ。そう言う真実也に肩を落としたみちるは、口を尖らせながら座席にもたれた。それを見た蛭間は、眉を下げて微笑みかける。


「園内の職員とも繋がっているので、何かあったらすぐに情報が入ってきます」


 蛭間はアタッシュケースを二人の方に差し出し、インカムを取るように促した。二人が一組ずつ手に取るのを確認すると、もう一つの器具を取り出す。


 「それと、携帯型規制機器。これは皆さんも警察学校で使い方を習ったと思います」


 携帯型規制機器と呼ばれる、プラスチックでできたガンタイプの機械を一つ手に取ると、蛭間は電源を入れた。電子音と共にランプが着き、銃口を向けた先に赤いポインターの光がつく。


「おさらいをしましょう。規制機器の使い道は三点。一つ目は規制線の設置」


 蛭間は車内の端でトリガーを引き、少し離れたところでもう一度引いた。警告音のような電子音声と共に「KEEPOUT」と書かれた黄色の規制線が、デジタルのホログラフィのような形で映し出される。何度見ても、どういう原理で映し出されているのか分からないなと、真実也は小さく揺れるデジタル規制線を眺めた。


「二つ目は、避難経路の設定」


 ボタンを押してモードを切り替えると、蛭間は銃口を車の出入口ドアに向けて撃った。


「きゃ!」


《非常口はこちら。落ちついて避難してください》という音声ガイドが大音量で繰り返し流れ、「避難経路」のグラフィックが映し出された。真実也とみちるはその大音量に思わず耳を塞ぐ。蛭間はその様子を見て愉快そうに微笑むと、規制機器の持ち手の側面にあるスイッチを押した。


「三つ目は、暴人の一時的拘束。必ず膝から下を狙うようにしましょう」


 最後に蛭間は、向かいに座る真実也の脛を目掛けて躊躇いなくトリガーを引いた。


「うわっ」


 規制機器の銃口から緩い粘土のようなものが射出されたと思うと、真実也の右足に勢いよくくっついた。柔らかかったはずの粘土質の白い物体は重力である程度弛むと、たちまち硬化し鉄の塊程の重みになった。真実也が足を持ち上げようとしても、右足は地面についたままびくともしない。


「普通の人間ならば手で簡単に剥がせますが、理性の無い暴人の足止めには効果的です。一般市民に危害を加える前に拘束してしまいましょう」

「わざわざ僕に向けて実演しなくても」

「その方がわかりやすいでしょう。さて、これで説明は以上です。各自一組ずつ持っていてください」


 蛭間が規制機器の電源を切ると、規制線のグラフィックも、大音量で流れるアナウンスも消えた。真実也は少し不満げに、右足に着いて固まっている物質を引き剥がす。硬くて重い物質だが、指に力を入れると簡単に割れて崩れた。警察学校でも経験したが、これが一体なんの物質で、どういう原理で固まり重くなっているのかは一切不明である。


「ああ、ちなみに。武器は君たちがいつも使っているもので結構ですよ」

「えっ、それって私のドーベルちゃんも?」

「ドーベルチャン?」


 カタコトの発音で首を傾げる真実也に、みちるは座席に立てかけてある花柄のケースをぽんと愛でるように撫でた。未だ眉根を潜めている真実也に説明するように、空のアタッシュケースをしまった蛭間が腕を組みながら口を開いた。


「AGE1900_M79。通称、“DOBER”。ちるちるの使っている中~遠距離用のアサルトライフルですよ」

「軽くて反動も少ないのに、600m先まで弾が届くんだよ!超〜すごくない?」


 目を輝かせてケースに頬擦りするみちるとは対照的に、真実也は驚いたように目を見開き首を横に振った。


「アサルトライフルなんて持って歩いたら、それこそ一般市民に警戒されてしまう」

「えぇっ、だめ?」


 当たり前だ。そう言いたげに深く頷いた真実也は、共感を得るために向かいに座る蛭間に視線を向けた。しかし蛭間は首を傾け、軽い調子で答えた。


「いいんじゃないですか。ケースに入れたらギターか何か背負ってるように見えますし」

「え……」

「やったぁ〜」


 午前九時。三人を乗せた車は、デバニーランドの関係者駐車場にて停車した。




 ーむかしむかし、デバニーラビットは法律で国を治めていました。しかし軍を率いる才能が無かったデバニーは戦争で負け続け、国は存亡の危機に陥りました。

 ーある時デバニーは、ティファニーと呼ばれる一羽のラビットと恋に落ちました。ティファニー・ラビットはとびきり可愛く、聡明で、とても強いラビットでした。そうであると同時に、ティファニーは軍事で国を治める一国の女王だったのです。

