アンナと電話

『考えるな……感じろ!

 ここまで積み重ねてきた鍛錬は嘘をつかない!

 行け! 壁を乗り越えろ七海!

 今日、この時はテニス界の歴史を変えるキュートガール七海の伝説の序章に過ぎない!

 それ行け! 七海ちゃん!』7:42


『…………』7:44既読


『おはようございます。心地の良い朝ですね

 夏も終わりが近づき、暑さもやわら……がないんですけど!

 暑いよ! 今日も今日とて暑い!

 そっちはどうだ? 海月島よりはマシだと思うけど、ジメジメするから不快指数は高いかもな

 まあ、あれだ

 体調には、熱中症とかには気をつけろよ

 頑張れとは言わん

 言わんでも頑張るだろうからな

 だから、あれだ

 楽しんでこい』7:48


『うん! ありがとう! 行ってくるね!』7:49既読


『おうよ』7:50


 ………………

 …………

 ……


 チャットを終えてから約一時間、七海は敵地に着いたところだろう。

 報告があるにしてもフェリーに乗っている時か、家に着いてから直に報告か。

 どちらにせよ、まだ試合すら始まっていないのに、何度もチャット画面を開いてしまう。


(落ち着かない……)


 昼頃には到着した母親と一緒に学校に行く予定になっている。

 試合の応援に行けなかった主要な理由だ。

 他にもお金などもあるが、それは身を切る覚悟さえあればどうとでもなった。

 やることもなく、かと言って暇つぶしになるゲームやニュース閲覧はする気になれない。

 お気に入りの漫画は床に散りばめられている。

 意味もなく部屋の中をぐるぐると回ってしまう。

 そして、時計へと眼をやり、チャット画面を――。

 既に幾度となく繰り返された流れだ。


「待つだけってこんなにも……」


 気だけが急る。

 七瀬さんや力さんは慣れたもので悠然としていた。

 ……力さんはリモコンを落としたりと一部動揺が見られたが。


「ヒロインもこんな気持ちなんだろうなあ」


 漫画やゲームのヒロインが主人公を見守る気持ちが理解できた。

 彼らみたいに生き死にがかかったり、世界の命運が乗せられているとかではないが。

 まだ一年生の夏ですらこれだ。

 三年生での引退がかかった試合になると、どうなるか想像もできない。

 七海の泣き顔とか見たら慌てふためく自信がある。


 ――prprpr――


 無駄な確信を得ていると携帯が震える。

 画面を見る。そこには“アンナ”の名前が表示されていた。

 朝からかかってくるのは珍しい。


「もしもし」

『海斗?』

「海斗の携帯だからな、海斗の確率が高いぞ。だが、本当に海斗とは――」

『うん、海斗ね』


 失敬な。何故断言できる。


『開口一番、めんどくさいこと言うのなんて海斗ぐらいよ』

「ひでえ、他にもいるかもしれないだろ」

『私の知り合いにはいないわ』

「……アンナって友達どれぐらいいる?」


 ひどく抽象的で曖昧な質問だが、交友関係に一抹の不安を抱えていたからだ。

 人気者だったら俺ばかりに構っているわけにはいくまい。


『そうね……』


 しばし考え込む。

 数えているのか、ライン引きに困っているのか。


『知り合いはそれなりにいるけど、通話するような相手は少ないわ』

「そうなのか? 意外かも」

『ええ、そこまで社交的じゃないし。海斗こそどうなの?』

「俺? まだ転校すらしてないからなあ。アンナと七海、後この間知り合った白水さんぐらいかな」


 片手で足りるのが悲しい。

 元いた学校でも両手で足りる程度なのだから、むしろ俺にしては多いかもしれないが。


『白水?』

「おう。白水奏ちゃん。七海の親友だってさ」

『……そう』

「どうした?」

『ちょっとね。知ってるかなって』


 反応を見るに思い当たる節はなかったようだ。

 それほど多くないとはいえ、一学年百人近くはいるのだから、知らない人がいるのも当然だろう。

 そう考えると七海は割と有名人なのかもしれない。


(モテるらしいしな。……それは白水さんもか)


