第20話 消えない力
その頃、タルトと言う名前の男はどこに行く当てもなく街中を彷徨っていた。
さて、彼はタルトと言うふざけた名前を名乗る可笑しな名前か、お菓子な名前の男だ。
けれども彼の本当の名前はアルヴィと言う。
しかし、アルヴィは一ヶ月前に死んだのだ、一緒に旅をしていた仲間と別れたあの日に彼の魂は死んだ。
それにしても、なぜタルトという名前なのか、それは簡単な理由だった。名前が書けなくなっていた。誰かと練習した気がするのだが、さっぱり書けなくなっていた。
何となく書けそうな文字を探した結果、思いついたのはタルトだった。そんなくだらない理由だった。
彼は英雄等に置いて行かれた後、無茶をしてでも身体を動かした、ただただ必死だった。一ヶ月で歩けるまで回復したのは驚くべき事だった、それは教会の人達も驚いていた。
きっと怒り、憎悪、色々なモノが原動力だったのだろう。だが右腕は相変わらずピクリとも動かない、それと左足も少し動きが悪い、何もない地面でよく転んだ。
教会の信徒達が懸命に回復魔法をかけてくれたが、さっぱり治らなかった。
それでも最初は頑張っていた。見返してやろうとか、何とか彼等に追いついてやろうとか、一泡吹かせてやりたかった。きっと一人で盛り上がっていたのだろう。
生活にも苦労はしなかった。英雄達はまとまった金額を置いていった、それを教会の牧師に教えて貰った。当面の生活は大丈夫なくらい、結構な金額を貰ったみたいだ。
牧師が少しずつ俺にくれる、でも手切れ金みたいで空しかった。いや実際は手切れ金なのだろう、金はやるから静かに暮らせと。
それが悔しかった。
対して教会の人は皆が優しい、それに同情的だ。今でも回復魔法を手や足に使ってくれる、治らないって分かっているのに。彼等とは違って、とても優しい人達だった。大半は中年男性だ、女の人もいる、おばちゃんだけど。
本当に優しいのかは、きっと別の話だが。
身体を動かせる様になって少し焦った。何もしていない事に、何も出来ない事に、頑張って仕事を探しても見つからなかった。
試しに冒険者の組合に登録してみた、それでも何かが変わる訳でもなかった。
悶々とした感情を心に溜めながら歩いていると、ふと思い出した。組合から新しい依頼を受けていたのだと、今更ながら思い出してしまった。
それなのに昼間から酒を呑んで、本当に俺はどうしようもない奴だった。
「はぁ……隣街、村か……今から行って間に合うかな……」
「おい、タルト。お前、また昼間から酒を……まったく、本当に良いご身分だな」
ふと独り言を呟いた時、後ろから声をかけてきたのはジャックという名前の男の子だった。彼は年下の男の子なのだが、俺より体格が良く、背も高い。少し浅黒い肌が印象的な、さすらいの剣士である。
もうどっちが年上なのか分からない。顔立ちはまだ幼い、だが凄く強い、何回かボコボコにされている。
その後ろにはミシェルという名前の男性が立っている。十八歳くらいだと聞いた、彼の従者らしい。真面目な感じの人だ、今まで一度も話したことないけど。
それにしてもジャックくんよ、従者を従えている君の方がよっぽど良いご身分だと俺は思う。
「は、は、は、それでジャックくん。今日は何用ですか?」
「昨日も言っただろう。いい加減、その腐った性根を俺がたたき直してやろうか?」
英雄達が去ってから一週間は経った頃だろう、ジャックくん達が街に来た。その頃には俺も杖をついて短い距離くらいは歩けるようになっていた。実際はかなり無茶をしていたが。
当てもなく街を彷徨っていると、街中で会って話しかけられた。初対面の時は凄い紳士的な態度だったのに、今は扱いがとことん雑である。
もしかしてジャックくんは俺に惚れているのだろうか、好きな子が気になって意地悪したい感じのやつだ。
いけない、年下の男の子の心を惑わせるなんて、俺は魔性を持っているのだろうか。なんて、クソほどにもない冗談ではあるが。
しかし、何だか彼を見ていると何故か気持ち悪くなってくる。いつものことだ、酒を飲み過ぎたのだ。
「うっぷ。間に合ってますよ……仕事を思い出したので、ちょっと行ってきます」
「ちっ! 本当に笑えない。お前も、お前の名前もな……」
彼は捨て台詞を吐いて行ってしまった。俺が彼に何をしたと言うのだろうか、全く世知辛い世の中だ。
さて、仕事をしなければいけない。冒険者の組合からの依頼だ、隣村に大きな猪が出たらしい。今回はその調査だった。
組合の仕事なんて下っ端にとっては大半が雑用だ、猪狩りなら腕の良い猟師に頼めばいいものを。
「隣村まで歩いて一時くらい。はぁ……取りあえず行くか……」
そう言い直して、また歩き出した。
今まで組合の依頼で、街の周りの警備とか、雑用とか色々やってみた。
右手が使えないので苦労したが、それなりに充実感もあった。このまま街で暮らすのも良いなとは思ったものだ。
でもある日、酒場で吟遊詩人が歌っているのを聞いてしまった。五人の英雄が魔獣を討伐する詩だった。俺が見たことのない魔獣の話、山ほど大きな魔獣だ。
多少脚色されているだろうが、硬い甲羅を命懸けで砕き、大きな火の魔法を打ち込み、最後に皆で力を合わせて討伐した。そう言う感じの美談だった。
そんな話を聞きたく無かった。やっぱり最初から俺なんていなくても問題なかったのかと。この右手と左足の怪我は人々を守った証。それが嫌いな奴でも、誰かの命を守ったのだと。
それが騙されていたからだとしてもだ。
最後に縋り付いたはずの想いが、それすら誇ることが出来なくなったら、本当に色々な事が手に付かなくなった。
彼等がこの街を去ってから、季節は春になった、寒さもすっかり和らいでいる。けれども、この心は全くもって冷え切ったまま。考えれば考えるほど冷たい沼に嵌まっていく様だった。
たまに力の入らなくなる左足を庇いながら、一人で街道を歩いていた。だいぶ歩いた気がする、じんわりと背中に汗をかいていた。いい加減に、そろそろ村が見えてくるだろう。
「はぁ……はぁ……一人は楽だけど、色々と面倒だ……」
それにしても猪ってどんな奴だったか、毛の生えた豚みたいな凶暴な生き物だった気がする。あと鋭い牙を持っているという、その村で数人が襲われて怪我をしたらしい。
それにしても、これは良くない感じがした。
ほんの少し前から魔獣の気配がする、今更そんな事が分かっても無駄だが。戻って組合に伝えた方が良いだろうか、万が一に出くわしたら俺では戦えないだろう。
まさか、その猪が魔獣とかではないだろうな、流石に見間違えはしないと思うが。他の冒険者も来ているという話だったが、どうなっているのか。
「困ったな……そんなに強くはないが、本当に魔獣がいるぞ……」
独り言を呟くと、そのまま俺は早歩きになっていた。
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