 ーある時ティファニーは言いました。「法を治めるあなたと、軍を動かす私で一つの国を作ればいいのだわ!」こうして恋に落ちた二羽のラビッツは永遠の愛を誓うと手を取り合い、ジャンケンで勝ったデバニーから名前を取り、「デバニー王国」という名の一つの国を作りました。


『ヤッホーイッ!オイラの名前はデバニーラビット!デバニー王国の王さまだよッ!こッちは王女のティファニーッ!とッても、と〜ッても強いんだ!』

『フフフ!デバニーランドへようこそ!たくさんたくさん、楽しんでいってくださいな!』


 夢と希望の絶対王政、デバニーランド。デバニーランドの来客は皆、国王であるデバニー・ラビットとティファニー・ラビットの招待の元、入国許可書という名の入場パスポートを持って”入国”する必要がある。入場ゲートの入口では、歯の出た二羽のうさぎのアニメーションが陽気な音楽と共に流れている。デバニーランドの法を司る国王であり、知る人ぞ知る国民的キャラクター、デバニー・ラビット。時刻は午前十時を迎え、開園時間前から並んでいた人々が次々とゲートをくぐり、デバニーランドへ“入国”する。


「一名様でのご入国ですね?」

「ええ」


 入国審査官風の格好をした職員が、笑顔でチケットを受け取る。チケットと重ねて渡された警察手帳を確認した職員はその人物と目を合わせると、にこりと微笑んだ。


「素敵なサングラスですね!デバニーランドへようこそ」

「ありがとう」


 印が押され返されたパスポート風のチケットと手帳を受け取り、その人物は奇抜なデバニーサングラスを引き上げて静かに礼を言った。細められた金色の瞳が覗く。


「まぁ、スーツ姿のかわいいわんちゃん!デバニーランドへようこそ」

「は、はい!失礼します」


 別のゲートでは、デバニーランドの看板犬、垂れ耳犬のホットドッグのカチューシャをしたスーツ姿の青年が、びし、と音が鳴るほどの敬礼をしながらゲートをくぐった。周囲から笑いが沸き起こり、青年は何事かと困惑する。


「おはようございます、ティファニー王女と見まごうほど麗しいですね!デバニーランドへようこそ!」

「うふふ、ありがとう〜!」


 また別のゲートでは、小さな王冠とうさ耳のついたティファニーのカチューシャをしたラムネ色の髪の女性が愛想の良い笑みを浮かべ、入国審査官に手を振りながらゲートをくぐった。


「皆さん、ゲートをくぐりましたか?」


 ザザ、と入ったノイズの後に、蛭間の声が続く。三人は足を止めることなく、インカムを手で押えながら人混みの中を進み続ける。


「はい!」

「オッケーだよ」

「それではこれより日直警邏を開始します。各自エリアに分散してください」


* * *


 デバニーランドは平日にも関わらず人で溢れかえっていた。家族連れや若いカップル、カメラを持って景色を撮る人など、様々な目的でデバニーランドを楽しんでいた。その様子を、花園みちるはベンチに座り眺めていた。うさぎの形をしていたラムネアイスは、既に両耳がかじり取られてうさぎの形を成していない。アイスを持っていないもう片方の手には、先ほど乗ったシューティングアトラクションの最高得点記念で渡された、金のメダルが握られている。


「はぁ〜、つ〜ま〜ん〜な〜い〜」


 みちるは大きく伸びをして、アイスを一口かじる。ラムネがぱちぱちと口の中で弾ける楽しさも、どこか味気なく感じる。


「うるさい、花園。筒抜けだ」


 みちるのインカムから真実也の声が聞こえてくる。ガサゴソ、と忙しなく聞こえる雑音にみちるは顔をしかめた。


「だって退屈なんだもん……ねぇハジメちゃんさぁ、今どこにいるの?ガサガサうるさいんだけど」

「どこかって?ええと……海が見える」

「海なんてどこからでも見えるよぉ」

「じゃあ……。木がある」

「木もそこらじゅうに植えてあるってばぁ。そうじゃなくって、どのエリアのどこにいるのって話〜」


 真実也は指摘されると、うっと息を詰まらせた。持っていた地図を先程から何回も回して読んでいるが、ここがどこなのかさっぱり分からなかった。分かっていることといえば、ここが地下の洞窟らしき場所であること、そしてその中に何故か南国の風景が広がっているくらいだった。