 アンナは言うに及ばずモテるだろうし、見眼麗しい女性ばかりだ。

 海月島は可愛い子が育つ土壌なのだろうか。


『可愛いの?』

「へ?」

『だから、白水さんって可愛いの?』

「そ、そうだなあ。見た目は可愛いぞ」


 胸も大きいしと心の中で付け加える。


『ふーん、可愛いんだ』

「性格は恥ずかしがり屋さんだな。んで、七海と仲が良い」

『恥ずかしがり屋……。海斗は恥じらいがあった方が可愛いと思う?』

「いきなりだな……。うーん、まあ、ないよりはあったほうが良いかな。場面にもよるけど」


 恥じらいがあったほうが嬉しい時もある。

 うん。嬉しい時もある。

 なかったらなかったでグッとくる場面もある。

 何がとは言わないが。言わないが。


『そうなんだ』

「まあ、その人のタイプとかもあるけどな。ギャップこそ至高って考えもあるし」


 駄弁っていると青春を暴走させた友達の一人が、ギャップの良さについて熱く語っていた思い出がある。

 全てには同意しないが、思わず握手を交わしたくなる瞬間があったのも事実。


『ギャップは良いわね』

「アンナもか」

『知らない一面って良くも悪くも印象的だもの』

「確かに悪い場合もあるか。良い意味前提で使ってたけど」

『可愛いと思うかって前提があるから仕方がないわ』

「女性が言うギャップも可愛いって感じなのか?」

『それこそ場面によるし、タイプによるけどね。男らしい一面を見てって話も聞くし』


 聞くの部分でアンナも友達と恋バナとかをやるんだなとの感想が浮かぶ。

 花の女子高生なのだから、何らおかしくないのだが。


(つーか、お袋や七瀬さんも好きだしな)


 母親や七瀬さんが七海の恋について語り、からかっている光景を何度か見た事がある。

 一方で男陣は父親を筆頭にスポーツの話で盛り上がっていた。

 女性の方が興味のある人が多いのかもしれない。


「なるほどなあ。じゃあ、俺は常に男らしいからギャップとなると可愛い系か」

『真剣な時に感じるでしょうね』

「失礼なっ! まるで普段はふざけてるような言い草!」

『そうなの? あ、真剣にふざけてるとかはなしだから」

「………………そうそう、今朝食べたご飯が白飯だったんだけどさ」

『話の逸らし方が雑! 動揺しすぎよ!』


 昨今の日本でご飯が白飯だったと報告する人は少ないか。

 母みたいに健康に良いからと玄米を食べる人もいるが。


「はっはっは、出口を塞がれたら混乱もするさ」

『開き直らないでよね……』

「アドリブは苦手だから優しくしてください」

『もっと悔しさをかみ殺すように』

「くっ、も、もっと優しく、して、ください……!」

『無理やり言わされている様に』

「……も、もっと、ひぐっ、や、や……やさ、しく……してください……」

『次は――』

「何をやらせとんじゃ!?」

『次は――』

「無視して進めようとするの禁止!」

『次は――』


 この人、怖い。

 ツッコミを完全無視して突き進む様に恐怖を感じる。


「もうやらないから」

『逆に?』

「やらない」

『と言いつつ?』

「やらないって」

『からの?』

「やらねーから」

『やりなさい』

「は――断る!」


 思わず、命令に従いかけるが済んでのところで踏みとどまる。

 スピーカーから舌打ちが聞こえた。


『まあいいわ。またの楽しみにしておくから』

「うわー、アンナと話すのが怖くなってきたぞ」

『ダイジョウブ。ワタシコワクナイ』

「何で片言!?」


 七年間でアンナのコミュニケーション能力が斜め上に向上していた。

 純粋なアンナはもうどこにもいない。


『ここにいるわよ』

「心の声を読まないでくれませんか!?」

『海斗はわかりやすいから』

「わかりやすいの一言で済む事かよ……」


 顔色からうかがうことすらできないのだが。

 声色でだろうか。どちらにせよ、おそろしい。


『ふふっ、やっぱり海斗と話すと楽しいわ』

「そう言ってもらえて光栄だよ。俺は疲れるけど」


 それ以上に楽しいが。


「それ以上に楽しいけどな」

『光栄だわ』


 言わなくてもわかっていると思うが、ちゃんと言葉にしておく。


『海斗のその考え、私は良いと思う』

「アンナは例外でも良い気がしてきた」

『わかっていても、相手の口から直接聞きたいことって案外多いのよ』

「それは同感だ」


 特に好意や感謝などのプラスの思いは口にしていきたい。

 相手にとってもプラスとは限らないから難しいのだが。


『でも、中々言えないこともあるの』

「そりゃな。当然だ」

『そういう葛藤も含めて――なのよね』

「……今、意図的に聞こえない大きさで言ったよな」

『どう思う?』


 試すような口ぶり。

 端々に妖艶さがにじみ出ており、本当に同い年かと聞きたくなる。

 ちなみに七海と一歳差だ。あくまで補足であり、他意はない。


「聞いてほしいけど、聞こえてほしくない乙女の恥じらいとみた」

『…………答えは』

「答えは?」

『CMの後!』

「テレビか!」


 もちろん、教えてもらえなかった。

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