2.地獄行

 雨が降っていた。

 しのつくような、叩きつけるような雨が。

 舗装の荒れた路面と言わず、わたしの身体と言わず、天から降り注ぐつぶてがバチバチと小砂利のような音をたて、無限にすべてのものを打ち据えている。

 バケツを引っ繰り返したかのような土砂降りに、視界はほんの数十メートル程度しかない。

 そんな悪天の中をわたしは全身ずぶ濡れになり、髪や服には草や葉っぱをまとわりつかせ、あちらこちらに小傷をこさえなどして、一人、とぼとぼと人気のない山道を歩いていた。

 北島あいつの姿はどこにもない。

 ここまでわたしを乗せてきたクルマも、本人も――影もかたちもどこにも無い。

 わたしを捨てて、置き去りにして、跡形もなく消えて、なくなっていた。

 ギリ……と、わたしは歯をかみしめる。

 かまうもんか、あんな奴……!

 あんな奴しらない!

 あんな奴のことなんか、わたしは知らない、関係ない……!

 なのに……、

「チクショウ……」

 唇を噛み、必死にこらえよう、押しとどめようとしていた感情がこぼれでた。

 一度こぼしてしまうと、もう抑えがきかなかった。

「チクショウ! チクショウ! チクショウ……ッ!!」

 涙があふれた。

 どうしようもなく惨めで、どこまでも哀しくってたまらなかった。

『けッ! 男の財産目当ての乞食女のくせに、いつまでもお高くとまってんじゃねぇ!』

 どうして……?

『誰がお前みたいな女と本気で付き合いたいもんか。気取ってねぇで、俺がヤりたいって言ったら、素直に股ひらきゃあいいんだよ!』

 どうして、そんなこと言うの?

『見栄えだけはいいから、これまで我慢していたけどよ、もういいわ。飽きちまった。興が醒めたぜクソ女――じゃあな!』

 どうして、わたし、そんなことを言われなきゃいけないの……?

だ、わたし……」

 知らず、そう呟いていた。

 胸が苦しくなって、呼吸がまともにできなくなって、目の前がぼやけて何も見えなくなって、わたしはその場にしゃがみこんでいた。

 楽しみにしていたデートだった。

 念入りにお化粧をして、迷いに迷って選び抜いた服を身に着け、ウキウキしながら彼との待ち合わせ場所にむかった朝だった。

 なのに……、

 彼が運転してきたクルマに乗って、食事をして、ドライブをして……、あ、と思った時には、彼の手がわたしの太股を撫でていた。

 最初は冗談だと思った。

 だから、やんわりその手をどけた。

 でも、彼はまた手をのばしてきた。

 やめて、と言って、また、その手をどけた。

 それでも、彼はやめなかった。

 それどころか、

『なんだよ、感じてるんだろ? ほら、もっと気持ちよくさせてやるから逆らうなって』

 下卑た言葉を吐きかけてきて、ぶしつけ度合いを更に強めて、手を蠢かせてきた。

 気がついたら、引っぱたいていた。

 もう帰るから、クルマから降ろしてと叫んでいた。

 見損なった。そんなことする人だと思わなかったとののしっていた。

 それで激昂したのか、彼が口にしたのが、さっきの文句セリフだ。

 いつの間にか雨が降り出し、わたしは気がつかなかったけれど、彼はクルマを市街地から離れ、郊外へむかう道へとのせていたらしい。

 お店もなければ人家もない、それどころかクルマ通りさえない山道の途中でクルマを止めると、『さぁ、降りろ。降りたくなけりゃあ、俺の言うことをきくんだな』と、醜くわらいながら言ってきたのだった。

「人でなし!」

 わたしは、そう叫んだと思う。

 そして、そのまま、もう結構つよく雨が降っていたけれどもクルマから降りようとした。

 それが意外だったのか、ついに本性を剥き出しに、『ふざけんな!』とかなんとか喚きながら、彼が襲いかかってきた。

 わたしは、それに必死で抵抗し……、その後のことはよく憶えていない。

 気がついたら、何故だか道路から下の土手の斜面に倒れていて、ツルツル滑る草や、ぬかるんだ地面に苦労しながら、なんとか元の道路に戻ったのだった。

 幸いなことに、スマホやお財布を入れたバッグをなくしてはいなかった。

 でも、取り出したスマホは液晶が割れ、使える状態ではなくなっていた。

 傘は無い。

 あったとしても今更だ。

 わたし、あんな男に恋してた? 夢中になってた? プロポーズされたらいいな、なんて夢みてた?

 なんて莫迦なの!?

……もはや涙は留めようもなく、わたしは地面にべったり座りこんだまま、声をあげて泣いた。

 莫迦莫迦莫迦莫迦……、ほんと莫迦!


 すぐ傍で、クルマが止まる音がしたのは、その時だった。

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