「僕は今は……海と木が見える洞窟にいる」

「マジでどこなの〜?」

「どうやら真実也君は、迷子のようですね」


 ノイズの後静かに混ざってきた声に、みちるは声を上げた。


「ひるるんだぁ」

「蛭間班長!すみません、私語は慎みます」

「きちんと仕事をこなしているのなら、私は文句は言いませんよ。真実也君はとりあえず、近くの人に道を聞いて地上へ出てきてください。あと地図は回さずに、普通に読むことをおすすめします」


 蛭間は高台から行き交う群衆を眺めながら言った。追加で買った二つのポップコーンバケットのうち一つを開けて、中身のポップコーンを一つ手に取り口に入れる。


「では引き続き、警邏を続けてください。……おや、もうすぐショーが始まるみたいですね。私の担当エリアは人が集まりやすくなるので、私はこれで」

「は、はい!」


 そう言って、蛭間は自身のインカムのマイクを切った。


「僕も切るぞ。花園もマイクを切って、任務に集中するんだ」

「わかったわかった」



 真実也もそれに習い、マイクをオフにする。園内の曲と人の話し声だけになり、みちるはため息をついて肩を落とした。顔を上げると、人々が皆ショーの開催されるエリアへ向かって歩いていく。先程まで空の真上にあった太陽も、いつの間にか随分と傾き始めていたようだ。


「ティファニーちゃん、可愛い〜」


 ティファニー・ラビットをモチーフにしたこのエリアは、ビビットピンクを基調にしたミリタリー調の世界観が人気のエリアである。敬礼をするティファニーの銅像を前に、複数名の女子高生がスマホカメラで像を撮影していた。銅像にはスピーカーが内蔵されているのか、人が近づくとティファニー・ラビットの音声が再生される。


『恋は戦争よ!女の子はとびきり可愛く、何より強くないとね』

「……私もそう思う」


 みちるは数秒間隔で繰り返される音声を心の中で反芻しながら、自分にしか聞こえない小さな声で呟いた。

 

「お姉ちゃんはやくはやく、ショー始まっちゃうよー!」

「けんた!もう、走っちゃだめったら」


 目の前を通り過ぎた、元気よく声を上げて走る幼い少年に目がいった。四人の家族連れだった。幼い少年を追いかけるように、姉と思わしき少女が注意をしながら弟の手を引き戻すのを、両親が微笑ましく顔を合わせて笑う。怒られながらも声を立てて楽しそうに笑う少年の無邪気な表情に、みちるはいつの間にか釘付けになっていた。


「……あ〜っ!」


 すっかり溶けてしまった残りのアイスが棒から落ちてようやく、みちるは声を上げて立ち上がったのだった。



 ショーの時間になると、城の中には数える程しか人がいなかった。みちるがふらりと立ち寄ったデバニーランドの城内部は広々としており、部屋の奥には豪華な玉座と、ガラスケースに入った王冠が飾られていた。王冠の美しさに、みちるは引き寄せられる。


《ティファニー女王はとびきりかわいくて、とッてもとッても強いんだ!国のみんなを守ッてくれる!》

《かッこいい女王様なんだ〜ッ》


 ガラスケースに近づくと、デバニーとデバニー王国の民衆の音声が流れた。豪華な金の冠に、深紅のベルベット。照明を受けて乱反射する宝石の美しさに、みちるのレモン色の瞳は輝いた。


「あのすみません!ここはどこですか!!」

「ぎゃっ!何アンタ!?」


 突如、大きなハキハキとした声と共にぬ、と後ろから肩を掴まれる。みちるは大きな声を上げて驚き、反射的に相手の胸ぐらを掴んだ。見上げると、相手は髪の毛に蜘蛛の糸やら葉が絡み付き、ぼさぼさになった真実也基だった。カチューシャはどこかに落としたのか、付けていない。真実也は酷く怯えた表情だったが、みちるに気がつくと目を見開いた。


「は、花園……!?」

「あれぇ、ハジメちゃん?んもう、急に女の子の肩掴むなんて非常識なんだから!」

「げほ、急に人の胸ぐらを掴むのもどうかと思う……というか、ここは……?」


 真実也は乱れたネクタイを直してから周囲を見渡した。


「デバニーランドのお城の中だよ。……ハジメちゃん、聞いてる?」


 ある一点を見つめて返答しない真実也の顔を、みちるは覗き込んだ。訝しげな真実也の視線の先を辿ると、階段を降りた先に男が一人、蹲っていた。


「具合が悪いのか?見て来る」

「え?ちょっと……」


 みちるが言い終わる前に、真実也は階段を降りて男に駆け寄っていってしまった。一言も発さないその男の背中を静かに上下させている。「大丈夫ですか?」と声をかけた真実也が男の背中をさするものの、返事はない。真実也はみちるの方を振り返り、心配そうに眉を下げた。


