第16話 最後の言葉

 とっさに理解した。きっと、この時のために私はここにいるのだと。


 ドラゴンは大きな口を開けて、気味の悪い真っ黒な炎を口の中に淡く溜めている。山頂側を見上げる、ブレスを吐こうとするドラゴンまで百歩程度ある。


 更に上空だ、まったく間に合わない。


 このままブレスを吐かれたらどうなる、後のドラゴンに挟撃されるかも知れない。やつらも捨て身の作戦だろうか、三匹のドラゴン諸共ブレスでなぎ払われても危険だ。


 我々全員の致命傷になる。もう辺りには、真っ黒な線が沢山見えていた。


 あの日、剣士が教えてくれた秘密の言葉は二つあった。だから、今は迷いなく二つ目を唱えた。


「眼前には強大なる敵、ここは生と死の境界」


 誰かが言っていた、これは良くない力だ、だから使ってはいけないと。ぞわぞわと体中を何かが這い回る様な感覚に襲われる。


 読めもしない文字が見え、耳障りな音と声が頭の中に響き渡る。


「我が剣は凡庸なれど」


 これを唱えればどうなるか、それはだけは忘れられない。自分が自分ではなくなる様な気分だ、まるで人ではなくなってしまう。


 それでも皆との思い出が、いつも私を支えてくれる気がした。


「今この限りは」


 胸の奥が張り裂けそうだ、意識を失いそうになる。それでも、もう彼女を死なせたくない。戦う覚悟なんて最初から出来ている。


「この死線を切り裂くもの」


 無理でも、無茶でも、無謀でも、何でもいい。戦う力を私に貸してくれ。


全てをかけろGo For Broke……」


 その時、誰かが私を呼んだ気がした。


 けれども、振り返る余裕なんて無かった。


 黒いドラゴンへ向かって駆け出し、そして跳躍した。それが人間には耐えられない速度だったとしても、それでも私の身体は動く。


 体中の血液が沸騰した様に熱い、心臓が張り裂けそうに脈っている。まだ一撃も与えていないのに、体中から血が噴き出した。


 真っ赤に染まった視界を無視して右手で剣を振りかぶった、狙うはドラゴンの上顎だ。

 

