ユキと七海

「こ、こここここ」


 帰宅した七海は着替えも早々に部屋を訪れた。しかし、今はその顔を衝撃を受けたと言わんばかりに強張らせている。

 視線の先には従兄に馬乗りになる可憐な少女。

 物理的に尻に敷かれている従兄こと天海海斗―—俺へは一瞥もくれない。

 加害者皆木有希は蛇ににらまれた蛙のごとく微動だにしない。つまり、動くものは誰一人としていなかった。


「こ、これは! 違うんだ!?」


 最初に硬直が解けたのはユキだった。

 慌てて弁明を図るが、言い訳無用な状況故に適切な言葉は出てこないようだ。

 冷汗をダラダラと流しながら視線を部屋中に泳がせ、両手は彼女の心を表すかのように中途半端に持ち上げられている。

 最後に俺へと視線をやる。助けてくれと言外で語っていた。

 仕方がないので事態の収拾を図る。


「七海……これは俺の趣味だ」

「ばっきゃろろろろろろろ!」

「ぐへっ!?」


 嘘とバレないように精悍な顔つきで述べたのだが、何が気に食わないのか強烈な一撃をユキからもらう。

 適切な対応だったろうに。


「訳がわからないこと言うな! 誤解されるだろ! お前はそれでも良いのかよ!?」

「まあ、やぶさかでは「死ね!」ぐはっ!」

「三回死ね!」


 三回殺されそうになる。

 体重は見た目通り軽いが、それでも上から下に体重をかけた一撃は相応の威力をほこる。

 次いで上半身を揺さぶられる。


「いいから早く説明しろ!」

「そう言われてもなあ。どう考えても詰みだろ。はっはっは、笑えるな」

「笑えねーよ!」


 ユキは「詰んだ……。変態……変態じゃないのに」と頭を抱える。

 が、気にすることはない。俺の推測が正しいのなら七海の異変の原因は、


「こ」

「こ?」


 再起動した七海はすーっと息を吸うと、


「この子誰ええええええ!? 可愛いいいいいいいいいいっ!」


 絶叫しながらユキへと抱きついた。


「……はああああああああああっ!?」


 押し倒される形となったユキが一拍置いて叫ぶ。

 昔から七海は可愛い物に眼がなかった。だが、こんなに凄まじかっただろうか。

 記憶にないが忘れるのは俺の得意技なので信用ならない。


「ねえねえお名前は何て言うの!? 何年生!? どこに住んでるの!?」

「ひいいいいいいいっ!」


 眼を血走らせ、矢継ぎ早に問いかける様は完全に変態のそれだった。

 ユキが恐怖で震えるのも仕方がない。


「た、助けてくれ!」


 こちらへと手を伸ばし、懇願するユキに七海は触覚を左右に振る。一挙手一投足が可愛くて仕方がないらしい。


「へいへい。……落ち着け七海、怖がらせたら元も子もないだろう」

「うにゅ」


 抱きかかえられる形でユキの上から撤退させられた七海は項垂れる。

 熱しやすいが、冷めやすくもある。七海は即座に冷静さを取り戻し、


「ごめんなさい……。あまりに可愛くて、可愛くてね。辛抱堪らなかったの」


 ……訂正、まだ暴走気味だった。

 テニス部のマスコットの本性が可愛い子好きの変態とはこれ如何に。


「お、おう。お、落ち着いてくれたのなら、うん」


 若干及び腰なのは触れないでおこう。

 改めて挨拶させるために、七海をユキの前に座らせる。


「はい挨拶」

「天海七海です。えっと、海ちゃんの従妹にあたります。神代学園高等部一年生でクラスはA組。ユキちゃんは」


 七海の言葉を遮るようにユキは立ち上がって高らかに叫ぶ。


「私は皆木有希! 神代学園高等部二年生だ! に、ね、ん、せ、い、だ! ちなみに海斗のお、幼馴染(?)だ」


 最後はしりすぼみになったが、己の年齢をこれでもかと言わんばかりに強調する。

 失態を悟った七海は口元を引きつらせ、再び謝罪する。


「幼馴染ってか旧友だな」

「そ、それを幼馴染って言うんだろ!」

「それもそうか」


 となると七海を筆頭に幼馴染だらけになるのだが……そんなものか。


「そ、そうなんですか。ユキちゃ……ユキ先輩も海ちゃんの昔からの知り合いだったんですね」

「おう。数少ない男友達」

「え?」

「オラっ!」

「何度も喰らうか!」


 みぞおち目掛けて放たれた凶拳を軽やかにかわす。


「余計なこと言うな! ややこしくなるだろうが!」

「もう十二分にややこしくなってるだろ」

「だから、これ以上するなって言ってるんだよ!」

「あ、あの、何が何やら」

「だ、だよな。えっと、その……あー、もう!」


 観念したのか、あぐらをかき、一から説明する。羞恥からか頬を薄っすらと赤く染めているが。


「なるほど」


 聞き終えた七海は一度頷き、


「ユキ先輩って可愛いですね!」

「ほあ!? そ、その感想はおかしいだろ!」

「良いんですよ。そんなに頑なに否定しなくても。大丈夫です! 先輩の気持ちよくわかります!」


 同士を見つけた。七海の眼はそんな風に輝いていた。

 その様子にユキも眉をひそめ、


「…………なのか?」

「はい!」


 俺には全く理解できないが、どうやら二人は通じあったらしい。

 だって、ユキが大きなため息をつき、俺のことを睨むのだから。


「ちょっと待てよ。勘違いしたのは俺とユキ、両方に責任があるだろ? 何で俺が睨まれるんだよ」

「海ちゃん、そこじゃないから」

「本当にお前ってやつは何もわかってないんだな」

「いやいやいや、その話しかしてなかったじゃん」


 必死に反論するが、二人は顔を見合わせ苦笑する。

 仲が良くなったようでよろしい……とはならない。

 再度反論を試みようとするが、


「あ、そういえばお母さんがそろそろご飯ができるって。ユキ先輩も食べていきますよね」

「そのつもりだ。オバサンが誘ってくれたからな」

「やったー! じゃあ、案内しますねー」


 二人は俺のことなど気にも留めず、部屋を出ていくのであった。

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