「あ……」


 みちるは、真実也がこちらを向いている間に男が大きく深呼吸したのを見逃さなかった。肩で大きく一息ついた拍子に、白い蒸気のようなものが上がる。


「危ない、ハジメちゃん」


 次の瞬間だった。男は奇声を上げながら腕を大きく振りかぶり、真実也に向かって手を振り下ろした。すんでのところで後ろに身を引いた真実也だったが、左頬に血の筋ができる。


「暴人……」


 重力に沿って垂れる血を拭いながら真実也は立ち上がり、後ずさる。城内に残っていた数人の客は男の奇声を聴くなり、パニックに陥いり口々に声を上げた。暴人である男の四角い黒縁メガネの奥からは、真っ黒に塗りつぶされた瞳が覗いている。真実也は短く息を吐いて上がる心拍数と高速で回る思考回路を整理すると、インカムのマイクのスイッチを入れた。


「こちら真実也基巡査、城内部にて暴人発生!花園みちる巡査と共に市民の安全確保並びに暴人の“解放”を行います」


 インカム越しに連絡をとった真実也は上着のポケットから携帯型規制機器を取りだし、城の出口上に向けてポインターを合わせ、トリガーを引いた。「避難経路」と描かれたグラフィックが映し出され、城全体に響き渡る音量で警告アナウンスが繰り返し流れだす。人が少なかったことが幸いして、客は押し合うことなくスムーズに城の外へ出ていった。


「この暴人、速い。ハジメちゃんはそのまま避難場所確保して!私がやる」

「で、でも」


 暴人から半径二メートルにも満たない距離にいる真実也に対して、みちるは玉座に続く階段を登った先に立っている。規制機器で手が埋まっているにしても、暴人から最も近い自分が撃った方が良いだろう。ほんの一瞬、真実也は戸惑い視線を右往左往させる。


「怖いよお!」


 その時。騒然とした場内の雰囲気と暴人の奇声で恐怖を覚えたのか、親に手を引かれながら出口を目指していた一人の少年が、涙を流しながら声を張り上げた。その声に反応した暴人はとてつもない速さで少年の方に頭を振ると、手を伸ばして床を蹴る。速い、間に合わない。今まで会った暴人とは比べ物にならないほどの素早さに、真実也は動揺する。銃を取り出そうとジャケットの内ポケットに手をかけた。体勢を崩しながら構わず突撃する暴人に、少年の母親は咄嗟に我が子を覆うように抱き抱えると、身を強張らせてその場で蹲った。今自分が撃たなければ、あの親子は助からない。真実也の心臓が音を立てて跳ね上がる。母親は、力強く目を瞑った。


「よそ見してんじゃないわよ」


 焦って引き金を引こうとした真実也は、がなるような誰かの声と、金具が弾けるような高い音に動きを止めた。暴人がよろめき、時間差で割れた眼鏡が床に落ちる。


「な、なんだ……?」


 銃弾によって左側の丁番部分が大破している以外、眼鏡に損傷は見られなかった。銃弾が外れて眼鏡に当たったのではない。丁番部分を狙って"当てた"のだ。そう感じた真実也は、がなり声の主のいる方に恐る恐る視線を移した。


「私が相手だって言ってんの。聞こえなかった?」


 真実也は、一瞬誰かと疑った。階段の先に立っていたのは、いつもの彼女とは想像がつかないつり上がった目と鋭い殺気を放った、花園みちるだった。構えていた対暴人用アサルトライフル・ドーベルから顔を離したみちるは、表情からして激怒しているのが伺え、真実也は思わず身をすくめる。みちるの声に反応した暴人は親子たちに目もくれることなく、今度はみちるに体を向けると、喉が切れるような奇声を上げて駆け出した。みちるに向かって走り出した暴人は玉座に続く階段に足を踏み入れると躓き、前のめりに倒れ込む。しかし構わず四つん這いの体勢に立て直すと、バタバタと音を立てて階段を駆け上がっていった。


 みちるは頭を振って顔にかかった髪を鬱陶しそうにどかしながら一歩下がり、落ち着いた様子で暴人を待ち構えている。駆け上ってきた暴人が闇雲に腕を振るうと、拳は王冠の入ったガラスケースを突き破り、音を立てて盛大に割れた。飛び散るガラスと照明が反射してキラキラと光って、王冠が転げ落ちた。唸り声を上げ、大きな隙を見せた暴人にみちるは近づくと、よろけて頭を垂らす暴人の顔面に目掛けてライフルの柄を振り上げた。