 ブレスを吐こうとする口をぶん殴って、このまま何とか閉じさせる。今は力負けなどしない、絶対に、それが二つ目の言葉の力だから。


 ドラゴンの顔に迫り、振り下ろした剣は上顎にめり込んだ。無くなってもいい、そんな気持ちで右手をそのまま振り抜く。


 目の前が真っ黒に染まる。そして右手に感じる違和感、焼けるような刺さるような鋭い痛み。行き場を失ったブレスはドラゴンの口の中で爆発した。


 爆風を受け吹き飛ばされながらも、辛うじて両足で地面に着地する。握っていた剣は無くなっていた。


 右手は真っ黒に焦げている、右目も開かない。鼓膜は破れただろうか、キーンと言う音が鳴っている。


 左目でソフィを見る。彼女は倒れていた、近くにいた剣士も倒れている。今の爆発の余波だろうか。


 後ろにはドラゴンが口を開けて、彼等に迫っている。剣士の身体が黒い線を越えていた。


 まだ左手は使える。さっきは右手だけにして正解だ。二本目の剣を抜いた。これも練習しておいて良かった。


 間髪入れずに私は彼等の元へ走り出した。


 左手で剣を振りかぶり、迫り来るドラゴンの鼻柱をたたき切る。奴は怯むも、まだ勢いは止まらない。


 流石に先の一撃で全身にガタがきている様だった、もっと力を込めなくてはいけない。それでもまだ身体は動かせるのだから。


 ドラゴンは首を回し噛みついてくる。避けたらソフィ達が危ないだろうか、思案の内に左足が喰われた。


 私の足を咥えたまま、ドラゴンは上下に首を振るう。身体を地面に叩き付けられ、衝撃で意識が飛びそうになる。


「ぐっ、あああああああ!」


 迷う暇はない、もう一度同じ事をされたら頭が潰れる。この力をもってしても、身体が鋼の様に硬くなる訳ではないのだ。


 私は声にならない声を上げた。そして自分の左足を叩き切った。その勢いで身体が中に放り出される。


 身体を捻って下を見る、ドラゴンが火柱に包まれていた。ソフィが魔法で追撃してくれたのだろう。燃え盛る炎の中、落ちていく身体をひねり、そのままの勢いで落下した。


 そして、ドラゴンの眉間に剣を突き立てた。深々と刺さった剣。柄からバキっと折れていった。


 たちまち火柱が消えている。彼女が私の動きに合わせて魔法を止めたのだろう。


 ドラゴンの頭上に立ち上がると、既に身体が震えていた。右足がガクンと崩れる。もう左足は膝の下から無くなっているのだ、倒れそうになる。


 でも剣は、あと一本残っている。それを静かに腰から抜いた。


「はぁ……はぁ……」


 霞んだ左目にソフィが映る。何か叫んでいる様に見える。だが、もう聞こえない。こちらにヨロヨロと歩いて来ていた。


 どうしたのだろうか、辺りを見回す。アレクシスは膝をついてこちらを見ている、彼の片腕が無くなっていた。


 その後ろで二匹のドラゴンが倒れている、流石は英雄だ、そんな姿も様になる。けれども満身創痍なのだろう、新調した服や鎧がキラキラしていない。


 だがタルヴォ達も、新しく参加した剣士達も命は無事な様だ。


 その向こうでアルヴィドとルチアがこちらに走り出していた。


 もう全身が裂けた様に痛い、果たして自分の身体はどの程度だけ形を留めているのだろう。どんどん眼が霞んでいく、僅かに見える自分の左手は、もう真っ赤に染まっていた。


 息が苦しい、左側の肺しか動いていないみたいだ。ゴホッゴホッと咳をすると、血が辺りに飛び散った。


 そう言えばファブリスはどこだ。振り向くと、黒いドラゴンとファブリスがハルバートを片手に戦っていた。


 あれだけの爆発を口の中で起こしたのに、手負いのドラゴンの勢いは苛烈だった。一人でも道連れにしてやろうという執念だろうか。


 身体全体で押しつぶそうと迫っている、ソフィは彼の事を叫んでいたのか?


 そしてファブリスは強力な突撃を受け、吹き飛ばされてしまった。彼の足下に真っ黒い線があった。どんなに眼が霞んでいても、これだけはよく見えるものだった。


 右足しか踏み込めないが、この距離なら間に合うだろう。残った左足を支えにして一気に踏み込んだ瞬間、ブチッと変な音がした。


 でも大丈夫だ、それでも身体は絶対に動くのだから。


 ファブリスとドラゴンの間に割って入る。そのまま左手を前に突き出すと、ドンと強い衝撃を受けた。


 すぐに目の前が真っ黒になった。未だにこの力も十分に使いこなせていない気がするが。とうとう限界が来た様だった、不死身になる訳ではないのだから。


 ファブリスを引き裂こうとしたドラゴンは止められただろう。吹き飛ばされた感じはしない。


 もう心配はない。真っ黒い線は見えない。後はアレクシス達が止めを刺してくれる、そんな気がした。


 ただ自分がどんな状態になっているか分からないのが怖い。身体の内側が全部引き裂かれたみたいだ。内蔵がひっくり返って、皮膚が破けるみたいに引っ張られる。


 凄く寒い。とても冷たい。目の前が真っ暗よりも真っ黒い気がする。


 変な声が聞こえる。頭の中でキンキン大きな音が鳴っている。とても怖い、いつもそうだ。色々なものがボロボロこぼれ落ちていく。


 ソフィはどこだろう。彼女はいつも温かくて、優しかったから。もう一度だけ彼女に会いたかった。


「ソフィ……」


 私の口は彼女の名前を呼ぶことが出来たのだろうか。意識はそこで途切れた……。


 どのくらい時間が経ったのか。真っ白だ、目の前に真っ白な光が見える。もしかして天国にでも来てしまったのだろうか。


 いや身体が痛い。頭も凄く痛い、痛い。全部千切れたみたいに痛む。


「あっ……」


 瞼が開いた。どこにいるのか分からなかった。白い部屋の中だ。


 目の前が白く濁っている、ただ眩しい。窓から太陽の光が差し込んでいるのかもしれない。首が動かない、口も上手く動かない。自分の身体が、まるで別の物の様になったみたいだ。


「くっ……」

「アル、だい、ぶ……きこえ、ね……アル、ィ…………あっ、して……や、て……うっ…………」


 誰かが何か言っているみたいだけど、上手く聞こえない。瞼も重くてすぐに閉じてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る