9.秘密基地-5

「? どうした?」

 じっと見つめていたのに気づいたか、課長補佐が、すこし怪訝けげんそうな顔で訊いてきた。

「いえ、なんでもありません」

 言って、わたしは目をそらす。

 人の良い、地味目なフツーのおぢさんだって、今日の今日まで思ってたんだけどな。

「ふム。とりあえず、大きなケガとかがなくて良かったよ――どこか痛むところはあるかい?」

 隣に座ると、わたしのことを頭の先から(正座しているので)腰、膝のあたりまで往復で何度か目をはしらせて、訊いてくる。

「いいえ。擦りむいたり、打ったところが多少痛むくらいで、おおむね大丈夫だと思います」

「無理や痩せ我慢からの言葉じゃないね?」

「はい」

 ひた、と瞳に目をあてられたので、視線をそらすことなく頷いてみせる。

 すると、

「そうかぁ……」

 問診のような受け答えを終え、念のためとばかりのいちべつをもう一度だけわたしに向けると、その後、課長補佐の全身から力みが、フゥッと抜けたのだった。

「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

 すこしポカンとなったけど、良かったよぉ~と、脱力している課長補佐にむかって頭をさげる。

 と同時に、

 今更ながら、あの時、たまたま課長補佐が通りがかってくれてなければ、冗談ではなく、わたしはあのまま行き倒れていたかも知れない――そう思って、背筋が冷たくなっていた。

 けっして大袈裟などでなく、課長補佐はわたしの命の恩人だ。

 しかし、

「いいさ。それで、もう一つ訊くけど、今日の件――事件性の有る無しについてを確認しておきたい。どうかな?」

 その後に続けられた次なる問いは、ずしりと重い。

「事件性、は、あり、ません」

 一語一語を区切るようにして答を吐き出す。

 刹那せつなに、あのク○野郎の顔や文句が頭をよぎり、黒く苦い思いが身の内を灼きそうになったが、でも!――事件性があるかと問われれば、それは無いのだ。嘘じゃない。

「本当に?」

「はい」

 まぁ、わたしがアイツをぶち殺したなら、事件性は、これから生起するんだけどね――そんな物騒なことを考えながら、念を押してくる課長補佐に、わたしは、はいと頷いたのだった。

 それで、課長補佐は、心底安心したようだ。

「なにはともあれ、とにかく君に何事もなくて本当に良かった」

 そう言うと、

「あ~~、安心したら、なんだか急に腹がへってきちゃったよ」

 おおきく息を吐き出し、へらりと笑うと、背中をすこし後方うしろにそらして、スリスリお腹をさすりだしたのだった。

 お行儀がわるいと言うよりも、なんだか微笑ましい気分になって、

「あ、あ、お茶をお注ぎしますね」

 慌てて急須に手をのばすけど、

「いいのよ。お給仕はわたしがやるから、あなたはしっかりお食べなさい」

 お婆ちゃんに機先を制され、宙に浮かしかけた腰をそのまま降ろすしかなかった、イマイチ鈍いわたしなのだった。

 そして……、


「安藤くんは、実家通いだったよな」

「はい」

 食事もおわって、後片付けも一段落し、くちくなったお腹も、ある程度こなれたかなと思える頃、課長補佐がわたしにそう訊ねてきた。

「それじゃあ、家まで送っていくから、まずはご両親に電話をしておきなさい。向こうに着いたら、僕もいっしょにご挨拶するから」

 ある意味、当然といえば当然だろうことを指示してきたのだった。

「い、いえ、課長補佐にそこまで御迷惑をおかけするワケには」と、慌ててわたしが言いかけるのに、

「お嬢さん、いいからお言葉に甘えておきなさい。バスに乗るにも電車に乗るにも、ここからだったら一苦労じゃし、なにより便数が少ないのでのぅ。かなり待つ程度で済めばいいが、もしかすると、今日はもう便がないかもしれん」

「そしたらタクシー代もまるまるムダになるしね、ここは素直に送っていただきなさい」

 まるで援護射撃のような案配で、お爺ちゃん、お婆ちゃんの二人も口々に課長補佐の言う通りになさいと勧めてくる。

 う……。そっか、(失礼だけど)田舎には、そういうもんだいもあるのか。

 時計をみれば、まだ夕方といえる刻限だったけど、もう終バス、終電の頃合いなのか。

 太陽が落ちると町が死んじゃう土地なのね。

「……すみません。それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」

 結局、わたしは再度、頭をさげてお願いをするしかなかったのだった。

 せめて、もう雨があがってたなら少しはマシなんだけど、そうじゃなかったらどうしようもないし……。


 片方なくした靴のかわりにサンダルを借り、あらためてお礼にうかがうことを固く約束をして、玄関を出たわたしだったのである。

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