 暴人は背中から階段に突き落とされた。みちるは、ガチャリ、とリロード音を響かせながらドーベルを構えると、小さくつぶやいた。


「可哀想だけど……あんた達の好き勝手にはさせないんだから」


 間髪入れることなく銃声が城内に響き渡ったかと思えば、暴人はそのまま仰向けで床に叩き落とされた。

 


《非常口はこちら。落ちついて避難してください》


 繰り返される警告アナウンスだけが、場内に響き渡る。真実也はゆっくりと規制機器の電源を切った。市民は皆無事に避難しており、城内には真実也とみちる、そして両目を綺麗に撃ち抜かれ墨色の血を流して息絶えている、暴人だけが残っていた。暴人に近づいた真実也は取り乱しつつも、インカムのマイクに電源を入れる。


「こ、こちら真実也基巡査」


 真実也基はみちるの方を見る。彼女は何も言わずに踵を返すと、床に落ちた王冠を拾い上げ、ヒールの音を響かせながら玉座に向かって歩いていった。付けていたカチューシャを外してから玉座に足を組んで深く腰をかける。


「花園みちる巡査により、暴人を“解放”しました」


 王冠についたガラスの破片を払ってから、みちるはそれを自身の頭にそっと乗せてみせた。


「こんなところで夢が叶うなんてね」


 自嘲気味に笑って、みちるは破片の飛んだ自身の髪を指で梳いて整える。いつもの癖で爪を見たみちるは、あることに気がついて目を見開いた。


「怪我は無いか?」


 蛭間への報告を終えてインカムの電源を切った真実也は出口に規制線を張ったあと、遠慮がちにみちるに近づいた。


「ないけど……」


 俯いていたみちるは真実也を見上げると、眉を八の字にして爪を見せた。マーガレットをあしらったネイルが、中指だけ割れてしまっていた。


「最悪。ネイル取れた」



* *  *



「被害もゼロ、暴人も瞬殺。感心感心。優秀な部下を持てて蛭間は幸せです」

「人が少なかったのが幸いでした」


 日直警邏終了後、蛭間班のオフィスで、蛭間と真実也はデスクに腰をかけて資料の整理をしていた。資料をまとめてホチキスで留め終えた真実也は手を止める。


「……花園は、暴人の両目を躊躇なく撃ち抜いていました」

「暴人の死体から拝見しましたよ。あれは見事でしたね」

「彼女は……“解放”に対して抵抗が無いように思えました」


 そう言う真実也の様子を、蛭間は前髪の下から覗いて口角を上げた。


「抵抗が無い、か。ふふ、どうだろうね?」

「どういうことです?」


 愛銃の手入れをする蛭間は目を伏せると、静かに口を開いた。


「私はね、彼女は何か……強い信念のようなものを持っているような気がするんだ」

「信念?」

「まあ、私の推測だけどね」


 そう言って蛭間は飴を放り投げた。真実也はそれを両手でキャッチする。


「そういえば、彼女はどこに?」

「彼女はもう上がったよ。お気に入りのネイルが取れて、相当堪えたみたいだね」

「なんですか、それ」

「ふふ。女の子は大変さ」



「はづき、入るよ?」


 夕方の病室。みちるはノックをしてから中に入った。ベッドに近づくと、近くのテーブルに一つ花が置いてあることに気づく。みちるは椅子に座ると、大きく伸びをした。ベッドには酸素マスクを付けた少年が眠っている。


「あ〜あ、超疲れた!私今日ね、仕事でデバニーランドに行ってきたよ」


 返事は無い。一呼吸置いて、みちるは持ってきた紙袋から手のひらサイズのぬいぐるみを取りだすと、再び口を開いた。


「これお土産。ねえ、可愛いでしょ。ここに置いておくね?」


 ぬいぐるみをテーブルに置いてから、みちるは少年の顔にかかった前髪をそっとどかして小声で呟いた。


「私、暴人を倒す仕事してるんだ。はづきみたいな辛い思いをする子を、少しでも減らせるように。私も……あらたお姉ちゃんみたいになれるといいなぁ。……あの時はづきと一緒にいたのが、あらたお姉ちゃんだったら……」


 みちるは俯き、膝に置いた拳を強く握った。唇を噛み、無理やり笑顔を作る。


「ううん。ごめんね!もっと楽しい話しよっか。眩しいからカーテン閉めるねっ」


 みちるは病室に差し込んだ西陽を遮るように、病室のカーテンをしめた。


「花園 はづき」病室の入口のプレートにはそう記されていた。






BLACK OUT~蛭間特殊対策班~

Sample:04 『ロリポップ・トリガー』


END.

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