24.ランチア デルタHFインテグラーレ エヴォルツィオーネII

「このクルマ――ランチア社がつくったデルタ・インテグラーレというクルマは、元をただせば、たしかに『普通の』ファミリーカーだったんだ」

 ハンドルを握りながら、課長補佐は言った。

 あの黄色いクルマ――デルタ・インテグラーレ? の車内である。

 あれから――再度、課長補佐に用事を訊かれてそれを思いだし、ダイニングへ、おばあちゃんの料理へと急ぎもどったわたしは、やはりと言うか、そこで絶望することになった。

『あら、遅かったわね』

 そう言った母さんが、今しも料理の一品を口許に運ぼうとしていたからだ――わたしのお皿から。

 よくよく観察するまでもなく、わたし用に配膳されたお皿のすべてから、かなりな量のお料理が、既に(母さんの胃袋の中へと)消えてなくなっていることが確認できたからだった。

 思わず悲鳴をあげたわたしだったが、一悶着も二悶着もあった末、けっきょく、グズグズしていつまでも戻ってこなかったわたしが悪いと押し切られ、泣く泣く、残り少なくなったお婆ちゃんの心づくしをたいらげた。

 その埋め合わせをわたしは課長補佐に要求したのだ。

 いや、なんてったって、課長補佐を呼びにいったからこそ食事の開始に立ち後れ、結果、母さんという名のトンビに油揚げをさらわれてしまったのだから、損害を賠償する責務は、原因となった人間に求めるべきだよね?

 けっして、満足に食事も楽しめなかったのに、更に後片付けまでさせられるのが理不尽でイヤだと逃げたワケじゃあないよ?――そこのところヨロシク。

 と、

 まぁ、そんなこんなで、食事の前までずっと手入れをしていたらしい黄色いクルマの試運転に、同乗させてくれるよう、わたしは課長補佐に要求し、そうして、現在、助手席にすわって山道を走っていると、そういうワケなの。

 でもなぁ……。

 北島から襲われかけて、なんとか難を逃れることの出来たあの日――課長補佐に助けてもらったあの日は、精神的に動揺していたせいか気づかなかった。

 何に? と言うと、乗り心地。

 このデルタというクルマ、とにかく座り心地が良くない……、有り体に言って、わるいのよ。

 とにかく、『硬い』の。

 そりゃあ、あの日、家まで送ってもらった時のシトロエンだっけ?――あのクルマと比較するのはどうかとは思う。

 だって、あのクルマ、父さんの高級国産車よりも乗り心地がソフトでラグジュアリー(笑)だったもの。

 でもね、今のせてもらってるデルタ・インテグラーレは、多分、普通の、と言うか、よほどにオンボロなそれにも敵わないんじゃない?

 ほら、今だって、

「あう……ッ」

 ドンッ! と下から突き上げるような衝撃に、わたしは思わず呻いてしまった。

 いや、にずっと乗ってたら、ぜったい腰とか痛めちゃうって。

 だから、

「ファミリーカー?」

 先の課長補佐の説明に、眉をひそめたって仕方がないと、そう思う。

 こんな乗り心地のわるいファミリーカーなんて、日本はもちろん、世界のどこでだって売れるはずないし、造らないでしょ。

 だけど、わたしが、そうして露骨に疑念を呈しても、課長補佐は微苦笑するだけだった。

「元をただせば、だよ」と、先程の自分の言葉をくりかえし、

「これ(と言って、ハンドルをポンポンとかるく叩くと)、WRC……世界ラリー選手権でレースを戦ったラリー車なんだ。いろいろ事情があって、普通のファミリーカーだったのをレーシングマシーンに造り直したクルマなのさ」

 ま、だから、と言うか、乗り心地がわるいのは勘弁してくれと言ったのだった。

 は? ラリー?

 ラリーって、あの、わざわざ舗装どころか道路もなにも無いような砂漠とか沼みたいな荒れ地をそれこそ泥まみれ、車体のあちこちをぶつけて、へこませて、場合によってはひっくり返ったり、タイヤがもげたりして走る野蛮なレース?

 そんなものに出るため、ランチアって会社は、ファミリーカーを改造したっていうの?

 そんなの絶対、ヘンだし、おっかしいでしょ。

 商売っ気はないの? とか思ってしまうし、ぜんたい、売れるって思ったの? いや、そりゃ確かに好事家って言うの?――課長補佐みたいな物好きさんはいるにはいるんだけれども。

 にしたって、造る方も造る方なら、買う方も買う方だよね?

 一体全体ナニ考えてんの? って思っちゃうわ。


 なんとはなしの思いつきで、課長補佐の試乗に参加させてもらったわたしだったけど、さすがに少し後悔半分で、だから、うっかり見過ごしてしまったのだった。

 途中、道幅がひろくとられた退避ゾーンに一台の銀色のポルシェが停まっていたことを。

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