15.御礼参り-1

「そちらのお宅に何かご用ですか?」

 門扉の脇に取り付けられたインターフォンのボタンを何度か押していると、ご近所さんだろうか、女性に声をかけられた。

 久留間課長補佐の自宅の前のことである。

 古びた(と言っては、失礼だけど)ちいさな(この表現も失礼、かな?)戸建ての家だ。

 あの日――婚活詐欺師(そう言ってもいいと思う)の北島に危うく毒牙にかけられそうになってから数日。わたしは久留間課長補佐と会うことが出来ないままでいた。

 自宅に送り届けてもらって、その後の事情聴取(?)が済んでから、いよいよ帰るという段になって、課長補佐はわたしに言ったのだ。

『明日は会社は休みなさい。念のため、病院で診てもらった方が良いと思うし、壊れたスマホも何とかしなければならんだろう? 精神的にも、またぶり返すことがあるかも知れないし、なんなら、気分が落ち着くまで、二、三日、ゆっくりしても構わない。少なくとも明日は会社は休むんだ――いいね?』だなんて、玄関口でわたしに命令したくせに、その翌々日、出勤したら、課長補佐の方がお休みだった。

 次の日も、その次の日も、次の次の日も、また。

 それで、なんだか不安になって、人事部の同期に無理を言って課長補佐の住所を教えてもらった。(自分で言うのもなんだけど、わたしは結構美人だし、課長補佐は人畜無害な『いい人』なので、年齢に差があることも手伝って、社内恋愛だとか枕営業だとかの疑いをかけられることも『まったく』なかった)

 そして、用意していたお礼の品を手に会社を退社後、直接、家まで訪ねることにしたのだった。

 なのに……、

 わたしは、声をかけてきた女性の方に向き直った。

「はい。こちらにお住まいの久留間さんと同じ会社に勤めております、わたしは部下なのですが、実は久留間さんが、今度の出張に必要な資料を会社に忘れてらっしゃったものですから、それをお届けに――」とか何とか。

 嘘も方便だけれど、正直に言っても、不倫がどうとか勘ぐられ、課長補佐の風評を損なったりなんかするかも知れない。

 個人的なつきあいではなく、あくまで仕事上の――業務としての訪問なのだと思ってもらった方が良いだろう。

 実際、わたしがそう言うと、すこし怪訝そうな顔をしていた女性の態度がやわらいだ。

「あら、そうだったんですね。ご苦労様。でも、久留間さんは、まだお戻りではないと思うわ。家にいらっしゃったら、そこに――」と言って、女性は玄関先を指さした。

「そこに、スクーターが駐められてある筈だもの。お急ぎだったら携帯にでもお掛けになってみたら?」

「そうですか。そうですね。有り難うございます。残念ながら久留間さんの番号は存じませんので、会社の方から一本いれてもらう事にします」

 わたしは女性にお礼を言って、その場を離れる。

 何事もなかった素振りで歩きつつ、もっとも身近な角をまがってフェードアウトする。

 うん。やっぱ、疑われてたよね。最後の振りは、まず間違いなく探りのための引っかけだった。

 わたしが直接電話をかける素振りでも見せようものなら即アウト。

 業務用で持たされているでもないのに、友人でも同期でもない、上司の電話番号をどうして自分のスマホに登録しているのかしら? なぁんて、孔明の罠だ。

 わたしが課長補佐の電話番号は知らないので、会社から電話をかけてもらう事にすると口にしたから、やっと、関係性についての疑いが晴れたみたい。

 風紀委員か? それともゴシップ大好きスピーカーおばさんか?

 いやはや、男と女の関係だとか、ご近所づきあいだとか、面倒くさくも難しいなぁ……。

 正直なところ、課長補佐の携帯番号は知っている。

 あの日、自分のスマホが壊れて使えなかったから、課長補佐のスマホを借りて自宅に連絡した。その電話番号が、着信履歴で残っていたのだ。

 だけど、新調したスマホから電話をしても繋がらなかった。

 呼び出し音が繰り返されるだけで、最終的に『お掛け直しください』と切れるだけ。

 自宅にもいなかったし、課長補佐、どうしたんだろう?

 明日は土曜日で会社も休みだし、そうなると明々後日しあさってまではこのままなのかな……。

 気分的にもモヤモヤするし、ちょっとでもいいからお話しがしたいんだけどな。

 山神のお爺ちゃん、お婆ちゃんの所にでも行ってるのかしらん。

 秘密基地とか言っていたから、きっと、そうかも。

 いっそ、わたしも行ってみようか。

 でも、場所をいまいち憶えてないのよね。

 なにしろ、あの時はテンパってたし、雨も降ってたからあたりの景色もろくろく見てはいなかった。

 おぼろげにはわかるんだけれど、それだけじゃあ、ねぇ……。

 まぁ、いずれにしても、時間的にも今日はもう無理。また出直すことにして、仕方がないから家に帰ろう。

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