29.結着

  そうして、どれくらいの時間をわたしたちは走り続けたのだったか。

 パタパタパタパタ……。

 遠くの空から、そんな音がつたわってきた。

 それは、しだいにボリュームを増し、すぐに、パタパタパタ……が、バタバタバタ……へと変わっていった。

 空気をはためかせるように震動させる特徴的な音。

 ヘリコプターの飛翔音だ。

 ヘリコプターの発する音が近づいてきているのだった。

「警察がヘリを飛ばしてくれたんだな」

 わたしと同じく、その音を耳にしたのだろう、課長補佐が言った。

 ほっと安堵したようでもある。

 この逃走劇にも結着フィナーレが近い――そう思ってのことに違いなかった。

 でも、

 追われる側にとっての余裕は、追う側にとっては焦りとなる。

 見るからに走行に苦労していることがアリアリだった北島のポルシェの様子が、はっきり変わった。

 きっと、アイツもヘリコプターの音を聞いたのだろう。

 そして、それの意味するところを理解したのだ。

 これまで鳴りを潜めていたクラクションを怒号のように響かせると、またもや、猛烈にパッシングをこちらに浴びせかけてきた。

 まるで、『ふざけるな!』、『こんなのでオシマイにしてたまるか!』と怒鳴っているみたいに。

 フン。

 ふざけるな! は、こっちのセリフだし、これ以上、あんたなんかに付きあってやる程、ヒマでもない。

 これまでの積悪の報いをうけて、とっとと警察に逮捕されたらいいんだわ。

 いいかげんにして――そう思いながら、ルームミラーを覗くと、なんだかこれまでにも増して北島のポルシェがお尻を振っているような……。

 これまでよりずっと不安定さの増した危なっかしい走りの様子が目に映った。

「更にアクセルを踏んだようだね。向こうも結着が近いとみて、安全マージンを削ってでも、こっちに追いつこうと腹をくくったんだろう」

 おなじくルームミラーをチラ見して、課長補佐。

 そういう口調は、依然と変わらず、淡々としている。

 そして、

「心配しなくて大丈夫。このまま今のペースを維持していれば、あとは警察が到着するまでは消化試合さ」

 わたしが不安になるのを未然に防ぐためにか、そう笑いかけてきてくれた。

「はい」

 だから、わたしもホッと身体から力がぬけて、コクリと頷いていたのに……。

 ヴァアアアン……ッ!

 と、殴りつけるような、蹴りつけるような大音響が、すぐ後ろから叩きつけられ、とびあがったのだ。

「な、なに!?」

 ルームミラーではすまない――反射的に後ろを振り返ってみれば、ついさっきよりも格段に近いところまで、北島のポルシェが一気に距離を詰めてきていた。

 それをこちらに思い知らせ、あからさまに告げて、怯えさせるためにか、再びクラクションとパッシングとで威嚇してきていたのだ。

 しかし、

「しつこいな」

 口をへの字にむすんだだけで、課長補佐に慌てたところは少しもなかった。

「ここが911の得意なキチンと整備されたサーキットじゃない。自分が相手にしているのは、老いたりとはいえWRCを戦ったクルマなのだとは、ここまでで十分理解できてる筈だ。力まかせに加速してみたところで、ビハインドがひっくり返せるワケがない」

 ウン。

 わたしは心の中でうなずいた。

 実際にそうしなかったのは、北島の追撃にあわせ、課長補佐もペースをあげたからだろう――クルマの揺れが再び……、と言うか、もう何度目かと言うべきか、大きくなって、座っているだけでも大仕事になってしまったからだ。

 そうしている間にも、警察のだろうヘリコプターの音はぐんぐん大きくなっている。

 きっと、こっちを見つけてくれたんだ。

 早く! 早く来て!

 弱まっていく恐怖、増していく安堵、なにより、そんな感情にひたるのを許さないクルマの震動、揺れ、騒音。

 混沌と表現するのがもっともふさわしいような、そんな一瞬、一瞬。

 だから、が起きた時、正直、わたしは何が何だかわからなかった。

「あ」と課長補佐が、どこか間の抜けた(失礼!)声をあげたのを聞き、「え?」と、そちらの方を見たくらいだ。

 そして、課長補佐が見ている視線の先を追い、ほとんどかぶりを降るように目線を右から左――そちらに向けて、そこで目撃することとなった。

 まるで荒馬のように竿立ちになった北島のポルシェが、今しも崖の向こう側へと、ガードレールを乗り越え、宙に舞ったのを。

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