第一章 彼が旅に出た理由

第18話 孤独の始まり

 アッテナの街は今日も平和だ。一ヶ月前は凶悪な魔獣が立て続けに出現し、街には暗雲が立ちこめていた。


 しかし、五人の英雄達が死闘の末、これを見事に討伐したそうだ。今ではすっかり平和な日常が戻り、街人達は素晴らしい人生を謳歌しているのだろう。


 そんな平和な昼下がり。

 酒場に男が二人、卓に座って酒を飲みながら話をしていた。


 片方は質素なズボンとシャツを着た村人の様な、悪く言えば安っぽい服の地味な男だ。腰に一本の剣を携え、そして右腕を身体の前に吊っている。


 骨でも折れているのだろうか。コップを持つのは左手、つまみを摘まむのも左手、片手だけしか使っていない。


 もう片方の男はすらっとした質の良さそうなズボンをはき、襟元に綺麗な刺繍の入った軽めのシャツを着込んでいた。そして、とても目立つ深い緑色のベレー帽を頭に被っている。


 隣の椅子に弦楽器を立てかけていた、その雰囲気は吟遊詩人と言ったところだろう。薄い金髪を軽くそろえ、やや中性的な顔立ちの優男だった。


 酷く不釣り合いな男が二人、昼間から酒場で詩の話で盛り上がっていた。いや、一方的に盛り上がっていたと表現するのが正しかっただろう。


「それで、ドラゴンをドカンとぉ倒したんですよ、でも片腕が犠牲になってしまってぇ。あははは、それで魔法使いの女の子とか、仲間の皆には捨てられてしまうんです……ねぇ、可哀想でしょう。どうですか、良い詩になりそうですか」


「いやいや、タルトさんのお話は面白いですねぇ。特に獣のクソを踏んづけて匂いを撒き散らし、魔獣に追いかけ回される話なんて。もう傑作です、情景が目に浮かぶようですよ」


 詩人はタルトと名乗る男の話を聞きながら、小馬鹿にする様に笑って話を続けていた。今は酒場にこの男達だけが座っている。


 酒場の店主は初老の女性だ、一人で切り盛りしている。何か事情があるのだろうか手伝う者もいなかった。注文をしても、酒もつまみも中々出て来ない、そんな有名な店だった。


 その店主はというと、くだらない物を見る様に黙って二人を睨み付けていた。


「でしょう! あれ、そんな話しましたっけ? あははは……それでぇ、どんな感じの詩になりそうですか?」


「はぁ……あなた、何回私に同じ話しをしていると思っているのですか?」


 そう言った詩人の目は笑っていなかった。


 さて目の前にいるのは街から街へ、国から国へ、詩を歌い旅をしている吟遊詩人。何でも山を越えた先、遙々ラティカイン王国の方からやって来たそうだ。


 偶然にも二人は出会い、意気投合してからというもの一緒に酒を飲む様になっていた。そこからの短い付き合いであるが、そういえば男は詩人の名前を知らなかった。


「詩ですか。例えば紅蓮の魔女とかどうです、その火の魔法を使う女の子ですよ」


「えぇ、そこですか? 面白くないですよ。うぅ、気持ち悪い……」


 困惑する男を無視するかの様に、吟遊詩人は楽器をポロロンと鳴らした。そして、息を大きく吸い込むと、綺麗な声で得意げに言葉を並べ始めた。


「紅蓮の炎を身にまとい、小さな魔女は旅をする。傷つく身体、壊れた心、その瞳を濡らして。僅かな温もり、いつか消えて、左手は空を切る。忘れない、その後ろ姿を、幼き日、出会った君」


 詩人は楽器を片手に言葉を紡ぐ。そんな彼の様子を見ながら男は思い出していた、この楽器の名前は確か……。


 そうだ、マンドリンだ、誰かがそんな事を言っていた気がする。いやいや、今はどうでもよかったか。


「紅蓮の炎で闇を照らし、小さな魔女は旅をする。悲しみの雨、追憶の迷宮、その全てを受け止めて。僅かな温もり、いつか消えて、左手は空を切る。忘れない、その後ろ姿を、幼き日、誓った約束」


 追憶ってなんだ、それは本当に好きな許嫁との思い出ということか。生き残って許嫁と再会するため、嫌な事でも全てを受け入れたのか、それじゃあ俺は最悪な男だ。


 闇を照らす炎か、そう言うのが大衆受けするのかもしれないが、なら俺と一緒に居たのは暗黒の日々だったのだろう。


 それにしても左手を強調する所に、詩人の嫌らしさを感じた。俺への当てつけなのだろうか、温もりは消えて、残った左手が空を切る。


 左腕しか使えない俺にお似合いの言葉か、皮肉が効いているのかもしれない。まったく、なんて素敵な言葉選びだと思う。


 忌々しい、この詩人め。これでお金を稼いでいるのだろうが、お世辞にも上手とは言えない。だが彼は伴奏を奏でながら、やはり得意げに言葉を並べている。


 目の前で心を込めて歌う彼に、苛立ちを隠せなかった。


「紅蓮の炎を内に秘めて、小さな魔女は旅をする。あの日の想い、途絶えた道標、その運命に抗って。僅かな温もり、いつか消えて、左手は空を切る。忘れない、その後ろ姿を、幼き日、恋した君」


 もう勝手に抗ってくれ、はいはい頑張って下さい。それでも彼女の旅は続く、あと一年くらいで終わる旅だ、何とかなるだろう。


 だが詩人よ、切ない感じを出すな、それは間違っている。それとも彼はこの心を代弁してくれているのだろうか、まったく嫌がらせだ。少なくとも拍手をする気分でもない。


 向こうで見ている店主にも、そんな気は全くなかった。


 紅蓮の魔女は今頃きっと楽しく許嫁と旅をしているのだろう。最後に見たあの子は笑っていた、とても嬉しそうに。今までに見たことがないくらいの満面の笑みだった。


 本当に見たことがない程の笑顔だったんだ。


 とても気持ち悪い、今にも吐きそうである、きっと酒を飲み過ぎたに違いない。


「タルトさん、分かります? きちんとした物語があって、そこに人々が惹かれる想いがあって、それを詩人は詩にするのです。それに引き換え、何ですか、あなたの蛇足みたいな話。そもそも物語が始まってすらいない」


 さて気を取り直そう。こいつは俺の人生を蛇足と言った、確かに彼等にしてみたら蛇足だったのかもしれないが。


 だが人々が惹かれる想いとは冗談も甚だしい、それは脚色のし過ぎだと思う。


「それで、結局その後、彼は何をするのですか? 平和に街で一生を終えるのですか? お菓子みたいな名前しているからって、頭の中まで砂糖でも詰まっているのですかね?」

「うるさい……」


 砂糖ね、なんて甘いのだろうか。彼等が去った後、置いて行かれた理由を探した。何か特別な事情があって、断腸の思いで別れたのだと。


 だが今思えば、甘ったるい考えだった。

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